こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
最近、こんなツイートを見かけました。
- 「昔と変わっちゃったな…」
- 「古参が去っていくのは複雑な思いです…」
- 「あの時代と現代とでは、コミュニティ内でズレがあるんだよなぁ…」
ふむふむ。
僕は以前、「未来志向型」について記事を書きました。
過去を懐かしむことは良いことですが、いつまでも過去にとらわれてはいけないという内容です。
今回目にしたツイートも、何か以前の状態を礼賛しているような感じがして、「それってちょっと違うんじゃないかな?」と思いました。
今日は、「過去」や「今」についての記事を書いていきます。
人は必ず入れ替わるもの
時代が変化していくように、僕らが所属しているコミュニティや職場も、新陳代謝があって「俺がいた頃とまるで違う…」と思うことがあります。
僕も以前ダンスサークルに所属していた頃は、「俺がいた時代はもっと活発でな…」と実際に口に出す先輩方もいましたし、自分自身も卒業してからそう思ってしまうことがありました。
しかしこれが、現役世代からすると鬱陶しいものでして、
- 「あの先輩、いつも来てるよな?」
- 「いるのはいいけど、口出しはしないでほしいよな」
と「思うこと/思われること」もありました笑。
自分が築き上げてきた環境を、なんとかして変えたくないという気持ちが強いからです。
これはどの環境においても起こり得ることです。
- 職場
- サークル
- 部活
- バイト
- その他コミュニティ
「自分がいる/いた環境こそが最高であった」と(いい意味で)勘違いをし、それが変わってしまうことを恐れてしまう人は多いです。
僕自身もそうでした。
しかし、愛し過ぎていたダンスサークルを卒業して数年が経ちますと、「そんな時代もあったなぁ」と思うようになってきました笑。
人は必ず入れ替わり、どんどん新しい時代の波が訪れることは、僕個人でどうこうなることではないと悟ったのです。
たまに顔を出すくらいだと後輩たちも嬉しいとは思いますが、自分が以前いた場所に頻繁に来たり口出ししたりすることで、その場にあまり良い影響はないと思います。
それは下(次)の世代にとっても、自分にとっても、です。
一方で自分がいる間に、そのコミュニティを最高のものにしようとすることは大切なことであり、「自分らの時代は最高だったね!」と思えればそれでいいのです。
また、次の世代のことを思ってアドバイスをしてくれる人もいます。
それもまた良い先輩像だと思います。
ただしその場にいる人間こそがそのコミュニティの主役であり、去った人間たちがどうこう言うことではありません。
以前の記事にも「漫画ワンピース」のキャラクターである、レイリーの言葉を載せました。
今の時代を作れるのは
今を生きてる人間だけだよ…………!!
自分はまた新たな環境で頑張ればいいし、どんどん次に進めばいい。
どの環境においても、新陳代謝は日々起こっているのです。
過去の環境を見なくなった理由
今回は「自分の過去」というよりも、「以前自分がいた環境」という点について書いていきます。
僕はダンス部の顧問でしたが、去る時は名残惜しいものでして、僕が教えていた子たちが引退していくのを見て、「もうこの部活は終わりかな…」とすら思いました。
- 個別塾のバイトにおいても、
- 職場を離れる時も、
同じように「以前自分が所属していた環境」を、振り返って見てしまうクセがありました。
別にそう思うこと自体は悪いことではないのですが、だんだんと、
「そこに固執することは意味のないことで、僕の課題ではないのだ」
と思うようになりました。
重複しますが、
- 今の環境で精一杯やることが大切だということ
- 以前の環境にはまた新しい人が入ってくること
を理解したからです。
先ほども書いた通り、逆の立場(次の世代や後輩)に立てば簡単で、
- 「あの人誰?」
- 「まぁまたどこかでお会いしましょう」
- 「さて僕らの今の課題なのですが…」
と思うからです。
「以前その場にいた人」が「現在のコミュニティ」に来たところで、現在の人たちはその人に構っている余裕はありません。
そう考えれば簡単で、今の自分ができることは、
- ちょっと差し入れをしたり、
- 以前いた時代の人と久しぶりに会ったり、
- 少し話してアドバイスをしたり、
- 遠目から見守ってあげたり
することくらいが関の山です。
現在自分が所属しているコミュニティのほうを精一杯盛り上げ、最高の場所にしようと努力すること。
そうすれば、周りを楽しませることができるだけではなく、自分自身も今のその環境を楽しむことができます。
「自分が所属していた頃はもっと良かった…」と思ってしまうのは、
- 「自分が去った後のコミュニティが、自分のいた時代と変わるはずがない」
- 「今のやつらは最高に楽しむことができてない。昔は良かった」
- 「自分がなんとか以前の状態を維持してあげるか。仕方ないなぁ」
と思い込んでしまっている(勘違いしている)証拠です。
しかし、
- 時代も人も、環境も変わるものである
- 今の人たちは今の人たちなりに楽しんでいる
とわかっていれば、そのように思うことはなくなってきます。
その環境を離れた直後は確かに寂しいものですが、人間の適応力とは異常なものでして笑、次の環境にいけばその環境に順応しますし、もし合わなければまた環境を変えればよいのです。
場合によっては、自分で新しい環境を作ってしまっても構いません。
箱も、箱の中身も時代によって変化していくものです。
そう割り切って、自分が行くべき次の環境へと飛び込んでいきましょう。
コミュニティや環境を絞らない
以前にも、「コミュニティを分散させること」について記事を書きました。
「自分にはここしかないのだ」と思える環境を持つことで、確かに救われている人もいます。
特に最近では「仮想空間」が最たるものですが、どこまで行っても向こうには「生身の人」がいて、様々な感情や思いがあることを忘れてはいけません。
また、そのコミュニティ自体も変化を繰り返していますから、雰囲気や方向性が変わってしまうことは避けられないことです。
過去であっても今であっても、
- 所属している環境に愛を注ぎすぎてしまったり、
- 居心地の良さに浸り過ぎたり
してしまいますと、大きな反動が跳ね返ってきます。
悪く言えば「固執」という表現が妥当でしょうか。
だから、ほどよく環境に足を突っ込みながらも、いつでも柔軟に動けるようにしておくことが大切です。
そういうマインドを持っていますと、「あの時はよかったのに…」と思うこともないですし、変わっていくことはむしろ当たり前のことなのだ、と思うようになります。
人間、長く1つのコミュニティに所属していればいるほど、そこに愛着や所属意識を持つようになります。
悪いことではないのですが、厄介なのは「行き過ぎた時」でして、そのままそこにとどまろうとしたり、離れても口を出そうとしたりすることです。
以前の僕ですね笑。
環境も、変わってしまえば過去のものです。
コミュニティや環境という「箱」は無数に存在している世の中ですから、その中にはみなさんが心地よく思える「箱」が、必ずいくつか存在しているはずです。
しかし、それらに「出入りすること」を何度も繰り返してゆく中で、
- 箱の中身が変わること
- 箱の状態が変わること
- 箱の内装や雰囲気が変わること
に気づき始めるでしょうし、驚かなくなってきます。
環境の変化の波にもまれていく中で、次へ次へと乗り換えてゆく。
あまりにも速い展開で移っていくことは一見悪いことのような気もしますが、一方で遅過ぎても取り残されてしまい、難しいところです。
むしろ今の時代は、変化のスピートがかなり速いですからね。
大切なのは「自分の主観的な気持ち」と「環境への客観的な視点」とのバランスを、持ち続けることです。
- コミュニティや環境への愛も残しつつ、
- それ自体の現状を客観的に見て、
- バランスをとって距離を保つ。
自分がいた時代も良かったのかもしれませんが、それはあくまで主観的なものです。
今は今で、しっかりと良いこともあります。
所属していた時だからこそ味わえたこともありますし、一歩引いてそのコミュニティや環境を離れることで気づけることもあります。
いつでも「自分」を中心に据え、現在所属している環境の中で努力し、去った環境は新しい人に任せ、現在の環境もまた過去のものになるものだと思って、変わっていきましょう。
僕も次へ次へと、移り変わっていこうと思います。
おわりに
以前のコミュニティや環境に顔を出したり口を出したりすることは、その人のコミュニティや環境に対する愛ゆえのことです。
だから僕はその感覚を否定しませんし、僕自身も「過去に自分がいたところ」に思いを馳せたり、顔を出したりすることもあります。
ただし時間が経ってしまえば、過去にいた場所にかまっている余裕はなくなってきます。
人にはそれぞれの役割があり、それぞれの場所でこそ大いに力を発揮します。
うまくいかないコミュニティや環境はいずれ淘汰されますし、「箱」それ自体が潰れます。
だから過去にいた人が、以前の場所に過度に干渉する必要はないと思っています。
僕も気をつける必要がありますので、自戒の念も込めて、今回のツイートを参考にさせていただきました。
でもこうした発言にもどこか「人間臭さ」があって、
「この人はこのコミュニティを、心から愛していたのだなぁ」
と感じました。
その人の思いやモヤモヤも、その人の課題です。
僕は僕で、今いる環境を大切にして、最高のパフォーマンスをしていきたいと思います。
それではまた!
コメント