遅刻することってダメ?僕が遅刻を気にしない理由【生徒自身の問題】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

高校の先生をしていますと、「遅刻指導」というものがあります。

生徒が何度か遅刻をし、ある程度のラインを超えてしまいますと「指導対象となる」というものです。

僕は先生になりたての頃から、この「遅刻指導」には疑問を持っていました。

これって本当に指導する意味あるのかな?

なんだかんだで無遅刻/無欠席だった優等生の僕が、なぜこんなことを思うようになったのか。

説得力がありませんが、書いていこうと思います笑。

遅刻していることを叱ることに本質はない。要はその人自身の問題というだけなのだ。

遅刻はなぜ悪いのか?

僕自身は「無遅刻/無欠席野郎」でしたので笑、どちらかといえば、

遅刻欠席は悪いもの

と思っていた派でした。

ただ教師になってみて、「遅刻している生徒」を叱っている先生たちを見てふと、

え?何をそんなに怒鳴り散らかしてるの?

と思うようになりました笑。

そんなんで社会人になれるのか?
社会人になって遅刻なんてしたら、どうなるかわかってるんだろうな?

待ってください。

今の大人たちの中にも、遅刻ばかりしてきた人は多いはずです。

それなのに、社会人になって遅刻している人っているでしょうか。

僕の答えは決まっています。

社会人になってから遅刻するやつなんていない

です。

だから、生徒たちに向かって「それじゃあやっていけない」と指導するのは、そもそもナンセンスなのです。

だって、学生と社会人では立場が明確に違うのですから。

  • お金をもらって仕事をしていること
  • お金を払って学校に通っていること

では、仕事と学校に対する「スタンス」が明らかに違います。

学校のルールとして「遅刻はするな!」は、多少なりともあってもいいと思います。

しかしそこに「なぜ?」と問いかけられた時に、しっかりと答えられる先生は少ないです。

いや、だって社会人になったら…

今話しているのは「学生として」の話です。

現時点で社会人の話を持ち込んだところで、生徒たちは納得しません。(少なくとも僕は笑)

ただ頭ごなしに怒られて、

遅刻はダメなものなんだ…

と、思考停止状態で指導が終わるだけです。

これは、生徒指導の本質ではありません。

もちろん「遅刻してもいい」と言っているわけではなく、「遅刻することは悪いものだ」と決めつけて、その考え方を「押し付けること」がいけないと言っているのです。

その理由を明らかにした上で、教師としてではなく、一人の人間として生徒たちに話をしていかなければならないのではないでしょうか。

遅刻はなぜダメなのか?「社会人になったら」という謳い文句は通用しない。理由を明確にして生徒と話そう。

生徒自身に考えさせ、感じさせる。

では、どうしたら生徒に「遅刻指導」ができるのか。

そもそも僕は、「遅刻してはいけない」というマインド自体がおかしいと思っています。

遅刻?あぁ。したきゃさせておけばいいんじゃないですか?

僕はこうしたスタンスをとっています。

もちろん学校としての指導がありますので、僕も当たり障りなく指導に入りますが笑。

それではまず、「遅刻することで被るデメリット」を考えてみましょう。

  • 授業に遅れる
  • 学校によって欠席扱いになる
  • 「遅れてくる人」と見なされる

ここで「先生から怒られる」は、リストから省いておきましょう。

そもそも怒られる意味がわかりませんので。

さて、お金を払って学校に来ている生徒のみなさんは、授業を受けたくて入学したと言ってもいいでしょう。

(義務教育であれば、教育を受けるのが義務ということですので、まぁ遅刻はしないほうがいいでしょう笑)

遅刻をしますと途中から授業に参加しますので、面倒なことになります。

学校はまだオンライン授業が盛んではありませんので、「体を学校に持っていく」という行為がどうしても必要です。

授業のアーカイブでもあれば「出欠席の概念」もないのですが笑、それは今回は置いておきましょう。

また、

登校時間を遅らせればいい

という人もいますが、1日の時間は限られています。

朝に来させるのが早すぎるのだ!

という一言で片付けるのは良くありません。

問題はそこではないからです。

そもそも朝(と言っても8〜9時台)に遅刻するような人は、遅い時間に学校が始まっても遅刻します笑。

「遅刻のデメリット」についての話に戻しましょう。

遅刻が嵩(かさ)んでしまったら授業についていけないだけでなく、場合によっては「欠席扱い」となり、必要な単位や成績が取れなくなる恐れがあります。

モラルを除外し「損得勘定」で考えるのならば、やはり生徒のみなさんにとってもメリットはありません。

それなら、遅刻しないほうがいいような気もしますね。

ただ、数回遅刻する程度であれば、実はそこまで痛手にはなりません。

だから僕は、たまに遅刻することなんて全然問題ないと思っています。

「頻繁に遅刻をしてしまう人は、自分が被る『デメリット』を考えておいたほうがいい」

このあたりが、議論の着地点かなと思っています。

指導方法はいたってシンプルです。

  1. 遅刻することが自分にとって良いかどうか考えさせる
  2. あとは自分がどうしたいのかに任せて、それでも遅刻をしたら仕方ない

です。

だって、自分で判断して「損」を取りに行っているのですから。

こちらは「忠告すること」くらいしかできません。

あとは、本人の判断次第

それで、

  • 単位を落とす
  • 授業に遅れる
  • 卒業ができなくなる

といった結果になってしまったら、それは仕方のないこと。

先生たちが一度注意すれば、それで良いのです。

中学生ですとまた指導が変わってくるかと思いますが、高校生に対しては、

もう自分の頭で考えろ

この一択でいいと思っています。

自分が痛い目を見ればわかることであり、こちらが熱心に指導する理由は特にないのです。

遅刻のデメリットくらい、学校に来ている生徒自身が考えればいい。それが悪いかどうかを先生たちが決める必要はない。あとは自然と自分で気づいていくものだからだ。

遅刻それ自体は瑣末なこと

さすがに「頻繁に遅刻をすること」は問題になります笑。

しかしこれもまた、本人の「信頼の積み上げ」の問題であり、僕らは忠告をすることしかできません。

だから僕は「遅刻しないようにする」という考え方自体、あまり好きではありません。

たまに遅刻をしようが、その人に信頼があれば大した問題ではないからです。

ただ「一事が万事」と言われるように、時間にダラしなさ過ぎる人とは、他のことにもダラしがなかったりしますけどね笑。

どちらかと言うと「遅刻を頻繁に繰り返す人」は、もっと根の深い部分で問題を抱えているケースが多いです。

お前は遅刻ばかりしている!いいか?遅刻をするとな…

言いたいことはわかりますが、これは「表面上の指導」でしかないと思っています。

  • 家庭に問題がある
  • 抱えている悩みがある
  • 人間関係に問題がある

といった、生徒の問題にフォーカスしてあげること。

そちらのほうがよっぽど大切であり、学校(あるいは学年)が勝手に決めた「遅刻回数」なんて個々人の感覚でしかなく、生徒の根本について迫ろうという姿勢が見受けられません。

あまりにも遅刻が多い生徒は、自然と目につくものです。

そうしたら、

  • 呼んで
  • 深い話をし
  • 自分で考えさせたり
  • 原因を探ってあげたり
  • 痛い目を見てもらったり笑

そうするほうが、ずっといいです。

この回数を越えたら怒られるぞ。面倒だぞ

と思わせるような「罰則をイメージさせる指導」は、指導の本質ではありません。

生徒たちが「遅刻」に対して何も考えなくなってしまいますしね。

  • 遅刻回数とか
  • それによる遅刻指導とか

表面的な指導はやめて、もっと生徒の本質に迫っていってほしいと思っています。

この違和感から、僕は遅刻指導というものに疑問を感じたのでした。

遅刻はなぜしてはいけないのか。

そんなこと、生徒自身が自分で考えていけばいい。

先生たちが「こうなってるからこう!」と言わなくても、

  • 信頼を失う
  • デメリットがある
  • 結局は一事が万事

など、その都度、彼らが感じていけばいい。

それがわかっていれば、何度か遅刻したって問題ない。

遅刻それ自体は誰かに迷惑をかけているわけでもないですし、結局は自分に返ってきます。

僕ら教師が「鬼の形相で怒ること」の意味が、僕にはわかりません。

本当に生徒のためを思うのであれば、

  • 彼らに考えさせて、
  • 彼らに感じさせること。

それが一番の指導なのではないでしょうか。

遅刻それ自体にフォーカスを当てたって仕方がない。もっと根の深い部分で生徒と話し合う必要がある。彼ら自身に考えさせて、答えを出させよう。

おわりに

遅刻指導なんて意味がわからない

と言いますと、決まって声を上げてくる人がいますが、現場に9年いて感じることは変わりません。

先生たちも、「思考停止状態」で指導を行なっているからです。

僕はこちらのほうが、遅刻指導をするよりもよっぽど問題だと思っています笑。

おいおい、どんな生徒指導だよ笑

と思うことは何度もあり、明確な答えや意志を持って指導している人はいませんでした。

その場合、その指導は「形骸化」している可能性が非常に高いです。

指導に疑問を持ち、時代に合わせて変えていかないから、教育が進まないのです。

もっとその意味を考え、生徒たちにとって「本当にためになる指導」をしていくべきですよね。

僕ももう少し頑張らなければ。

それではまた!

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