こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、よく一緒に練習するダンス部の卒業生や元同僚たちと、改めてダンスの練習をしました。
その後は飲みに行き、僕が顧問をしていた時代の話が出てきました。
当時はがむしゃらで、とにかくダンスが好きだった僕は(今でもそうですが笑)、一所懸命練習している生徒にも、

と、真剣に部活動に取り組んだものでした。
今日は、そんな「コミットした時間」について書いていきます。
自分で選んだ道に責任を持つ
今でさえ、


と叫んでいる僕ですが笑、当時は何もわからずにとにかく部活に一所懸命に取り組んでいたものでした。

時にはいざこざがあったり闘いがあったりと、我ながら大変な時代でした。
しかし、自分が選んだ道でしたから「適当にやるわけにはいかない」と思っていました。
何より「なりたい」と思って「晴れてなった」教師です。
それなら、やり切るだけです。
そう思ったからこそ、ダンス部に対して「真剣に向き合うこと」ができたのだと思います。
いろんな経験から、
- 部活動の是非
- 教員の仕事効率の悪さ
などの指摘は今でもしていますが、だからと言ってダンス部(現在も2名入ってきました笑)を適当に見たり、授業をなんとなくこなしたりする理由にはなりません。
それは何より「自分で選んだ道」だからです。
自分の選択にフルコミットすることは当然のことであり、その道がどれだけ間違っていても、やるべきことはきちんとこなすことです。
そのおかげもあってか、今でもこうして「繋がり」を持つことができるようになりました。

「自分の選択が間違っていたかどうか」ではありません。
その選択に責任を持ち、ただひたすらコミットした結果しか、今に繋がらないのです。
それだけやってもダメなら、もう仕方ありません笑。
ただそんなことはあり得ないのだと、僕は思っています。
「一所懸命に何かに向かう人」には、同じような熱量を持っている人が必ずついてきてくれるのですから。
与えた愛は必ず返ってくる
その当時は、とにかく「がむしゃら」でした。
何も考えておらず、とにかくダンス部のために全力を尽くしました。
すると卒業生たちからは、意外な言葉が出てきました。
と。
僕は一人でやったわけではなく、
- 保護者
- 他の顧問
- 多くの先生方
- サークルの先輩
など、本当に多くの人の協力を得て部活を盛り上げました。
大切なことは「発信源となること」でした。
生徒たちのダンスに向かう姿勢を汲み取り、部活動に反映させ、それを周りに伝播(でんぱ)すること。
とてもシンプルなのですが、そこには必ず「行動」がありました。
- 遠征に連れて行ったり
- 合同練習会を開いたり
生徒たちが「10代では経験できないようなこと」を経験させてあげたいという一心で、いろんな企画を実行しました。
どうやらこの「行動」が、生徒たちにはしっかりと伝わっていたようです。
当時はなんのことか訳もわからずに動き回っていましたが笑、彼らのためになることをひたすらにやっていただけでした。
生徒からすればそれが「当たり前」だったのかもしれませんが、そこに割いた時間が途方もなかった分、生徒たちも僕の「コミットした姿勢」を感じて「また会いたい」と言ってくれたのだと思います。
先日会った時も、

と思っていたものですが、「感謝している」という言葉を聞いてわかりました。
当時の僕は、「ちゃんと愛を与えていた」ということです。
与えた愛は、こうして形を変えて返ってくる。
まさにそれを感じた瞬間でした。
だからこそ、
「決めたことにフルコミットすること」
は「真実」であり、見返りを考えなくても、何かしらの影響を与えていると思っています。
大変なこともありましたが、結果的に、

と思えた仕事だったのでした。
それでも与え続けること
こうして何年後かに愛が返ってくることは、僕にとっては「予想外」でした笑。
とても嬉しかったのですが、実はそんなことはどうでもよいとも思っていました笑。
「また会うきっかけとなっただけ」だと思ったからです。
生徒たちから「ありがとう」をもらうことは、シンプルに嬉しいことです。
でも僕は、その感謝を受け取るために部活動にコミットしていたわけではありません。
彼らの熱意やひたむきさに胸を打たれたからこそ、

と思って、フルコミットすることができたのです。
だからやることは1つです。
また「愛を与え続けること」です。
今の僕は、以前の僕と違って見返りを求めることがなくなりました。
すると、

となっただけであり、また彼らに楽しい時間を過ごしてほしいと思えただけだったのです笑。
面白いことに、
「与えた愛が返ってくること」
を意識しないほど、与えることができるようになります。
しかもその見返りは時間差でやってきますので、僕自身も与えたことを覚えていません笑。
そのほうが「純粋なGIVE」になり、実は良い循環を生み出します。
先ほどの「フルコミット」とは、ある意味、
- がむしゃらに
- 見返りを求めずに
やり切ることなのかもしれません。
「見返りを求めるかどうか」
に関しては賛否がありますが、僕個人としては「受け取ることは不要」だと感じつつあるので、この形でも良いと思っています。
それでも、いつか何かの形で「返ってくる愛」は必ずあります。
今回は、会ってくれた生徒たちとその時間、そして感謝の言葉など、目には見えなくても「深い絆」のようなものを感じました。
僕にとってはそれだけで十分でしたし、仮に「見返りの愛」がなくても気にしません。
しかしこんな再会をしますと、

と思わざるを得ませんでした。
自分の選んだことに、ただひたすらに一所懸命だったあの頃。
「あの頃の僕」がいたからこそ、今こうして生徒たちや旧友たちとの大切な時間を過ごすことができているのですね。
おわりに
思わぬ形で懐かしい話に花を咲かし、まさか感謝までされていたとは思いもしませんでした。
- 未熟でも
- 不格好でも
- がむしゃらでも
なんでもいいから、どこかの誰かに愛を与えることは、結果的に「自分を救うこと」になります。
もちろん、それができない時もありますし、僕も「受け取っていた時期」があったものです。
その事実を感じながらも、与えて受け取ってを繰り返していくこと。
そうした関係を持つことのできる友人や仲間、生徒たちと繋がっていくこと。
それこそが「僕にとっての幸せ」なのかもしれません。
だからまた大切な人たちと会い、再び愛を与えていこうと思います。
それではまた!
コメント