自分の時間も他人の時間も無限にあるわけではない【与えて受け取る話】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

個人事業主を始めてみたところ、時間単価について考えることがありました。

僕がお金をいただいて何かを教えるなんて…

公務員時代には考えられなかったこの発想が、たった3ヶ月程度で、

自分の時間は無限じゃないし、タダで教えるわけにはいかない

と思うようになりました。

これは以前の、

誰にも何も渡さないぞ!

という考え方とは全く違います。

今は純粋に、「自分の時間」について真剣に向き合えているということです。

今日は「自分の時間の価値」について話していきます。

自分はタダではない。でもそれは働いてからわかったことだった。

自分の市場価値は市場に出てわかる

よく、

市場価値がわからないだろうけど、価格設定は大事だよ

と言われます。

結論から言えば、それを決めることは「難しい」と感じましたね。

僕もいろいろと迷いましたし、いろんな人に聞いた上で価格を決めました。

ただその実感が伴ってきたのは、始めてからでした。

正直に言いますと、こればっかりは「始めてみないとわからない」というのが答えだと思っています。

市場が決めることでもありますからね。

自覚するには時間がかかるのです。

僕も最初こそ、

こんな値段でやってしまっていいのだろうか?(ガクブル)

という状態でした笑。

でも事業を続けていきますと、

これでやっています。何か?

と思えるようになり、「なんでもかんでも僕から聞こうとする人」に対しては、

うん。ちょっと考えようか♪(笑顔)

と言えるようにもなりました。

少しずつではありますが、

自分の価値はこれくらいなんだ

と、徐々に思えるようになったのです。

「自分はタダではないんだ」と思うのは、自分で感じるというよりも、対価を払ってくれた人から学ぶことのほうが多かったです。

どんなに親しい友人でも、

明日勉強教えて。あと来週も教えて

と来ましたら、他で「対価を払ってくれている人」に申し訳ありません。

  1. 友人にも僕をTAKEさせることになり
  2. かつ他の生徒さんたちに対しても不公平になる

という構図が生まれてしまい、信頼を失います。

これくらいの価値で、これくらいの情報やノウハウを教えているよ

というルールと、対価をもらったことで生まれた自覚と合わせて、だんだんと自分の市場価値がわかるようになったのです。

自分の市場価値なんて、自分で外に出てみてわかるものだ。それまでに決めることはかなり難しい。

時間を奪うことは命を奪うこと

大袈裟かもしれませんが、

「時間を奪うこと=命を奪うこと

ということに、ようやく気がつきました。

「自分が価値を与えているだけの時間」は、誤解を恐れずに言えば「ムダ」になりかねないからです。(逆(=人の時間を奪うこと)もまた然り)

あれもこれも教えて

と言われてしまいますと、

僕の話(教員時代、世界一周の話)を、お金を払ってまで聞きたいという人がいるんだけどなぁ…

と思うようになったからです。

これは別に、

  • 自分が偉いとか
  • 対価を払えないやつは要らんとか

そういうことではなくて笑、世の中の真理だとわかったのです。

そんなシンプルなことに、公務員時代は気づくことができませんでした。

確かに按配は難しくて、

  • 僕が自発的にやっている
  • お互いにGIVE&TAKEがあって成立している
  • パッと見、相手にTAKEしようという印象はない

という絶妙なバランスの上に、初めて成り立つものです。

だから、タダであれこれ教えるわけにはいきません。

少し難しいのですので、もっとざっくりかつ乱暴に言えば、「お互い気持ちのいい関係」であればいいのかなと笑。

僕の時間単価や、事業についてわかっている人ほど、なんでもかんでも時間を取ろうとせず、

お金払うから、お話しを聞かせてほしい

と言ってくれます。

以前の僕だったら、

そ、そんなそんな!

と思っていました笑。

僕自身も、いろいろと新事業で困ったときに、経費について友人に聞こうとした時は、

(あれ…あの方ってプロだけど、気軽に聞いていいのかな…)

と、ワンクッション入れたくらいでした。

結果的には、僕が朝活をやっていたおかげで、

いつもお世話になっているので、それくらい教えますよ!

と言ってくださいましたけれど。

要は、僕が培ってきた、

  • 経験(教員、世界一周)
  • 英語(勉強法、教授法)

のようなものには、それだけの価値があるということ。

その価値をいただかずして、ずっと僕の時間(=命)を差し出していたら、すぐに僕が疲弊してしまいます。

だから時間を差し出す時は、必ずそこに「対価」を伴わせること。

自分が好きでやらない限りは、相手にTAKEさせてはいけないのです。

自分の時間は命だ。経験やスキルがあるのならば、必ず対価を伴わせよう。

自分のためにタダでやる

とはいえ、僕は公務員時代から、「GIVEすること」についてはいろんな “実験” をすることにしていました。

それが心地よかっただけでなく、いろんな「バック」を受け取ることができたからです。

もちろん、TAKERはホイホイとなんでもかんでも取ろうとしてきますので、それには気をつけたほうがいいです。

でも僕が日頃思うのは、

情けは人のためならず

ということ。

人のために行動していれば、その分自分に返ってくるということ。

先ほどの経費の話を相談したこともそうですが、「普段から僕が与えていたこと」が、回り回って結果的に「僕のため」となりました。

僕のほうこそ、ホイホイと動き回っており、

うん、会いに行くよ

と平気で言います笑。

これは僕の武器でもありますけど、やはりフッ軽である僕自身が「いろんなところに出向く役目」を担っていると思っているからです。

そうしますと、

せいじさんはいつもこちらに来てくれるから

と、いろんなところでもてなしてもらえます。

もちろん「それ目当て」ではありませんし、僕自身も「与えている」というより楽しんでいろんなところに出かけているフシもあります。

2022年にやっていた夜活もそうですし、現在毎朝やっている朝活も似たようなものです。

  • 自分が自発的にやっていること
  • ビジネスとしてやっていること

には、ちゃんと線引きがあります。

先述した通り、要は自分が気持ちよく感じるかどうかということ。

仮に僕がやっている朝活に対して、

もっと長くやってほしい
その勢いで夜もやってみたらどう?

とでも言われたら、

おいおい、いい加減にしろよ?♪

と思ってしまいますね笑。

ただ何度も言うように、この「自覚」が出てきたのは個人事業を始めてからでした。

それまでは、

  • 人の時間を奪っている意識も
  • 自分の時間が奪われている自覚も

ありませんでした。

そうやって、あまりにも時間を奪ったり与えたりしてしまっている人は要注意です。

そういう人ほど、

え?だってせいじはこの時は自分の時間をタダで割いているじゃない!

と言ってきます笑。

僕の好き勝手にさせてくれ

と。

「与えている人」がどう感じているかが大事なのです。

  • 線引きをしながら
  • バランスを保ちながら

やっていくことですね。

「タダでやること」にも意味はある。どこまで本人が心地よく感じているかが大事だ。お互いに奪いすぎることなく、無為に与えすぎることなくやっていこう。

おわりに

事業を始めてからだんだんと感じる、「時間」。

もう明日はないかもしれない

と思うからこそ、一所懸命やっているのです。

だからといって、なんでもかんでも適当に与えていけばいいということではありません。

時間はその人の命ですからね。

僕も気をつけながら過ごしていきます。

それではまた!

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