こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先生たちが、保護者の方々から聞いて嬉しい言葉は、様々あります。
面談期間で保護者の方々と話していた時、一番嬉しかった言葉は、
という言葉でした。
そう思う理由は、様々あります。
今日は教員9年目の僕が目指す「学校の理想像」をお伝えしていきます。
前提条件:みんながみんな、楽しいわけじゃない
そうは言ったものの、僕は学校の「ネガティブな面」も受け入れるようにしています。
まず大前提として、「学校を楽しめていない生徒」がいることを頭に入れておかなければなりません。
- 無気力
- 不登校
- つまらない
という問題はいつの時代でもありますが、僕はそれらを無理に根絶しようとすることのほうがよくないアクションだと思っています。
「学校」という空間自体が、すでに「強制力のある場」であり、生徒全員が無理やりコミットする必要はないと思うからです。
- 苦手な集団行動
- 毎朝早くから授業を受けること
- 席に座っていなければならないこと
など、それぞれに合わないこともあります。
個人に合った進路を模索し、その都度、舵を切って進路を変えてゆくことも、今の時代では当たり前のことです。
保護者からのポジティブな声は、確かに嬉しいものではありますが、一方でそれに一喜一憂することが、今回のテーマではありません。
ただ、そんなネガティブな考え方を含んだ前提のもとで、
と言われること。
これがいかに僕にとって嬉しいことか。
みなさんにもわかっていただけるかと思います。
楽しいと思える空間とは?
先生にできることなんて、僕はほぼないと思っています。
ただ、とても大切にしていることがあります。
それは「干渉しすぎないこと」です。
特に思春期の男どもは笑、誰かに指摘されたり、ぐちぐち言われることを嫌います。
(僕自身もそうでした。言われるほど反発したくなるものです)
僕のクラスは男子クラスですので、重要なことだけはできる限りサッと伝えて、あとは生徒たちが好きなようにできる時間をとるようにしています。
一方で「先生という生き物」は、教壇をステージか何かと勘違いし、
と思ってしまう人もいらっしゃいます笑。
確かに授業やホームルームでは、
- プレゼン能力
- パフォーマンス力
は大切です。
しかし「学校が楽しいと思える瞬間」は、友人や仲間との時間にあると思っています。
同世代と一緒にワイワイやれる時間が、中学や高校で最後になる生徒もいるからです。
やっぱり同世代の友達とワイワイするのが、学校に行く1つの大きな目的ではないでしょうかね。
干渉やコントロールをしようとすればするほど、
と、僕は思ってしまいます笑。
そんな「先生の統治する環境」よりも、
「友人たちに会いに、学校に行くこと」
のほうが、生徒たちにとっては重要事項なのです。
逆に言えば、楽しめるかどうかは生徒たち自身のコミュニケーション能力や、合う合わないにもかかっているということです。
放置し過ぎてしまうことはダメですけれど、
というスタンスが、僕の思う担任としての理想の立ち位置です。
だから、
と言われて嬉しいのは、僕がどうこうしたからではなく、
- 彼らが自分たちで道を切り開き、
- 楽しい空間を勝ち取ったその過程
に、感動するからです。
「自分の手柄」と思っていた若い頃は、まだまだ未熟でした。
今は、純粋に生徒たちの成長を、親のように近くで見守っています。
生徒たち自身が、自分たちの力で成長してゆく姿を見ること。
これこそが、先生であることの最大の特権なのです。
学校の学びは、仲間との出会いである。
みなさんも、気の置けない友人と会う時ほど、テンションが上がって楽しくなることはないと思います。
先述したように、コミュニケーションが苦手な子にとっては、一人でいるほうがいいこともあります。
しかし、基本的に学校は「誰かと会い続ける空間」です。
できるのであれば、それを利用するに越したことはありません。
クラスの男どもが、
- くだらない遊び
- ちょっとしたおふざけ
を重ねるごとに、
と思って見ています笑。
僕らも、
- 部活
- 勉強
- 恋愛
- 文化祭
- 体育祭
と、それぞれに青春があったかと思いますが、いつでもその「場」には友人や仲間がいたはずです。
その時間や空間を「楽しい」と思えることは、今後の人生においてとても大切なことだと思っています。
「学校が楽しい」という言葉には、ただのポジティブな意味合いだけでなく、様々な感情や過程が入っているからです。
- 友達や仲間を作れたこと
- お互いに楽しめる仲間になれたこと
- また会いたいと思い合える存在になれたこと
など、生徒自身の努力なしにはできなかったことだからです。
もちろん、
という子もいますが、それもまた自分にフィットした環境を見つけることができたからでしょう。
「勉強」という努力を重ねている証拠でもありますしね。
これらの理由から、
という言葉は、僕にとってこの上なく嬉しい言葉なのです。
彼らが卒業してしまうと思うと、ふと泣きそうになることすらあります笑。
彼らが「楽しい空間」とは、こちらが無理に提供しなくても、彼ら自身で創り上げていきます。
その姿を見守りながら、彼らの巣立ちを見届けたいと思っています。
おわりに
僕も、学生時代は学校が楽しくて仕方ありませんでした。
確かに勉強に身を捧げていましたが笑、それ以上に友人たちとの時間が幸せな時間でした。
今でも繋がりのある友人はあまりいませんが、大切なのはその時の「楽しい」という感情です。
もし楽しめなかったとしても、それは「努力不足」ではありません。
また別の環境で、自分に合う場所を見つけていけば良いのです。
という人があまりいないように、人間どんな環境でもフィットするわけではありません。
ただ、どこかで楽しめていたということは、その人の努力や運の良さゆえです。
「学校が楽しい」という言葉は、必ずしも正義ではありませんが、先生である僕にとっては、少なくとも嬉しい言葉ではありますね。
彼らが楽しめる空間を考えながら、また授業やホームルーム運営をしていきたいと思います。
それではまた!
コメント