こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、ふとした瞬間に「ちいかわ」の動画が流れてきました。
どうやら、
なのではないようなのです。
少し動画やコメントを見て、
と感じました。
実は彼らの世界はシビアでして、
と思わせるほど、ついつい涙してしまいます。
今日は「健気に生きること」について書いていきます。
自分ばかりに目を向けない

自分がツラい時とは、人に目を向けられなくなります。
と、世の中の理不尽にイラ立ち、当たり散らかしてしまいます。
僕もここ最近でいろいろあって、
と感じていたとともに、友人たちに会えば、
とも同時に感じました。
そしてすぐに「自分」から目線を移し、道行く人たちに目をやりました。
と、改めて感じたわけです。
- 受験生
- フリーター
- サラリーマン
- 生活保護受給者
など、比べてはいけませんが、それぞれにはそれぞれの境遇があって、
という言葉すら出て来ることなく、「病んでしまう人」だっています。
他人にかまっている余裕はないと思いますが、
- 他人のことを想ったり
- 他人の生活を想像したり
できる人は、「優しい人」だと思っています。
金銭的に助けてあげるとか、そういう話ではありません。
ちゃんと、相手の状況を考えられる「余裕」があるということです。
そういう意味で僕自身のことは、一度棚に上げておきましょう。
世界は広く、困難に直面している人はたくさんいます。
「ちいかわ」の世界のように、
- 働いて
- 飯を食って
- 友達と会って
そこに幸せを感じること。
と言えたら、一度幸せを深く感じてみることです。
みんな頑張っていることを知っておく

みなさんも、ふと、
と思うことはあるかと思います。
僕もそのうちの一人ですし、それが分かってからというもの、「世の中に無数の仕事が存在する」という事実を知り、数年前から「他の人の働き方」に興味を持つようになりました。
と。
僕が先生を辞めると決めた時には、それこそ、
と豪語していたものです笑。
どうにかこうにか、やっていけるのが日本だということ。
どの生き方も「正解」であり、当然「楽(ラク)な道」なんてありはしません。
こういう発想にならない限り、いつまでも「自分の境遇」ばかりに目を向け、
と理不尽な世の中に対して、「理不尽に」当たることとなってしまいます。
「ちいかわ」の世界を見ていますと、なんと言いますか「その日暮らし」をしていて、なんとも健気に生きているのです。
それでも、必死に生きて行く姿。
それを僕らは、どこかで忘れてしまっているのかもしれません。
と。
もちろん、日本にいるだけでも、相当な「アドバンテージ」ですけどね。
生きてゆくのは楽ではありませんが、
と思えるのであれば、その事実もちゃんと理解しておくこと。
- 恵まれてもいるし
- 自分もみんなも頑張っている
みんなで豊かになっていきましょう。
それでも健気に生きてゆけ

SNSを見れば、いろんな「商材」がいたるところで売っています。
- 数ヶ月で稼げました
- 楽して稼ぎたくありませんか?
などなど。
僕は「お金関係のコミュニティ」に属していますが、稼いでいる人ほど “そういう安い言葉” を口にはしません。
と言う人もいなくて、
と言ってくれます。
僕はその性格やバックグラウンドから、
が大事だと思っている「派」です笑。
すぐに結果が出るのは、言い方は悪いですが「泡銭(あぶくぜに)」だと思っているくらい、価値すらないと思っています。
しかも、世界の大半の人が「労働者」なわけですよね。
僕だって事業をしているからと言って、
なんてなっていません笑。
少しずつ周りの人の信頼を得ながら、見ず知らずの人からも、
とまで言われるようになりました。(それはどうなんだ?笑)
もちろん、それを「あて」にしているのではなくて、信頼関係とは「積み上げ」式であり、社会とはそうやって回っています。
「一度の失敗」を叩く必要はありませんが、
- イヤな性格
- 調子に乗っている
- 人を見下したような態度
であれば、いずれ人は離れて行ってしまい、結局「お金」からも嫌われてしまいます。
だから僕は、「ちいかわ」のキャラクターたちのように、
そんな人間になりたいのです。
そして大半の人が労働者であるように、そこに共感してくれる人は多いのです。
「みんなで」というワードを武器にして、小さな幸せを感じながら生きてゆくこと。
- 小さく
- 健気に
- 一所懸命に
僕の人生は、ずっとそれでもいいくらいですね。
おわりに
なぜこんなにも「ちいかわ」が流行っているのか、なんとなく謎が解けました。
YouTubeのコメントも、「かわいいー!」という類(たぐい)のものはほとんどなく、
というような、「自分に照らし合わせている人」が多いということに気がつきます。
共感されるということは、それだけ「似ている想い」を、庶民たちは持っているということ。
いつまでもその感覚を忘れることなく、健気に生きていきますね。
それではまた!
