こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
本日は、帰国してからなかなか会えていなかった友人たちと、会うこととなりました。
特に変わらない形で会うことができた僕は、心の中で密かに、
と思って感動していました。
人と会い続けてきた僕ですが、
- そこまで稼いでいなくても
- 少しの時間会わなくなっていても
こうして集まってくれるのはやはりとても嬉しくて、
と思いました。
今日は「再会」について書いていきます。
一期一会
人と出会い続けた2022年。
それから世界を旅して、日本に帰ってきてからも、「また会いたい」と言われることが、どれだけ嬉しいことなのか。
これらの「出会い」は、一度きりの僕の人生の中で、全てが意味のあるものとなっていきました。
今日も「集まるよー」と声をかければ、
と言ってくれる人たちもいて、一方で空いてなくても「また今度誘ってね!」と言ってくれる人たちもいました。
人間関係とは難しいものでして、ずっと仲が良くても「無理だ」と思った瞬間から一生会うことがなくなることもあれば、ちょこっと会っただけなのに再び会うことになるなど、本当にわからないものです。
特に「久しぶりに会うこと」は少し緊張感があるものですが、それでも「会おう会おう!」となるのは、お互いのフランクさと信頼関係があるからなのだと思っています。
仮に遠い昔に会ったことがあるだけだったとしても、僕が「会いたい」と思えば、世界中のどこでも会うことができます。
今日も久しぶりに会った人たちがいましたが、それでも「また会えた」という事実は、揺るぎないものであり奇跡に近いです。
だから僕は、
と思ってしまったわけです。
仲が良ければ、それは簡単に見えるのかもしれません。
たとえそうだとしても、連日のようにいろんな人に会い続けることができている現実に、僕は驚きを隠せないのです。
- 疎遠とか
- 仲が良いとか
いろんな要素はさておいて、会いたいと思えば会えばいい。
一期一会を大切にして、また会っていけばいい。
僕は人生をかけて、より多くの人と出会い続けていくのだと思います。
それが僕の人生であり、僕の人生の中での「幸せ」なのですから。
一度会った人とまた会うという奇跡。その奇跡を大切にしていこう。
また会いたいと伝えること
「会いたい」と言ってもらえることは嬉しいのですが、今日のように人を誘うことも、僕にとって珍しいことではありません。
それは僕が、
とわかっているからです。
だから、
と伝えて、会える人にはいつでも会うようにしています。
それはもしかしたら、数年越しの再会になるかもしれませんし、人によってはもう次回がないかもしれません。
たまたま久しぶりに会う人がいるように、何が起こるかわからないのが人生ですからね。
だからこそ、僕は「今会えること」をとても大切にするようになったのだと思います。
以前の僕だったら、
と、意地を張っていたと思います。
今は人に頼っているというわけではありませんが(後述します)、自分の力を最大限に引き出すために「人と会う予定」を入れることに躊躇しなくなりました笑。
それは、
- お金も
- 時間も
かかることです。
でも普段お金を使わないのだから、そこに全振りしていけばいい。
そうして人と会うことで、また次から頑張ろうと思えるのです。
もちろん、働くことそれ自体も楽しいですから、今の生活は何もかもが楽しいです。
「人に会いにいくこと」が今の僕の全てであり、それがまた久しぶりですと感動も一入(ひとしお)です。
会えば会うほど、「また会おう」というフック(=きっかけ)となっていきます。
いいのです。
その後、何年も会えなくなっても。
『本当に会いたい人』であれば、それまでの期間なんてどうとでもなる。
- 居酒屋でも
- 喫茶店でも
気の済むまで話し込んで時間を共有して、またそれぞれの道を歩んで行けばいい。
今日の再会もまた、僕にとっては次の再会のための「きっかけ」となってしまうのですね笑。
自分が辛くなった時、
と伝えること。
でもそれは元気をもらうためだけではなく、お互いにとっていい時間にすることが目的です。
そのために日々を頑張る。
頑張る僕だからこそ、みんな会ってくれるのですから。
会いたい人には会いたいと伝えていこう。そうして人生を豊かにしていこう。
もう怖がることなんてない
先述したように、僕は「今まで一人で生きてきた」と思い込んでいました。
でも本当はすごく寂しがり屋でしたし、人に助けられながらここまで来ることができました。
だから僕自身が頑張るその姿を見せていくことが、間接的に人の助けになるとも感じるようになりました。
昔の僕は、
- 嫌われること
- 周りから離れられること
を怖がっていたのだと思います。
面白いものでして、人が離れていくことを怖がっていた時ほど、人に優しくなれることができませんでした。
それは「自立していないこと」を意味しており、他人に依存している状態でした。
今では、
という「強い意志」みたいなものがあって、精神的にも強くなっていました。
「自立」すればするほど、人が離れていくことに対する恐怖心がなくなってきます。
矛盾しているようですが、
と思っている時ほど、人に求められるようになります。
すなわち「自立」しているからこそ、自分を貫いているからこそ、そこに「魅力」が生まれるようになるのですね。
以前の「会いたい」は依存を意味する「すがり」みたいなものであったのに対して、今はフラットな気持ちで「会いたい」と思うことができています。
この違いは大きいです。
- 自分を中心にして考えているか
- 他人との繋がりを考えているか
という差があるからです。
と思っているうちは、大抵うまくいきません。
そうではなくて、そこに繋がりを求め、臆することなく「集まろう」と言えること。
今の僕は、会う時の気持ちやその意味を、とても大事にするようになりました。
以前の僕は、とても怯えていましたけどね。
「人に頼る」ということは、その字面だけでは意味がわからないものですが、今の僕はいい意味で人に頼り、人生を豊かにしようと思えています。
その気持ちを持って、人と出会い続けること。
そうすれば、もう怖いものなんてありません。
僕はもう自立しており、かつ助けてくれる友人がたくさんいるのですから。
おわりに
別に今日に限ったことではなく、僕は毎週毎月、多くの人と出会ってはたくさん話をしています。
大きくお金を使うことが目的なのではなく、一生に一度しかないその時間を大切にしようと努めることです。
だから僕はまた頑張ります。
人と再会した時に、自分が成長していなければ、話すことがありませんからね。
さぁ、また明日から頑張りますよ。
それではまた!
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