こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日書いた記事が反響を呼びまして、「1日」の中では今までで一番多くの方々に読んでいただけることとなりました。
本当に感謝しています。
別にエイプリルフールを狙ったわけではなく、4月1日はちょうど教師を辞めるまで1年だったので、ずっと記事にしようと思っていました。
と思っていたのですが、早速同僚に聞いてみますと、
と言われました笑。
なるほど…
さて、
と思っていましたところ、今日まさにタイミングが合いましたので、校長先生とお話しをすることができました。
自分の気持ちはとても整理されており、今までブログで書いてきたことを、そのままお伝えしただけでした。
「これから教員を辞める」といった人たちの、何かの役に立てるかもしれません。
細かい話かもしれませんが、僕の「夢の果て」も交えて書いていきたいと思います。
来年の3月に、学校を去ります。
気さくな校長先生は、なんの躊躇もなく、
と言ってくださいました。
校長室に通された僕は、まずは結論から言うことが大切だと思い、
今年を、僕の教員人生の最後の年にします
とお伝えしました。
なんと言えばよいのでしょうか。
とても驚いていました。
僕はこの1年が終われば、教員人生では9年となります。
つまり、今後のキャリアアップまで「あと数年」と言ったところだったのでしょう。
管理職の方々も、
- まだ若いこと
- 上と下の潤滑油の存在であること
- 英語やダンスを教えてくれる存在であること
などの理由から、僕が思っている以上に「すずき先生は大切なポジションにいる」と思っていたようです。
大変嬉しいことに「離れられることは痛手である」とも言われました。
校長先生は僕の決断に理解がある反面、若い世代には期待もしていましたので、少し残念そうでした。
僕自身も、現代の学校を担っていくのは20〜40代あたりの、いわゆる「若い世代」だと思っていますから、その反応は間違っていないなとも感じました。
しかし、僕の結論は出ています。
- 2020年に離婚したことを起点にして、
- 自分の人生について考えるようになって、
- 1年間いろんな行動をしてみて、
- 働き方についてたくさん考えてみて、
- 義理を果たすために3年生を卒業させたら、
- 自分はこの学校を去ることにする。
といった思考のプロセスを、よどみなくお伝えすることができました。
これだけ長く考えていれば、軸がブレることはありませんよね笑。
僕自身は、
- 特に緊張することもなく、
- 特別な思いの丈を伝えたわけでもなく、
淡々とお話ししました。
それでも、やっぱり何かが大きく動いたような、そんな気持ちはしましたね。
100かゼロかは、よくないと分かっている。
以前にも何度か書きましたが、僕にはまだ転職などの選択肢がありました。
校長先生からは、
と聞かれました。
そう言われますと、そのような形をとっている先生の話を聞いたこともあったので、「なるほど」とは思いましたが、即「ないかな」と思いました。
まだリサーチ不足で恐縮なのですが、同僚たちと話した感じですと、
- 「自己都合で休職すること」で、手当てなどがもらえる気はしない。
- 仮にお金をいただきながら休職もいいが、それだったら他(予備校、非常勤など)で時間を切り売りして働くと思う。
- 「戻る前提」を残しておきたくはない。
と言った結論が、僕の中で出てきました。
「いつでも戻ることができる」という言葉は魅力的であり、保証されている感覚があって確かに安心感はあります。
それでもやはり、自分は「退路を断つべきだ」と思ったのです。
格好つけているわけではなくて、単純に「一度スパッと辞めてみたい」という気持ちからの考えでした。
校長先生は「すずきさんらしいね」と理解してくださり、
とも言ってくださいました。
そうですね。
僕自身が悩み抜いて出した「辞める」という結論でもありましたので、そもそも「休職」(=戻れる)と言った発想すらありませんでした。
100かゼロかという丁半博打を、するつもりはありません。
辞めたとしても、いきなり「〇百万使うぜー!」とはならないからです笑。
あてもなくいきなり辞めることは、周りの多くの方々から心配され、それと同時に興味を持たれます。
しかし僕はそれくらい、自分の人生を一度フラットにしなければならないと思ったのです。
そうしないと、どこか安定・安全を好む「リトルすずき」が出てきてしまい、挑戦することができなくなってしまうからです。
今しかリスクは取れません。
100かゼロかは、よくないとわかっています。
分かった上で、僕はそうしようと決めたのです。
いつか、学校を作りたい。
僕は昔、いろんな夢を持っていましたが、当時の一番の夢はもちろん「先生になること」でした。
憧れていた素晴らしい先生に感化され、
そう思って、毎日勉強に明け暮れていました。
そんな夢を持った中学1年生から、12年。
25歳で、念願の夢であった教員となることで、1つの夢を叶えました。
仕事の中でも、自分の好きなことである、
- 英語
- 教育
- ダンス
をやり尽くしました。
卒業式を迎えるたびに「先生という職は、僕にとっての天職なのだ」と感じていました。
しかし、何度も繰り返される人間関係の摩擦と、なんとも言えないやり切れなさ。
仕事はものすごく好きなはずなのに、なぜか充実感のない日々。
同僚と話していると、実行に移したいけど移すことのできないような、どんどん出てくるアイディアやイベントの数々。
- 「あれもしてみたい」
- 「これもしてみたい」
と生徒のためになることであれば、なんでもできるとすら思っていました。
試行錯誤、暗中模索が続く中で出てきた疑問。
そう自問自答する時間は1年以上にも及び、やっと結論が出ました。
先生になるという夢は、簡単か難しいかは別にしても、とりあえず叶えることができました。
だったら次のステップは、どーんと大きく描いてみてもいい。
もちろん、小さなスタートから始めて。
僕はずっと、
- 夢を語ることを恐れ、
- 失敗することは恥ずかしいことだ
と思っていました。
しかし、多くの友人に辞職の話をすればするほど、意外にも友人たちは僕の背中を後押ししてくれました。
10年後、20年後になるかわかりません。
ただあとは、ひたすら目標に向かって突き進んでいけばいいだけです。
どんな形になるかはわかりませんが、そんな施設(あるいはサービス)が作れたら、きっと楽しいだろうなと思っています。
ところで、なぜ僕がこういう発想になったのか気になりますよね。
それは僕の周りを、いずれは好きな人たちで固めたいからです笑。
言うまでもなく、僕の周りには僕より圧倒的に優れた人たちがごまんといます。
その人たちの能力を、遺憾無く発揮させる場を作ってみたいのです。
彼らの「教育メソッド」や「スキル」があれば、絶対にいい学校(あるいはそれに近い施設やサービス)が作れるという自信があります。
それだけ僕の周りは、驚くほど能力の高い人たちのオンパレードなのです。
- 英語
- サウナ
- IT
- コーヒー
- ダンス
僕の好きなもののオールスターですね笑。
まずは夢を描いてみることです。
失敗してもいい。
僕なりにやってみますから。
大きな目標がようやく1つ、できましたね。
おわりに
秘密ですが、この記事を書いている途中で目頭が熱くなりました。
やっぱり僕の「ミッション」(使命)は、「そのような人たちが集まれる場」を作ることなのだと思いました。
僕の好きな「優秀な人たち」が、いつも僕の近くで働いてくれていたら、それほど嬉しいことはありません。
それが僕の、人生の最終ゴールと言ってもいいのかもしれませんね。
最初はこの夢について書くことに、多少なりとも抵抗はありました。
- 「無理無理」
- 「笑わせるな」
- 「何を言ってるんだ」
そう言われると思っていました。
しかし、書けば書くほど胸がドキドキしてきて、大きな夢を描けるようになりました。
誰ひとりとして、僕が先生を辞めることを笑わなかったからです。
むしろ、自分の想像内で勝手に自分を笑い者にして、予防線を張っていました。
昔の僕の夢は、先生になることでした。
今の僕の「夢の果て」は、学校を作ることです。
紆余曲折あるだろうし、夢が多少変わることもあるかと思いますが、
この軸は、ずっとブレないと思います。
そこに行きつけるかどうかは別にして、そこに向かうプロセスを毎日発信することで、いずれ誰かの役に立つことを願っています。
とりあえず小さな一歩を踏み出せました…
さて、これからどうなることやら笑。
それではまた!
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