こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕は漫画ワンピースを、何周目かわからないくらい読み返しているのですが、現在はエニエス・ロビー編を読んで通勤電車で泣いています笑。
ワンピースの冒頭部分では、「止められないもの」が3つ出て来ます。
- 受け継がれる意志
- 人の夢
- 時代のうねり
どれもまさしく「その通り」と思うほかありません。
ワンピースの世界では、多くの人が死に絶えてしまう一方で、見事に「意志」が受け継がれ、現在の主人公であるルフィたちの「麦わらの一味」につながってきます。
今日は、そんな「受け継がれる意志」をテーマに話をしていきたいと思います。
教育者を選んだ理由
とよく言われたものですが、このテーマに関しては随分前から自分なりに考えてきたものでした。
読書を続け、人と出会い、ブログを書いていく中で、
- 他者貢献
- 与えること
- 人との繋がり
- 大自然を見ること
など、自分なりの「幸せ」や「生きがい」を見出してきました。
その中でも、
というところが、僕の人生の根幹になっていることにも気づきました。
なぜ教育者なのだろうと考えてみますと、僕には「伝えたいこと」があるからなのだと気づきました。
それこそ、「受け継ぎたい意志」があるのかもしれません。
こんなことを言うとおこがましいものですが、僕は授業でも生徒の前で「生き方」や「GIVE」について語る時があります笑。
自分が学生時代の時に、熱く語ってくれた人がいなかったからでもあるのかもしれません。
「自分がアツい漢かどうか」は一旦置いておきますが笑、少しでも生徒たちに「自分の生き様」を伝えられたらなと思っています。
自分勝手な行為だとはわかっているものの、やはり「伝えたい」という熱量がありますと、生徒にも伝わりますし、彼らは意外にも覚えているものです。
そもそも教員とは「教える」ことが仕事ではありますが、人生において大切なことを伝えていくのもまた仕事だと思っています。
- 背中で見せて、
- 生き様を語る。
こういう人間でありたいからこそ、「教育」という現場にいるのかもしれませんね。
伝えることは生きがいになる
現代社会で生きていくことができるのは、先人たちの研究と努力のおかげであり、その上に自分が立っていることを忘れてはいけません。
たまにこのことを忘れてしまいますが、それらの「文明」や「技術」はどんな形であれ「伝わって」きているのです。
- 建物
- 文化
- 自然
- 家族
人間の本能として子孫を残すことを考えれば、これらがごく自然なことであることにも納得がいきます。
一方で、その形もまた「さまざまある」ということですね。
僕は子どもが大好きですし、奇跡的にも恵まれれば、そのような形で「自分の意志を受け継ぐこと」もできます。
しかし、多くの美術館やサウナ施設、大自然や人との出会いを繰り返す中で、
と感じたのです。
先人たちが、どうしても後世に伝えたかったものを目の当たりにしてわかったことです。
そのうちの1つに「教育」もあり、人と出会って話していく中で、自分の思想や考えを伝えていくことなんだなと思いました。
以前にも、ALTからこんなことを言われたことがありました。
考えてみれば、それ自体に意味はないかもしれません。
しかし、
- 自分が思っていることを伝え、
- 議論をしながら旅を続けること。
これは、僕の人生においてとても大切なことだと思いました。
なぜなら「自分の生きた証」を、他の人に伝えることができるからです。
ワンピースの有名なシーンの1つで、ドクターヒルルクの、
人はいつ死ぬと思う…?
(中略)
…人に忘れられた時さ…!!!
というセリフがあります。
自分の意志を後世に伝えることは、まるでずっと生き続けているような感覚がするからこそ、僕らは子孫を残したり意志を受け継ごうとするのかもしれません。
それは明確な「生きがい」となり、これからも僕のやるべきことになっていくのだと思いましたね。
自分の「意志」を残していこう
僕がやたら発信するのにも、「残したい意志」があるからなのかもしれません。
お金どうこうとか、そういうことではないのです。
キレイごとを言うつもりはありませんし、お金はあるだけあったらいいです笑。
ただ、自分なりの「思考」を伝えていきたいというそれだけの気持ちで、
- ブログを書いたり
- Twitterをやったり
- インスタに動画を上げたり
しています。
僕が古い神社や仏閣、人の手がついていない大自然を見にいくのは、人間の一生の何倍も生きて、そこにあり続けるものを見たいがためでもあったりします。
僕ら人間は、残念ながらそれができないからです。
他の生物と比べれば長く存在できているほうなのかもしれませんが、やはりなんらかの形を残すことで初めて「生き様を残した」と思えるような気もしてしまいます。
もちろん、「あの世」には何も持っていくことができません。
しかし、先人たちが残してくれたものは、すべてが「今」につながってきています。
後世によりよいものを残すこと。
これは「夢をかなえるゾウ」にもありました。
後世に何かを残したいと思うことは、決して1人よがりな発想ではありません。
あの世に何も持っていけないことは変わりませんし、いくらこの世で頑張ったところで、天国に行けるとも限りません。
ただ僕は、最期を迎える時に、
と思える人生にしたいのです。
今までは、本当に腐っていた人生でしたから。
これからは、最期を迎えるまでに文字どおり「必死に」生きていくと決めています。
そのために、
- 今できることを模索して、行動に移していくこと。
- そして後世に、自分の意志を残していくこと。
それが「生きがい」となり、僕の幸せに通ずるはず。
そう思っています。
おわりに
意志をつないでいくには、自分自身のエネルギーが欠かせません。
僕自身が「与える人」であり続け、活動し続ける「機関」でなければならないのです。
そのためにやるべきことは決まっており、とてもシンプルです。
困ったら、世のため人のためになることをせよ。
現在読んでいます「開き直る禅思考」に書いてありました。
僕もそれは真理だと思っています。
これからは自分の人生を自分で切り開いていく一方で、世のため人のためにできることを探す旅にもなります。
こんなにワクワクすることはありません。
後世に偉大なことを残そうなんて、全く思っていません。
結果的にそうなったらいいですが、僕の目の前にはもっとやるべきことがたくさんあります。
このブログのように、もっと小さい範囲で、目の前の人のために意志を伝え、教育という分野で後進を育てていくこと。
模索をしながらの「旅」とはなりますが、人のためにできることを考えている時の自分は、なんだかとても幸せです。
まだ旅は始まったばかり。
「僕はここにいる」という自分の意志を、これからも残していきましょう。
それではまた!
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