学歴主義は人生において大切なこと?【生涯「学び」続けていこう】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日から永守重信さんの「成しとげる力」を読み始めました。

まだ1章しか読めていませんが、彼の「力強さ」に圧倒されてしまいました。

彼が人を雇用する時、様々な試験を行なったそうです。

  • 誰が一番大きな声を出せるか
  • 誰が一番早く弁当を食べ終わるか

など笑。

しかしその効果はすさまじかったようで、それによって採用された方々は、売上げの業績に貢献したそうです。

永守さんは、

学歴なんて関係ない

とおっしゃっていました。

今日はそこに関連して、「学歴社会/学歴主義」の話をしていきます。

学歴は関係ない。結局は、その人の「愛」がものを言う。ただ、生涯学習は続けていこう。

学歴は人生の成功に関係ないのか?

ずっと勉強してきて、晴れて教師となり、英語を教えている身である僕からしますと、勉強は必要ではありますが、成功するために不可欠だとは言い難いと思っています。

ただ、どの分野においても「知識」は必要となってきますので、そういった意味での「勉強」は必須でしょう。

まず話題にしたいのは「学歴」ですので、勉強そのものにフォーカスを当てるのは後にしましょう。

では「学歴」とは人生において、大切なことなのでしょうか。

高校は出ておいたほうがいい

と言う人もいれば、

給料がぜんぜん違う

と言う人もいますね。

確かに「給料」「社会的地位」にスポットライトを当てますと、高学歴であるほうが有利に働くようにも見えます。

しかし僕は、人の本質は違った点にあると思っています。

頭の回転が速かったり、スマートに仕事をこなせたりする人も、それはそれで素晴らしいことですが、それこそが正義と断言することはできません。

出身の高校や大学はあくまでその人の「努力の証」であり、名前自体に価値があるわけではありませんよね。

例えば「先生」の中にも様々なレベルの先生がいるように、

先生なんですか!すごいですね〜

と言われても、一概に「みんながみんな、すごい…」とはいい切れないからです。

  • 「〇〇高校」
  • 「〇〇大学」

と言われても上から下までたくさんいるように、いわゆる「学歴」だけでは人の本質を判断/理解する材料とはなり得ないのです。

その努力ゆえに、ある程度の会社や働き口は約束されるかもしれませんが、

=人生の成功/人生の豊かさ

には直結しない。

それは人生が学歴だけではいと、多くの偉人たちがすでに証明してきたからです。

日本では、いまだに「高学歴」を聞くと「おー」となってしまいます。

ただその場合、

努力されたのですね

という意味で感心しましょう。

「学歴」=「偉い」

ではありませんから。

数字をとって主席になることは素晴らしい。しかしそれが成功や豊かさに直結するかと言われれば、必ずしもそうとは言い難い。

必要なのは学歴ではなく「愛」

おいおい、何を言い出すかと思えば…

自分でもパッと思いついたので書いてしまったのですが、学歴以外にも大切なことがあるなと思った時に、それは「」だと思いました。

愛にも様々な「カタチ」がありますが、

  • 人生で成功している人
  • 豊かな人生を送っている人

は、みなさん愛で満ち溢れています。

  • 人に対する愛
  • 仕事に対する愛
  • 家族に対する愛

など、1つとってみても愛に満ち溢れています。

「愛」と言っても定義は広いですし、とても抽象的な説明となっていますが、

情熱を持って何かに取り組むこと

だと認識して間違いないかと思います。

永守さんが様々な形の面接をされたように、要は「頭」だけ良くても仕方ないということなのです。

なんども申し上げますが、

  • 頭がいい
  • 学歴がいい
  • 処理能力が高い

ということは決して悪いことではありませんし、何かしらの武器になりますので否定はしていません。

ただ、成功してきた人の多くが愛に溢れた人たちだったように、人生においての成功は「学歴一択」ではありませんよね。

何かしらに対する愛

僕はこれさえあれば、「人生どうとでもなる」とすら思っています笑。(言い過ぎ)

  • 人に愛を与えられる人
  • 自分の好きなことに情熱(愛)を注げる人

そのベクトルの先がたまたま「勉強」になるかもしれませんし、「スポーツ」や「アート」に向く可能性もあります。

ひとたび「愛」を持つことができれば、勉強だのスポーツだのビジネスだの、その分野のスキルや知識は結局後からついてきます。

専門職などはまず知識や技能が必要なんじゃないの?

いいえ。

その前に、その専門分野に対する「好き」や「愛」がなければいけません。

「学歴社会」とは、たまたま「学歴」という言葉が勝手に一人歩きしただけだと思っています。

ものごとの本質はいつもシンプルで、情熱を伴うものです。

僕の友人や生徒の中には、勉強は苦手でも、

  • 1つのものに情熱を注いでいる。
  • 人に接する時にやたらと優しい。

など、その人なりのキャラクターがあります。

そのため、彼らの学歴なんて聞かなくてもいいくらいです。

愛や情熱をもって何かに取り組むことができれば、それが利益を生んだり、人を呼び寄せたりします。

学歴はそのうちのたった1つの要素でしかないのですね。

学歴は二の次、三の次の情報だ。それよりも、当人が夢中になって愛を注いでいることのほうが大切だということを知ろう。

ただし生涯学習は続けよう

とはいえ、「勉強」はとても大切です。

僕自身、勉強が好きだった「ガリ勉」だったから言うのではなく、やはり一生をかけてずっと学び続けることが、人生において大切なことだと思っています。

ただ、

  • 資格試験を受ける。
  • 教科書とノートで勉強する。

と言った、「ザ・勉強」だけを表しているわけではありません。

  • 読書をして偉人から学ぶ。
  • 人と雑談をしてヒントを得る。

このようなことも、僕は「勉強/学び」だと思っています。

実際、僕もガリガリ勉強することよりも、実戦で学ぶことのほうが多くなってきました。

ここでも「バランス」はとても大切でして、

  • 知識を入れる勉強
  • 人や経験からの学びや教え

を、両方培っていく必要があると思っています。

どちらも特に頑張ることなく成功している人なんて、聞いたことがありません。

肉体労働者だろうがアーティストだろうがスポーツ選手だろうが、勉強はなくても「学び」があるでしょうし、本格的に書物や科学的な見地から「勉強」する人もいます。

人間には「知識欲」が必ずあり、それは本能的な欲求ですから、押し殺す必要はありません。

2005年、一世を風靡した「女王の教室」というドラマでは、こんな名言が飛び出しました。

勉強はしなきゃいけないものではありません。

「したい」と思うものです。

(中略)

いい大学に入ろうが、いい会社に入ろうが、いくつになっても勉強しようと思えば、いくらでも出来るんです。

好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。

勉強は、受験の為にするのではありません。

立派な大人になる為にするんです。

なぜ勉強するのか。

正直なところ、そこに答えなんてないと思っています。

でも人間なら、好奇心が旺盛で、何かを学び続けたいと思うはずです。

その純粋な気持ちを忘れることなく、また「学歴社会」という言葉に目もくれず、一所懸命勉強していけば、それでいいのです。

「学歴社会」なんて意味をなさない。しかし、人としてずっと学び続けよう。それが本来、人間のあるべき姿だからだ。

おわりに

僕は一所懸命勉強をしてきたほうですが、「学歴社会」についてはあまり考えたことがありませんでした。

悪い意味で、

勉強するのが当然でしょ?

と思っていたからです。

相変わらずイヤなガキでした笑。

でも、実はとても本質を突いているような気もします。

学歴それ自体はどうでもいいかもしれませんが、何においても勉強はしていくものだからです。

「学び」と捉えてもいいかもしれません。

人は勉強し学んでいくことで、知らないことを知り、成長していくことに自分の意味を見出します。

実は僕みたいに、

学歴社会なんてクソ喰らえ

と思う人ほど、勉強をするのかもしれませんね笑。

みなさんもぜひ、一緒に学んでいきましょう。

それではまた!

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