こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
以前にも若者を尊重しようという記事を書かせていただきました。
最近、また北欧についての本、幸せな社会の作り方:10代からの政治と選挙を読みました。
僕の苦手分野である「政治」についての本でしたが、写真があって分かりやすくとても感銘を受けました。
教育に携わる一教師としても、若者を大切にすると言う文化はもっともっと日本に浸透するべきだと感じています。
日本という国が出来上がってきた歴史の背景も確かにありますが、やはり日本の政治(というより国自体が)変わるべき時なのかなと思っています。
ま、「変わる変わる詐欺」みたいな習慣が根付いてしまって、結局実現していないのが悲しいところではありますが。
本書を読んでみて、今の日本に、そして自分に「大切だな」と思ったことをまとめていきます。
政治家との距離が近い
北欧の国々(ノルウェー、フィンランド、スウェーデンなど)は日本よりもコミュニティが小さいと言うこともあってか、政治家との距離がとても近いです。
写真で見たのですが、選挙活動の際、各政党はなんと各々のスタンドを準備しているのです。
- キッチンカーのようなもの
- ミニカフェのようなもの
- チェスや卓球ができるもの
など、気軽に立ち寄れるコーヒースタンドのようなものです。
「コーヒースタンドのようなもの」でもあるのですが、実際にコーヒーやお菓子を提供しており、しかも無料です。
北欧では有名人も少ないため、結果的に「政治家 ≒ インフルエンサー」のようになっています。
そんな有名人たちが各スタンドを構えて、気軽に市民と話していることを考えると、かなりの驚きですよね。
同時に「日本ではこういう現実が起こりうるだろうか?」と考えてみました。
どちらかと言えば、日本の政治は市民・国民と距離・隔たりがあるように思えてなりませんでした。
国民が何か声や意見を上げても、メディアに取り上げられるとしたら「不適切な発言に対してSNSが炎上している模様です」といったようなものくらいでしょうか。
そういう意味では重箱の隅をつついたり、お互い監視し合っているような文化によって、政治家や権力者に声を届けることができているような気もします。
これはSNSという媒体のおかげでもありますね。
しかし一方で国民の匿名性が高く、実名がほとんど出ないこともあり、「遠距離射撃」ができてしまうことも1つのデメリットです。
- 世間の表舞台に出ている有名人
- それを取り巻く仮面を被った一般の人々
の2者間の距離が、天と地ほどの差になってしまっているように見えます。
また高齢社会の日本では若者の声が届きにくいこともあってか、若者たち自身も、
「別に俺ら/私らには関係ないじゃん?」
と思ってしまっています。
わからないでもないですけどね。
これを変えるためには「若者よ、立ち上がれ!」と声をかけていくことも大切ですが、「変わる変わる詐欺」を見てきた今の若者たちにとっては、重い腰をあげるのに時間がかかりそうですよね。
そこで日本では考えられないような、北欧の政治モデルが参考になると思います。
若者が参画しやすい政治形態
本書を読み進めていきますと、9歳の子や13歳の子がデモに参加したり、18歳で党員になったりと、政治への興味関心が圧倒的に「僕らのそれ」とは違うことがわかります。
課外活動1つを見ましても、地元の小学生や中学生の生徒たちは、選挙活動中の各党員のスタンドに訪問し、熱心に話を聞いては熱く議論しています。
- 自分たちの税金はどこに使われているのか?
- 保育士はなぜ増やせないのか?
- 世界の貧困にどう対処していくのか?
- 移民の受け入れに対してどのようなアプローチをしていくのか?
- 環境問題をどう考えているのか?
このようなハイレベルな質問も、小学生たちからバンバン出てきます。
彼らは未来を生きて行く存在だからでしょう。
自分たちが生きる国で、自分たちの未来がとんでもないことになったら大変ですからね。
また学校でも「教科書を読み進めること」を授業のベースにはせず、議論や批判的な考えを育むディベートなどによって教育活動が行われているのも魅力的です。
日本ではいまだに「one way」つまり先生から生徒への一方的な授業が行なわれており、生徒が考えて発言する時間がほとんどありません。
北欧では「批判的な考え方」を学ぶ機会が多く取られており、自分で考えることを良しとし、中立的な立場を好まない傾向があります。
日本では、
- はっきりしない
- あやふや
- 曖昧
- グレー
- どっちつかず
- 当たり障りない
と言った表現が目立ちます。良く言えば「バランスが取れている」とも言えますけどね。
何年も議論や批判の練習をすることで、議論の場では相手自体を否定しているわけではなく、社会に横たわるシステムや環境に対する意見を言っているのだということに、生徒たちはだんだんと気づいてくるそうです。
相手の立場を尊重しつつ、世の中が「白か?黒か?」だけではないということを、しっかりと学んでゆくのです。
北欧では多額の税金を支払っているため、政治に対して市民・国民が興味を抱いているのも1つの理由ではありますが、大前提として若者を大切にするという文化が広まっています。
だから小さな子達が政治に興味を持っていくことに対しては、どの大人もそれを止めることはしませんし、むしろ家族で投票に行くなど小さな頃から政治を身近に感じることができるような国になっているのです。
そうすれば、女性や育児に対する考えやサポートも、自然と話題に上がるようになるため「女性に対して優しい国だ」と思われているのでしょう。
高齢社会の日本で政治家が生き残るには、
- あまり若者にフォーカスを当て過ぎてはいけないし、
- うまく中立的な意見でなんとなくふわっとさせなければいけない。
若者たちもなかなか変わらない日本の体制にシビレを切らし、自分と国政を切り離して考えるようになってしまっています。
全員が全員とは言いませんし、政治家にも国民にも若者にも、北欧的・欧米的で批判的な考えを持つ人もいます。
ただシステムとして、日本の政治は「変わらないことを良し」としている部分も少なからずあるため、どこかで抜本的な改革が必要となるのかもしれませんね。
僕たち大人にできることは?
30代教員として、18歳から投票ができるようになった高3の生徒たちに、
「投票に行かないと日本は変わらんぞ」
というのは至極簡単なことです。
しかしそれでは、表面的どころか本質的にも彼らのマインドは変わらないのではないかと思っています。
よく同僚と話すと出てくる言葉は「システムを変えないと変わらない」という表現でして、僕はこれが全てだと言ってもいいと思っています笑。
(だからと言って「個人で何かアクションを起こすことが全て無駄だ」ということではありません)
例えば、
- 自分のデスクに張り付いてはいるものの、なかなか仕事をしない人がいる。
- 仕事ではいつも、ヒューマンエラーが出てしまう。
- 若者が全然政治に興味を持てないでいる。
- 少子高齢化に歯止めが効かなくなっている。
など。
どれも「当事者が悪い」で片付けることは簡単ですが、実際にそれらの課題をなくしていくためには、個人を叩いても仕方のないことのほうが往々にしてあります。
- その会社では、実績や結果に見合った賃金が支払われているのか?
- アナログばかりの仕事環境で、エラーが出てもおかしくないシステムではないのか?
- そもそも「若者に興味を持ってもらおう」「若者を大切にしよう」という政策がなされているのか?
- 子どもや女性に対する手当、そして彼らに対する世間の風当たりなど、十分に配慮・整備がなされているのか?
と、その都度その都度の状況で一人一人に焦点を当てるだけでなく、国や会社として制度(システム)が固まっているかどうかにも焦点を当てるべきなのではないかと思うのです。
北欧の国では「民主主義」という言葉が異常なくらい、当たり前に会話でバンバン出てくるそうです。
日本にいる僕らも「民主主義という政治体制が形骸化していないか?」と、改めて問いただすべきだと思います。
村も街も市も国も地域も、突き詰めていけば「僕ら個人個人」で成り立っています。
国民が自覚を持てるような政治体制であること、またそうした体制を作ろうとアクションを起こしていくこと。
こうやって民衆が主義主張を発信して、みんなで国を作っていけるような北欧のモデルを、1つの参考にしていきたいですね。
おわりに
政治に疎いすずきでしたが、こうして「若者たちが国を担っていく」というカタチが明確になっている北欧のモデルに衝撃を受け、こうして記事を書くことにいたりました。
日本とは背景やシステムが異なるため、「全て北欧が優っている」と言いたいわけではありませんが、それでも日本の教育や若者へのアプローチの仕方は変わっていかなければならないと思います。
そんなことを「考える」ことは簡単なことですから、みなさん口をそろえて、
「お前が何か行動を起こしてみろ」
と言うことでしょう笑。
そうですよね。
僕自身も「野望」を持っていますので、少しずつ(あるいは抜本的に)でも、日本の教育モデルをぶち壊さなければならない日が、いつか訪れることでしょう。
力を溜め、かつ少しずつ行動に移し、精進していきますので、応援のほどよろしくお願いいたします。
それではまた!
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