こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、こんな動画を見ました。
この方はもうあまり「食」 に興味がないらしく、液体チックな「完全食」と呼ばれるものを飲んで生活しているそうです。
そういう発言はこのご時世、あまりにも安易な発言ですね笑。
常日頃から頭を柔らかくし、
と、まずは興味を持ち、相手を認めることからです。
僕は彼の考え方には部分的に賛成できましたし、多くの方もまた興味を持っている内容だと思います。
今日は「ムダを省いて自分の好きなことをすること」について書いてきます。
ムダなことを突き詰められているか?
僕が教員をやっていた初期の頃、食生活はあまりにも杜撰(ずさん)でした笑。
- 送られてくる米を炊き
- お惣菜(揚げ物)を買い
- 調味料をバカスカかけて
- 終いにはポテチとチョコとアイス
という、健康からはほど遠い生活をしていました笑。
その理由はいろいろとありまして、
- 足るを知らなかった
- 節約が行き過ぎたケチだった
- ある程度動いているのでいいと思った
といったところが原因でしょう。
たまにお酒なんかも買ったりして、
と思っては、”ムダなもの” を買い込んでいました。
この時ほど、「典型的な悪い節約家(=ただのケチ)」であったことはありませんでした。
節約とは名ばかりで、要は何も考えていなかったのです。
- 健康も
- お金も
- 現在も
- 未来も
です。
自分の中にいかに「自己矛盾」があったかと思うと、恥ずかしい限りです。
それからというもの、僕自身がどれだけ「ムダ」なことをしているかがわかってきました。
モノについてもそうですし、食やお金についてもそうでした。
ムダを省いていく生活が始まりますと、
と、自制が効きます。
決して僕の「意志の強さ」ではありません。
単純に、
- 料理はしないし
- お酒は飲まないし
- オシャレもしないし
- インスタントは食べないし
- でも人のためにお金は使う
と、自分の中で軸が確立されていっただけだったのです。
僕は今まで「自分の生活」について真剣に考え、突き詰めていったことがありませんでした。
でも、
- 一度突き詰めて
- 何ヶ月も続ければ
いつの間にか “そういう体質” になってきます。
今では「楽しくなりたいなぁ」と思った時にも、
と思えているのですから、不思議なものです。
ムダをなくした習慣は「最強」です。
おかげで、今は豊かな生活ができるようになりましたね。
たまには “遊び” があっていい
そうなんです。
ただ、僕にとってそれはもちろん「ムダ」ではありません。
が行き過ぎてしまいますと、人生が味気もないものとなってしまいますからね。
確かに、僕は生活のムダを省くために(というか自然と省かれていってしまったのですが笑)、ルーティンや毎日やるべきことを大切にするようになりました。
以前にはできなかったことでした。
これを始めたことでよかったのは、
- 人と会う時
- 旅行する時
- サウナに行く時
- カフェでゆったりする時
などが、自分の中でより貴重な時間となってきたことです。
普段生活で、「毎日を必死に生きる」ようになったからですね。
そうしますと上の動画の方のように、だんだんと、
と思うようになってきます。
料理をやめたのも、それが理由でした。(ちなみに僕も健康診断はオールAでした)
人生は何も、「全てを最適化すること」ではありません。
- 生活のベースではムダを省いて効率化し
- 自分の好きなことや大切な時間に集中すること
という考え方が大切なのです。
だからこそ、たまにある「遊び」が生きてきます。
それをモチベーションにするわけではなくても、それを楽しみにまた日々の生活を頑張ることができますからね。
「遊び」が生きてくるのは、ムダを省くからこそ。
その上で、人と会ったり何かに興じたりすることで、人生がよりいっそう豊かになります。
「そればかり」では逆に楽しくありませんし、非日常を感じることはできませんけれど。
まずは、自分の生活の中にある小さな「ムダ」を省き(もちろん大きなムダも省いてOK)、その上で「遊び」を作って人生を豊かにしていきましょう。
自分の好きなものに時間をかけること
普段の生活を最適化させていきますと、自然と体が「ムダ」を省くようになります。
洋服も買わなくなりましたし、あえて料理をすることもなくなりました。
お酒を自宅で飲まなくなったり、インスタント麺やスナックを爆食いしたりすることもなくなりました。
「それが正しい」と言っているのではありません。
僕が言いたいことは、
ということです。
と、何よりも自分の「好き」に時間を割くようになりました。
人間関係も同じで、
と感じた際は、もう離れるようになりました。
その人がキラいと言うよりもむしろ、
という気持ちから、ですね。
- 食でも
- 支出でも
- 人間関係でも
自分の好きを突き詰めることで、他のことに目が向かなくなります。
本当に寝食を忘れて没頭できるような、そんな「やりたいことをやってゆく生活」を送ってゆくことが、僕の人生の目標でした。
そう言った意味では、学校で教員として働いていた時には、
- ムダな通勤
- ムダな会議
- ムダな書類
- ムダな仕事
など、様々な「ムダ」が溢れていましたね。
僕は単に、それが好きではなかったのだと思います。
今は「自分の好き」にフォーカスできています。
ニワトリが先か卵が先かですが、
- ムダを省いたからこそ
- 人生に集中することができた
とも言えますし、
- 人生を豊かにしたかったからこそ
- 生活にあるムダを省くようになった
とも言えます。
そのおかげで英語の授業(事業)やダンス、人との出会いや旅行など、幅広く活動できるようになっただけでなく、自分の趣味である言語学習にも力を入れることさえできるようになってきました。
彼の言っていることがわかるのは、そのためです。
自分がムダだと思うかどうかは、その人の価値観に任せればよく、
- ファッションに疎ければ服は買わなくていいし
- ゴージャスに過ごしたくなければ清貧な生活を送ってもいい
自分の “好き” に合わせて、ムダを省いていくことは、結果的に「好き」のための余白を作ってくれることになります。
僕は今、買い物もほとんどしませんから、
- お金も使わないし
- ムダなリソース(=認知資源)も使わない
ようになりました。
最適化や効率化とは、揶揄(やゆ)されるべきものではありません。
人生を豊かにするための、大切な一歩なのです。
おわりに
学校の教員生活をしていた頃よりも自由度があるのにも関わらず、自制して過ごすことができています。
それは何より、ムダを省いてルーティン化したからなのかなと。
と思いながら過ごす一年は、今まで過ごしてきたどの一年よりも新鮮でエキサイティングです。
みなさんもムダを省いて、ご自身の「好き」に集中していきましょう。
それではまた!
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