僕がたまに休んで基本は動いている理由【走り続ける30代の男】

幸せ

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

たくさんの自己啓発本を読んできましたが、今読んでいる「苦しかったときの話をしようか」も、

なかなかの名著だなぁ…

と感動しています。

僕は今、あまりFIRE(経済的自立と早期退職)を目指しているというわけではなくて、

自分に何かできることはないか?

と考えることが多く、夜も眠れません。(爆睡)

今日はふと、道をゆっくりと歩いている老夫婦を見かけました。

老後、自分は何をするだろう?

と考えましたが、すぐに答えは出ていました。

今日は、僕があまり休むことなく常に動いていたい理由を書いていきます。

悠々自適な老後生活なんて考えられない。毎日アクティブに生きたいのだ。

そもそも老後って何?

「老後」という定義自体、おかしな時代となってきました。

人生100年時代であり、本書にも「LIFE SHIFT」にもそう書いてありますよね。

もはや「共通認識」となりつつある長い人生。

そう考えますと、「老後」とは一体いつからを指すのかがわからなくなってきています。

僕は当初、

FIREを目指して自由になるんだ!

と意気込んでいました。

それは配当金などのいわゆる「不労所得」で生きていくことができたらなという、淡い期待が発端でした。

ここに、僕の思考の変化の面白さがあります。

老夫婦を見て、それが正解だとか間違っているとか言いたかったのではなく、

自分は経済的に豊かになった後、ゆったりと生きているだろうか?

と考えたのでした。

以前も、FIREを目指す過程で考え方が変わっていったことを記事にしました。

老後という考え方は、今を必死で生きている人には、あまり意味のない言葉なのだなということに気づきました。

漫画「スラムダンク」でも、主人公の桜木花道がこんな名言を残しています。

オヤジの栄光時代はいつだよ…

全日本のときか?

オレは……オレは今なんだよ!!

今を生きる」という言葉は、現代において多くの人が大切にしている言葉です。

死んでいるように生きていれば、それはもはや「老後」なのかもしれません。

みなさんなら今をどう生きますか?

僕なら、いつになっても全力疾走している人でありたい。

今も今後も、そのように生きてゆきたいのです。

老後とはいつのことだろうか。そんなことより「今」を全力で駆け抜けてみてはどうだろう?

ゆったり生きるなんて退屈すぎる!

自分の体が老いてきますと、できないことも増えてきます。

だからこそ僕は、30代という今を必死で生きています。

特に今年(2022年)の夏は、本当にたくさんの場所を旅しました。

  • 熊本
  • 名古屋
  • 東京
  • 知床
  • 大阪

と、1週間のお盆休みで「これでもか」というくらい旅をしました笑。

国内ではありますが、こんなにお金を使っていろんなところに行ったのは、人生で初めてだと思います。

それは「明日死ぬかもしれない」と思っているからでもあります。

これは冗談ではありません。

恵まれた環境で生きていますと、平和な世界が永遠に続くと思ってしまいがちです。

僕は知床に行ったとき、

熊に襲われて死ぬ可能性もあるな

だとか、

飛行機めっちゃ揺れてる…これは死ぬかもしれないな

と思ったくらいです。

その時に「後悔はあっただろうか?」と考えましたが、

来年からやりたいことはあったけど、ここ1年で動き回ったから、死んでもこれは運命かな

と思えました。

でもこれが、全く動き回ることなくゆったりとした人生を送っていたとしたら、激しい後悔に襲われていたことでしょう。

もちろん、「悠々自適な生活」を否定しているわけではありません。

しかし僕にとっては、

  1. 巨額の退職金を得て、
  2. 年金でゆっくりと過ごしている。

そんな自分を想像することができなかったのです。

当初の「FIREをしたい!」という考えとは大違いですね笑。

もともと多動傾向にある僕からすると、じっとしてはいられないのです。

では、その「動き回る時間」を何に使うかと言えば、

  • 旅行
  • サウナ
  • 美術館

など、以前は「1人でアクティブに動くこと」に費やしていました。

現在、それだけでは飽き足らず、

  • 人に会いに行く。
  • 人のためになる仕事をする。

ということばかりが、頭に浮かんできてしまいます。

考えれば考えるほど、「老後」というイメージができなくなっていく毎日です。

自分にできることを、精一杯やり切る人生にしたい
  • 多くの書籍を読んで、
  • 多くの人と出会ったからこそ、

行き着いた答えでした。

老後なんて考えなくていい。本当に自分がやりたいこと、自分のできることにフルコミットして生きたいのだ。

休んでいる暇なんてない

  • ブログを始める前
  • コロナが本当にひどかった時

は、1人時間がとても長かったことを覚えています。

その時から、自分の本能の赴くままにいろんな場所に出かけては、リラックスして自分と対話をしまくっていました。

お金の使いどころもわかるようになり、

こうやってお金を払ってでも、安らいでいる時間っていいなぁ

とすら思っていました。

それもあってか、「FIREを目指した」のだと思います。

しかし、

  • ブログを始めて
  • コロナも落ち着いてきて

と、だいぶ状況も変わって発信すること人と関わることが多くなってきますと、1人の時間が「いい意味で」少なくなってきました。

思考が少しずつ変わり、旅行やサウナ、美術館といった「自分を大切にすること」のためにフル活用していた時間が、人と会ったり人のために割いたりする時間へと変化していきました。

その中で、最低限の「自分が幸せだと思えること」を合間合間に入れるようになりました。

休日どこに行っても24時間、ビジネスや(と言っていいのかは微妙ですが)将来のことで、頭がいっぱいになるようになりました。

またブログや授業準備の作業も楽しくなり、

空いている時間をいかに使おうかな?

と考えるようにもなりました。

ここ数ヶ月は、1日中必ず何かしらしていることがほとんどで、良い言い方をすれば「多忙」なのかもしれません。

これが一生続けばいいな

と思っているのだから、やはり僕は変態なのかもしれませんね笑。

仮に今、「経済的自立」をしていたとしたら、即刻先生を辞めていることでしょう。

もちろん、経済的自立はしていない現状ですが、来年に先生を辞めますけどね笑。

結局、やることは一緒なのです。

環境や条件を揃えてからでは遅い。

そう思うから、次に飛び込むのです。

  • 休日だろうが
  • 夏休みだろうが
  • 旅行中だろうが

休んでダラダラする時間は、サウナでととのっている時くらいで十分です笑。

死んでるみたいに生きたくない。

生きてるみたいに生きるんだ。

伊坂幸太郎著「グラスホッパー」の言葉通り、休んでいる時は自分のスイッチをOFFにしている時です。

そんな人生よりも、もっとワクワクする人生が待っています。

命を燃やして生きている今の僕は、今まで死んでいたような「老後」から生き返ったのです。

休んでいる暇なんてない。動いて動いて生き抜くことを考えれば、老後なんていう発想に至らないのだ。

おわりに

なんども言いますが、「老後」をゆったりとしたイメージに落とし込んで、否定しているわけではありません。

誰もがそのように生きているわけではありませんし、そんな生き方を望む人もいます。

でも僕は、公園のベンチに座ってリラックスしている自分を想像した時に、

僕の人生はこれではない

と、頭からそのイメージを振り払うことしかできませんでした。

実際、以前は「そんな生活」をしていたのに、

  • もっともっとエキサイティングで、
  • もっともっと幸せで豊かな生き方がある。

そう思える人たちや、経験に出会えてしまったのです。

あとは好きなほうにコミットすればいい。

僕にとっては後者だったという、それだけのことだったのです。

  • みなさんにとっての人生は何ですか?
  • どうやって生きていこうと思っていますか?

ぜひ考えてみてくださいね。

それではまた!

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