いつ自分がなくなってもいいようにしておくこと【人生観をもつ】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕は世界一周をする前後くらいから、よく「自分の最期」を思い描くようになりました。

小さい頃から、

自分がなくなった後の世界は?どうなるの?

と疑問に思っていましたが、今ならよくわかることが、

それでも世界は続いてゆく

というだけのことでした。

僕らは、亡くなっていった人をあの世へ送りはしますが、他にも多くの動物の命がなくなっていて、それでも僕らの生活は普通に続いていっていますよね。

今日はそんな哲学的な(と言うべき?)お話をしていきます。

自分の最期を意識しておくことだ。その中で僕らができることは、ただただ今を生きることなのだ。

自分の最期を意識すること

以前にもいくつか記事を書きましたが、

自分の最期は、いつくるかわからない

と、常日頃から思うようにしています。

例をあげますと、別に命とまではいかなくても、ここ数年で “なくなっていったもの” とは実はたくさんあります。

  • 建物
  • 商品
  • お店
  • サービス

など。

世界の移り変わりは激しく、

あれ?もうこれってなくなったの?

と思えるものはたくさんあります。

僕自身、30年以上もこの「地球」で過ごしてきていますから笑、それだけでも奇跡みたいなものです。

ブログも5年以上、続いていますし、なんだかんだでダンスや英語、朝活なども続けられています。

ただ、これがブチっと切れてしまう。

そんなことも「あり得る」という想定を、しておかなければなりません。

そうかぁ。明日僕が事故に遭っちゃったら、家族や友人に迷惑をかけることになるだろうなぁ

と思うこともありますし、その時はコミュニティの朝活メンバーに申し訳ないなとも思ってしまいます。

でも、それも「あり得る」ということです。

不慮の事故や事件があって、それが “たまたま” 僕に降りかかってこなかっただけのこと。

ふと、

僕が消えてしまう世界線もあるんだよなぁ(あったんだよなぁ)

と思ってしまうのです。

奇跡的にここまで生きて来られていますが、本当に「たまたま」なんですよね。

だから、

いつか自分が、急に終わるかもしれない

と思っておくことです。

僕は数年前から、自分がいなくなる世界線を想像するようになっていた。それが今の自分の考え方に、繋がっているようだ。

だから今を生きる

では、こういう考え方をすると、一体何がいいのでしょうか。

僕が思うに「自分の最期」を意識できる人とは、常に「今」を生きているような気がします。

今日しかないんだ

とね。

有名な漫画「スラムダンク」でも、主人公の桜木花道が「今」の大切さを語るシーンがあります。

親父の栄光時代はいつだよ…全日本のときか?

オレは今なんだよ!!

あまりにも有名なシーンですが、僕もこの言葉を胸に刻み、

今しか…今しかないんだ!

と思って生きています。

  • 明日には
  • 来月には
  • 来年には

もうこの身体は、動かなくなっているかもしれない。

そう思うからこそ、僕は世界一周をすることができましたし、教員を辞める決断もできました。

せいじは勇気があるから

とか、

せいじは決断力があるから

という、そんな陳腐な理由だけで決めたことではないのです。

いつだって、自分の最期を考えていたからこそ、

今やらなきゃ、じゃあいつやるのさ?どうせ一生やらないまま終わって、しまいに言い訳するだけだろ?

と、自分に言い聞かせていました。

結果的に、僕はリスクを取った分、それに見合う成果を得られたと思っています。

もちろん世の中とは、

行動しなければ何も得られない。だからリスクを取らないやつはダメ

という極論だけではありませんから、時にはリスクを取らない時もあります。

ただ、こうした「終わり」を意識できていない人ほど、

まぁ、こんなダラダラした生活も、あと何年も続いていくだろう(永遠に)

と思っているはずです。

僕がそうでしたからね笑。

終わりを意識すればするほど、「」を一所懸命生きるようになる。

だから、「最期」について考えておくのです。

終わりを意識している人は、今に集中している。いつ終わりが来てもいいようにと、意識を強く持っているからだ。

世界はただ続いてゆく

僕がこの世から消えても、世界はそんなことお構いなしにずっと続いていきます。

今を生きている僕らだって、周りの人が亡くなった時は悲しむものの、

まだ自分の人生は続いてゆくのだ

と(無意識的に)考えているはずです。

漫画ワンピースでも、冥王シルバーズ・レイリーがこんなことを言っています。

今の時代を作れるのは

今を生きてる人間だけだよ…………!!

100年後、僕らが世界から消えても、世界はそんなことを気にかけることはありません。

その時代を生きている人が、

  1. その時代を作り
  2. ただ仕事をして
  3. 子孫を残してゆくだけ

これだけのこと。

このことを、特別なこと(あるいは奇跡)だと思ってもいいですし、一方で「当たり前で普遍のことである」と捉えてもいい。

どう考えようと、世界はただ続いてゆくだけです。

人間について考えてみますと、

大切な人を失った…

と、僕らは「倫理的な」考え方をしようとします。

しかし、こと動物(特に食べるために屠殺する動物)に関しては、感謝はするものの「それが当たり前だ」と思って食べています。

この違いは何だろう?

と、僕は思ったわけですね。

とてもドライな言い方をすれば、人間も所詮、数ある動物の一種に過ぎないのでは、という考えが僕の中にふと浮かびました。

それなら、世界から誰かがいなくなろうと、実はそんなに変わらないのでは?

これは別に、

だから誰を失おうと関係ない。どうでもいい

という意味ではありません。

一旦、この世界をフラットにして考えてみれば、

まぁ人間も、この地球上の動物のうちの一つでしかないんだよな

と思える、ということ。

世界は僕らの感情とは関係なしに、驚くほど非情に進んでいきます。

だからこそ、

まぁいろいろあるのが、この世の中だ

と、割り切ってしまうほうが楽なのです。

何があろうと、それはもうその人の運命。

僕の死後の世界なんて、考えたって仕方ない。

勝手に他の誰かが、またその人の人生を淡々と歩んでいき、未来を作ってくれるのですから。

僕らが朽ち果てようとも、地球は変わらずに時を刻み続ける。僕らが最期を迎えた後も、また他の誰かが、その時代を作ってゆくのだ。

おわりに

僕は小学生の頃、

僕の意識がなくなってしまうって、どういうことなんだ?!

と混乱し、トイレで泣いた覚えがあります笑。

当時から、すでに「死」を恐れていたんですよね。

でも、自分の最期とはふとした瞬間にやってきます。

どんなに長く続けてきたものでも、もしかしたら明日にでも終わるかもしれない

そう思って、今を生きることですね。

一度きりの人生、やれることをやり切って、次の世代へと繋いでいきましょう。

それではまた!

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