こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
あまり他人には関心を示さないことで有名なすずきですが、やはり道行く人にも「カチン」とくることがあります。
僕に対してというわけではありませんが、見ていて「不愉快だなぁ」と思うことがいくつかありました。
今日はそうした行動を見て学ぶ回となっております笑。
「他山の石」「人のふり見て我がふり直せ」とも言いますからね。
以前に書いた礼節さに関係する記事もご参照ください。
空いている席にドカドカと入り込む
電車での移動が多い僕にとって、車内での人間観察とは面白いものです。
ホームで並ぶところから始まり、車内に入ってもどう立ち振る舞うかが大切です。
ここ日本に住んでいますと当たり前のことなのかもしれませんが、98%くらいの人たちは穏やかで優しく、親切で丁寧です。
ゆえに横暴で身勝手、自己中心でイキっている人は悪目立ちしてしまいます。
いつも通りにホームから電車に乗ろうとしますと、後ろに並んでいた男性が僕を通り越して乗ろうとしただけでなく、降りようとしている人を優先することもなく、とにかく空いている席に座ろうとズカズカと車内に入っていきました。
何人かの方にぶつかっていましたが、それでも強引に入り込んで行くサマはさながらイノシシでした。
こうなったら筋肉ゴリラの出番だと思い、対面の席に座ってじっと睨みつけておきました笑。
とても残念だったのは、まだ彼が青年であったことです。
若くして礼節さを持てていないことに、その人の背景を想像してしまいました。
- とても疲れていたのだろうか。
- でもふんぞり返っているしな…
- 音楽聴いてるし…
- これがカッコいいとでも思っているんだろうな。
- それとも何も考えてないのだろうか。
- どういう教育の下で育てられたのだろうか。
1つの行動をとってもここまで他人に考えさせてしまうとは…自分にとっても教訓になりましたね。
いつでも礼儀正しい行動を心がけることを、忘れてはなりませんね。
「あいつはクソだ」とその人を批判することは簡単なのですが、こうして一度じっと考えて当人の背景まで考えを巡らせることは、教員の僕としても生徒対応に大きな効果を発揮します。
それぞれのその時その時の気持ちや、感情がありますからね。
- 一部分を切り取って判断してもいけないし、
- 逆に自分の行動の一部分が切り取られる可能性もある。
と思っておくことが大切です。
とはいえ公共性の高い電車では、特に注意を払って行動してほしいものです。
僕も気をつけようと思った瞬間でした。
店員さんにタメ口
いつも通りの朝のコメダ珈琲。
穏やかな空気と温かな日差しが入り込む土日祝日の朝は、とても気持ちのよい時間です。
そんな中、ちょっとオシャレな格好をしたおじちゃんが入ってきました。
これはかなりグレーな議論となりますが、注文をする時に彼は「タメ口」だったのです。
- 「えーっと、コーヒーとスパゲッティ」
- 「コメダに来たことないんだよね。あ、うん。それでいいや」
- 「あ、スパゲッティまだやってないんだ?じゃあこっちでいいや。うん。ありがとね」
「いや、お前は友達か?」
失礼しました。ちょっと感情がむき出しになってしまいました笑。
僕の周りの友人でも、店員さんにこうした態度をする人を見かけたことがありません。
(同僚の年配の先生には、このような態度をとる人はいたかもしれません)
店員さんへの態度については、こちらの記事も参照してみてください。
そのおじさんはタメ口ではあったものの不愉快な態度ではなく、よく言えば「フレンドリーな人」と捉えることもできたため、甘く点数をつけて35点くらい差し上げましょう。
でもやっぱり初対面の人に対して「タメ口・タメ語」って、相手がどんなに年下でも(明らかに子どもや小学生は別)良くないんじゃないかなって思いました。
店員さんはバイトだとしても高校生以上。
一見すると高校生かどうかわからない時だってあります。
それなら「このお客さんはこんな若い私に対しても、とても丁寧な方なのだな」と思ってもらいたいですよね。
確かにおじさんの態度が悪かったわけではないのですが、普段からそういう態度で人と接しているんだろうなと思わざるを得ませんでした。
難しい局面ではありましたが、「一事が万事」とも言いますからね。
切り取るほうもよくありませんが、その人の私生活のあり方が態度に出ていることもまた事実なのです。
僕はお店では人一倍、丁寧にかつ感謝を伝えるように気をつけるようにしていきたい。
そう思ったひとときでした。
クラクションを思いっきり鳴らす
僕が車やバイクが好きではない理由のうちの1つに、「クラクション」をあげています。
この前勤務先の最寄りを歩いていましたら、前の車が立ち往生しているのを見かねたバイクに乗った青年が「ブーッ!」と思いっきりクラクションを鳴らしました。
あまりにも大きな音だったのと、僕が目の前を歩いていたこともあり、びっくりしてトムとジェリー並みに目ん玉が飛び出るかと思いました。
世の中でなくなってほしいものベスト3に入るくらい、僕はクラクションが嫌いです。(必要なものだということはわかっていますが)
びっくりしたと同時に、「どうしてクラクションを鳴らしたのだろう?」と考えてみることにしました。
- 疲れていただけ。
- イライラしていただけ。
- 急いでたので焦っていただけ。
- 普段から鳴らしまくっている野郎。
いろいろと考えてみましたが、結論「余裕がないのかな?」と思いました。
人間、余裕がないときとは感情がコントロールできなくなるものですし、何かに当たり散らしたくなるものです。
そこを抑えられるかどうかが、「真の礼節さ」が試される時ですね。
余裕がない時ほど、冷静になれ。
これができる人は「僕を含めて」あまり見たことがありません笑。
まず第一に「自分には余裕がないな」と客観視することですね。
一度この視点にさえ持って行くことができれば、徐々に冷静さが優位になってきます。
- クラクションを鳴らす前に、
- 怒鳴る前に、
- 人に当たり散らす前に、
まずは「あ、今の自分は余裕がないんだな」と自身を見ることができるようにしたいものですよね。
これにも修行が必要なようです。
まとめ
礼節さを欠いた人たちというのは、世の中にまだまだたくさんいて、それでも世界には平和で穏やか、優しくて親切な人が多くいるのだと思っています。
いざイラついている人を目の前にしてみて思ったことは、
- 余裕がないんだな。
- 精神的に貧しいんだな。
ということでした。
特に2点目に関しましては、「この人は精神的に貧しい人なんだな」と思うことで、哀れになるといいますか、その人の行動の背景を想像するようになりました。
すると「自分自身はどうだろうか?」と自身の行動を改めて振り返る機会にもなりますし、その人を否定するだけの非生産的な思考や時間にならず、次に繋げることができます。
他人に完璧を求めすぎる人は、「自分にも完璧を課してしまうこと」になりかねません。
それぞれに状況や背景があることを踏まえておけば、一部を切り取ることはなくなりますし、自分の行動に活かすことができます。
「イラっとした ➡︎ グチって終わり」では、実はあまり精神的にスカッとすることはないのだなと、僕はそう思うようになりました。
精神的に貧しい人を目の当たりにしたのであれば、精神的に豊かである(はずの)自分が余裕を持っていればいい。
いつも余裕でいられるような、そんなカッコいい大人でありたいですね。
それではまた!
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