「先生」になると人は変わってしまうから【傲慢にならないこと】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、生徒さんと兵庫県のいろいろについて話していました。

一緒に県で働いていた職員が、議員になってから態度が激変したという話を聞きました。

急に偉そうになったそうなのです。

これは誰にでも起こりうることであり、僕も教員になりたての当初は、かなり調子に乗っていました。

人は権力を得るとダメになってしまうものです。

ただ、それでも軸をブラさず、広く平等に接すること。

これが僕のテーマでもあります。

今日はそんな「謙虚な姿勢になること」について、書いていきます。

権力や地位、お金を得たとしても、偉ぶることなく清貧な生活を心がけていこう。

先生あるある

「先生」と呼ばれますと、どこか偉そうになるものです。

そ、そうか!俺/私って今、先生なんだ!

とね笑。

僕が教員をやっていた頃も、どこか偉そうにしている先生ってのはいるものでして、なんだかイケすかない野郎もいたものでした笑。

先日も書いた通り、人とは褒められますと舞い上がってしまいます。

自分はすごいのだ!

と。

自己肯定感を上げることは素晴らしいことですが、ここと「傲慢」は紙一重です。

学校の先生に限らず、”先生” と呼ばれ始めますと、大抵の人は調子に乗り始めます。

この県議員のように、自分をコントロールできなくなってしまうんですよね。

本当の本当にすごい人であれば、

  • 謙虚
  • 自慢しない
  • 偉そうにしない

はずなのです。

たぶん、彼の場合は経験が乏しかったのでしょうね。(おっさんか知らんけど)

そうやってすぐに自分の「地位や資産」が、自分の全てだと勘違いする人はいます。

これは「あるある」であり、本来はもっともっと上には上がいるということを知らなければなりません。

その程度の地位で偉ぶっているのは二流、三流のやること。

問題はそこではなく、いかに他者に貢献し信頼されているかであり、その人の人格が一番大事なのです。

それがわかっていれば、そんなことにはならないのですけれどね。

「先生」と呼ばれる人のあるあるは、偉ぶってしまうことだ。本当ならもっともっと上がいることに気づくべきだ。先生と呼ばれたからといって、傲慢にならないように気をつけよう。

人は離れてゆく

調子に乗っていますと、人とは離れてゆくものです笑。

これは逆の立場になってみれば、容易に想像ができます。

なんだあいつ?なんか調子乗ってないか?

と、みなさんも思うことでしょう。

別にこれはイジメでもなんでもないですし、出る杭を打っているわけでもありません。

単純にその人の「性格」が悪ければ、人だって集まらないということです。

僕が2022年に、英文法を教えるために始めた「夜活」も、

こっちがやってあげているんだから、敬え

みたいなスタンスはありませんでした。

今は朝活と称して毎朝英語表現を提供していますが、別にホストだからと言って偉そうにしているわけでもありません。(のはず笑)

そんなことしたって、人は離れてゆくだけだ

と知っているからですね。

先生を始めた当初も、

なんだかうまくいかないなぁ

という感覚がありました。

それはたぶん、どこか自分が傲慢になっていたからだったのかなとも思っています。

もちろん、当時の僕は僕なりに頑張っていたのでしょう。(他人ごと笑)

でもそれは自分だとわからないものでして、今振り返ってみれば、

いやー、やっちゃってたなぁ笑

と思うものです。

だから大切なことは、

  • 自信はありつつも
  • 謙虚で一歩引いている

というスタンスなのかなと。

自信がなくて頼りない状態であれば、それはそれで人は寄ってきませんからね。

経験と知識、そこにある人柄

全てはここに尽きますね。

いつでも自分のことが「上」だと思わないこと。

オンラインレッスンをしている時でも、

ごめん、わからない

とか、

へー!そうなんだ!勉強になります

と、謝ったり感謝したりすることは常に心がけています。

自分のことが上ではない」と思えれば、自然と出てくる言葉なのかなと。

その時にバカにされてもいいですし、謙虚であることは何も悪いことではないのです。

傲慢で調子に乗っていると、自然と人は離れてゆく。ちゃんと謝ったり感謝したりすることができる人になっていこう。それが人を人たらしめる行為なのだから。

数字や地位にこだわらない

以前にも、「数字」については記事を書きました。

数字や地位とはあくまで結果論ですし、そこまで行き着けたのは、何より他の方々の支えがあったからに他なりません。

それを忘れている人ほど、平気で、

自分一人だけの力でここまで来た!

と言い張ります。

その数字や地位は、もしかしたら大部分が自分の力によって得られたものなのかもしれません。

でも、少なくとも関わってくれた人たちがいるわけですし、それを蔑ろにしたような態度は「恩知らず」と言われても仕方のないことでしょう。

本当に人柄がしっかりとしている人であれば、どんな数字や地位を獲得しても、

ここまで来られたのは、自分の力ではありませんから

と謙虚に言えるでしょうし、いい意味でこだわらないと思います。

僕が先生になれたのも、確かに自分の勉強の結果ではありましたけれど、もっと広くみれば、

  • 育ててくれた親
  • 切磋琢磨した友人たち
  • ここまで生きられた土地やインフラ

諸々があったからです。

そんなものにいちいち感謝し始めたら、気が遠くなっちゃうよ

と言われるかもしれませんが、僕はそれくらい、

今ここに立てていることが当たり前ではない

と思うのです。

当然、自分の努力も必要ですが、得られた成功や結果とは、真に「自分だけの力で」得たものではないということ。

だからそこにはこだわらない。

数字や結果を追い求めるな

と言っているのではなくて、そこに固執しすぎて目の前のことに感謝できなくなってしまったら、本末転倒だということですね。

先生になってからも、自分のポジションを守るために無理やり結果を出そうとしたり、そこから降りたくないからと言って保身に走ったりしてもいけません。

地位とは、一度手に入れてしまうと手放したくないものですからね。

そこにしがみついているのが、今の政治家たちなのかもしれませんが。(全員とは言いませんが)

人への感謝ではなく、「何か別のもの」を追い求め過ぎていますと、

  • 感謝を忘れ
  • 信用を失くし
  • 人は離れてゆき

本当に「欲しかったもの」を、手に入れられなくなってしまいます。

その人が追い求めているものが、地位やお金であるのならばいいでしょうけれど、いずれ人は離れていくでしょうね。

先生と呼ばれるからこそ、そのポジションにこだわらないこと。

僕だって偉いわけではないですし、日々誰かから助けられて生きているのです。

地位や数字にこだわり始めた時、人はそのポジションにしがみつき、傲慢になってしまう。得られた結果は、多くの人の支えがあったからだ。だから普段から人との関係性を保っておこう。

おわりに

「先生」と呼ばれることは、とても嬉しいことです。

でもそれをいいことにして、本来の目的を見失ってはいけません。

人が変わってしまったら、周りの人も離れていってしまいます。

常に自分の在り方を確認しながら、ポジションに固執せずにやっていきましょう。

それではまた!

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