こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
以前、教育について語ったのですが、学校そのものについてや仕事に対する考え方は述べていませんでしたので、ここでお伝えしておこうかなと思いました。
果たして今の学校の役割とは。
僕の、教師としての役割とは。
今日はそんな考えたことを、整理していきたいと思います。
学校が止まって

今回のコロナで学校が止まってしまった時、
と、改めて学校の大切さが身にしみた親御さんたちが多かったと思います。
では、学校とはどのような存在なのでしょうか。
僕は先生として「生徒がいない学校」というのはどこか物寂しいというか、張り合いがありませんでした。
対面で会うことが、いかに強いかということです。
家庭という小さな枠から抜け出て、学校で第三者たちに会うということは、子どもたちにとっても大切なことなのだなと思っています。
彼らも上辺(うわべ)では、
なんて言っていますが、来たくて仕方なかった感が出ていましたね笑。
理不尽な教師や、同級生・先輩・後輩と会って話したり、体育祭や文化祭、球技大会で盛り上がったり、恋愛をしてみたり、部活動で大会に出て見たり。
いろんな視野を持つことができるのが、「学校」という場です。
様々な議論の的にはなっているものの、やはり先生も生徒もこの学校という場を待ち望んでいたのではないかなと。
乱暴に言ってしまえば、学校とは、
- 保育園
- 幼稚園
のようなものであり、子どもを預けておける場所だと思っています。
生徒がたとえ中・高校生のような少し大人に近づいている年齢だとしても、です。
- 先生たちという「おもり役」がいて
- 授業という「預かり時間」が確保されている
ため、親御さんたちも仕事に集中できるわけです。
生徒たちはまだ未成年ですし、親御さんたちが養ってあげていますからね。
このように、最も大切なこととは、学校で教えているのは勉強だけではないということ。
ここが「福祉的要素」に大きく関わってくる部分だと思います。
福祉的な側面を持つ

という側面を持つ理由とは、彼らに、
- 受験勉強の手ほどき
- 知的能力の向上
など「だけ」を望まないからです。
人間的に成長してほしいからこそ、悩みを聞いてあげたり、生き方を伝えたりします。
と言う人もいるかもしれません。
経験がない分、他人の生きた人生から得た教訓を伝えることしかできないからですね。
でもそうやって、正解とは言い切れない様々な意見を聞けるのもまた、いい環境なのかなと。
他にも先生の役割とは、
- 煮え切らない生徒をなだめてあげたり
- 生きるのがダルそうな生徒にかまってあげたり
と様々です。
だからこそ、「授業以外での生徒との関わり」が非常に大きな意味を持ってきます。
考えれば考えるほど、
と思わざるを得ません。
例えば僕は英語の先生ですが、明らかに英語のスキル以外のことが求められています。
僕が自分なりに感じていることは、
です。
英語を教えるのが二の次になることもあります笑。(授業・専門科目が第一ですけどね)
最近の学校現場では、数年前に比べて若い先生たちが多く流入してきており、僕らの時代の「先生像」と違って生徒たちも話しやすいのか、積極的にコミュニケーションをとっています。
特にネットとSNSの発達のおかげで、共有できるツールや情報が多くなりましたしね。
教科の話題だけではなく、生徒の趣味やトレンド、悩みや雑談など、教員に求められているものは本当に幅広いです。
だから、先生たちの人間性そのものが重要になってきます。
教師一人一人が完璧である必要はなく、いろんな考え方を持った先生や様々な年代の先生たちがいることで、生徒たちが触れる “大人たち” にも、多様性があって良いのかなと思っています。
そう言った意味でも、塾や予備校と大きくかけ離れている存在こそが、「学校」なのでしょうね。
自分の教師としての在り方を問う

では僕は、何を思って教師になったのか。
僕が教師になった理由の一つに、教えることが好きという理由があります。
至極真っ当な理由なのですが、先ほどの福祉的要素を鑑みた時、一つの疑問が生まれます。
という疑問です。
先生とは、予備校の先生のように、
と。
福祉的要素を併せ持つ「教員」という仕事に、ズレを感じ始めた瞬間でした。
教科性以外のスキル(=福祉的要素)を考えるほど、今の教員という職に “いい意味で” 疑問を抱くようになったということです。
- 教員間との摩擦
- 安定だが変わらない賃金
- いつまでも変わらない旧態依然のシステム
など、重箱の隅をつつけばキリがないほど、その不満は湧いて出てきてしまいます。
もちろん仕事は楽しいですし、天職だとすら思っています。
生徒と摩擦やすれ違いがありながらも、成長を見届けて卒業させた際には涙が溢れますしね。
それでもやはり、良くも悪くも「多様なスキル」を必要としている学校が、僕の理想と少しばかりズレているのです。
生徒をあずかって、一緒になって青春している時間は、何にも代え難いものなのですけどね。
おわりに
コロナを経て、学校は福祉的要素をはらんでいるということが、さらに浮き彫りになりました。
それが意味することとは、教師にその「周辺の力」が求められていることだと思いました。
教員として8年目ですが多くの苦難とストレスを経験したと同時に、
- 数えきれないほどの生徒たちと出会い
- その才能や可能性に驚かされ、ともに泣き、ともに笑い
感動の青春を、一緒になって駆け抜けてきました。
学校にはイヤな部分はありますが、だからと言って、
と、ネガティブな考え方に至るのはよろしくありません。
ただ今は、
とは思っています。
教育の現場は、学校だけではありません。
と、ワクワクしています。
学校は福祉的な存在意義がありますから、それは必要なこと。
しかし僕は僕で、また違う形で教育に携わっていこうかなと。
僕は別の職種であっても、もっと挑戦して失敗して、人生をよりよいものにしていきたいと思っています。
それではまた!

