こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕の友人はいつも、僕が頑張るためのモチベーションを上げてくれます。
モチベーションには頼らない、機械みたいな男ですけど笑、友人や仲間の頑張りには素直に感化されるタイプです。(単純)
先日も、いろんな方の「頑張り」を見て感動したものでした。
本当に頑張る人たちほど、
と言わないものです。
以前の僕なんて、なんとかして自分を誇示していましたが笑、
と感じました。
今日はそんな「友人たちの頑張り」について書いていきます。
本当の強さとは?
「強さ」にはいろんな定義があります。
僕が定義する「強さ」には広い意味があって、
- 優しさ
- 人に頼る力
- 目に見えない努力
などであり、今までもいろんな記事で書いてきました。
先日、いつも一緒に英語を勉強している友人が、ともに頑張っていた「朝活英会話」で最後の代講をやり遂げました。
「代講」とは主催者がレッスンを休むときに、代わりに授業をすることです。
悲しいかな僕は今「海外」ですので、なかなか思うように協力することができておらず、その勇姿を見届けるだけに過ぎませんでした。
しかしそれを見届けることができただけでも、感動しました。
彼女のすごいところは、
- いつも人の努力を応援すること
- 人の成長を喜ぶことができるということ
でした。
一番頑張っているのは本人であるだろうに、陰での努力を一切見せずに、いつも笑顔で参加者たちに愛を与えていました。
そんな「直向き(ひたむき)さ」もまた、彼女の「強さ」なのだと感じました。
本当に強い人とは、誰かと比べて「自分は強い/偉い/頑張っている」という主張をしません。
- 自分にいかに打ち勝ち
- どれだけの努力を積むことができるのか
を常に考えています。
「克己心」という言葉がありますが、まさに「己」との勝負ですよね。
僕は彼女の直向きさや優しさ、人を素直に評価することのできる姿勢に影響を受けてきました。
人の見えないところで、人一倍努力する姿勢。
その姿勢を陰ながら見させていただき、本当に感化されました。
こうして仲間が頑張る姿を見せつけられますと、
と思うわけです笑。
自称「ストイック」の名に恥じないよう、僕も努力を重ねる必要がありそうですね。
過去をもろともしないこと
もう一人、僕の知っている友人がその場(オンライン)でプレゼンをしました。
彼女もまた「タフな人」として、僕は尊敬しています。
いつも笑顔で元気ハツラツな彼女ですが、サシで飲んだときに「いろんな苦難を乗り越えてきたこと」を聞かさせていただきました。
今の彼女があるのは、彼女なりの「精一杯」を続けてきたからでした。
つまり彼女も、いつも彼女ができる「限界」を越えようと、常に努力をしてきたということです。
成功者や笑顔でルンルンとしている人を見ますと、最初はどうしても、
と思う人がいます。
そうです。
「ろくに努力もせずに人を羨むだけの人」ですね。(以前の僕)
人には「見えない部分の努力」があり、彼女のような人ほど、
と言います。
逆に「できない人」ほど、
と嘆きます。
人にはそれぞれ過去があり、事情があって今にいたっていることは、自分の過去を遡れば「お互い様だ」ということがわかります。
彼女の努力もまた、相当なものだったのだと思います。
特に大切なことは、
- いつまでも過去に縛られずに
- ずっと前を向いて進んでいること
です。
彼女を見ていますと、
と不思議で仕方がないくらい、今を一所懸命生きています。
僕自身にも「黒歴史」はあって、
- 人のせいにしたり
- 自分が一番だと思い込んだり
- 誰よりも努力していると勘違いしたり
していました笑。
そのおかげもあってか、多くの失敗を経験してきました。
今している失敗は、原因を自分に置き換える「原因自分論」として、自分なりに消化できるようになっています。
過去をいつまでも引きずっていますと、永遠に前進することができません。
僕は彼女の姿を見て、「前を向くこと」について学ぶことができました。
人の悩みに優劣はありませんが、僕なんかよりも「もっとツラい経験」をしている人たちを、
- 日本でも
- 世界でも
見てきました。
自分だけ被害者ぶって、ウジウジしていた過去の自分。
以前の僕は、彼女の「力強さ」に到底及ばないほどの、弱虫で意気地なしでした。
いつも前を向いているというだけで、その人がいかに力強いのかがわかります。
過去は過去。
実は彼女は、それを「なかったもの」にしていたのではなく、それを「今の糧(かて)」として、必死に生きていたのです。
僕らにできることは、いつも前を向いて歩き続けること。
彼女からもまた、大切なことを教えてもらう毎日ですね。
2人の共通点
彼女たちの勇姿を見たときに感動したのは、僕だけではありませんでした。
多くの人に力を与え、前に進む勇気をくれました。
彼女たちには共通点がありました。
それは「以前の僕が持っていなかったもの」でした。
どんな姿でも、あきらめずに前進し続ける姿。
そして何より、いつでも「自分の限界」に挑戦する姿でした。
人は不完全であり、未熟だからこそ成長していく生き物です。
彼女たちは「自分の弱さ」を誰よりも理解しており、その弱さを隠そうとするのではなく、そんなことには目もくれずに、ただひたすらに一所懸命努力を積んでいました。
人は強くなる時、必ずまず最初に「自分の弱さ」を知ることになります。
本当の意味で「弱い人」とは、いつまでも自分の弱さに気づこうとせずに(気づいているけど無視をして)、言い訳を並べて強がろうとします。
また成功者のことを妬(ねた)んでは、
と疑い始めます。
彼女らにそのような「弱さ」は一切なく、いつも自分の過去や弱さと向き合って前に進んでいました。
だから僕は、
と断言することができます。
自分の弱さを受け入れている人は、そこから「無敵」になるからです。
僕はずっと、ハリボテの強さを振りかざしていた「弱い人間」でした。
彼女たちの「本当の強さ」を間近で感じることで、今も頑張ろうと思えていますし、一緒に前に進む仲間としてともに頑張ることができています。
むしろ「負けないように!」と、ついていくのが必死なくらい、
と思わされる日々です。
「本当に頑張る」とは、実は特別なことは要りません。
ただ素直に、自分と向き合って自分を受け入れること。
そこで初めて「強くなるための一歩」を踏み出すことができます。
海外にいる今、
- 日本の皆さんから
- 旅の途中で出会う人たちから
元気をもらってばかりです。
そう感じながら、また進んでいきたいと思っています。
おわりに
僕が生きる毎日には、いつも奇跡的に「僕の足りないもの」を埋めてくれる人たちが現れます。
まるで取り計らったように、目の前に現れてくれるのです。
先日もその勇姿に感動し、また頑張ろうと思えたものでした。
そうして人からエネルギーをもらうことができれば、
と思えるのです。
そんな良い循環。
素晴らしい仲間に出会えたことに、感謝しかありませんね。
また僕も前進していきます。
それではまた!
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