こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、生徒や友人たちとお話をしていますと、
と言われました笑。
実は僕も「自覚」がありまして。
大学時代であれば、自分のスキルのなさやら未熟さから、
と思っていたものでしたが、今はどんなにお金がもらえても、
と思っています。
今日は「自分にできること」について書いていきます。
時間の切り売りは良くない
バイトは良くない。
この結論にいたったのは、お金の勉強をしてからでした。
もちろん、今やっているオンライン講師の雇用形態も「バイト」のようなものであって、確かに委託された業務ではあるのですが、単価の低いものとなっております。
ここで問題なのは、
という事実が発生してしまうことです。
僕は、
と思っています。
そういう生き方もありますし、稼ごうと思ったら時間を切り売りすることで、たくさん稼ぐことができます。
特に本業であった教師業でも、実はかなりの時間を売っていたからこそ、それ相応のお金をもらうことができていました。
税金を取られた後ですら、かなりの手取りをもらっていましたものです。
とは思いつつも、その給料が劇的に変わることはほとんどなくて、どれだけ頑張っても給与に反映されることはありませんでした。
- 守られていて
- 安定はしているものの
- 自由度がなく、責任ばかり重くなる
という状態でした。
バイトとも同じ部分なのは、
- 組織に属して
- 時間を売ってゆく
ということです。
職に就いているといえば聞こえはいいかもしれませんが、僕にとってはあまり面白い時間ではありませんでした。
その時間(勤務時間)さえいれば、ある程度のパフォーマンスでいろんなこと(お金や福利厚生)が得られるのはいいことです。
でもその分、窮屈な働き方。
バイトもまた近い話。
そう言われたことは、まるで頭をガツンと殴られたようなことだったでした。
できることは自分の事業
そう感じたのは、時間を差し出せばお金がもらえるというところに甘んじている自分が、怖くなったからでした。
「自由な働き方」を考えた時に、バイトでも生きていけるのは間違いのないことです。
ただ、それは何かの「繋ぎ」でしかなく、誤解を恐れずに言えば「発展性がない」とも言えます。
大学時代にやっていた塾講のバイトによって、学べたことも多少はありました。
しかしそこには、
- 多少の責任
- 惰性での授業
といった「しょうもないこと」が存在していて、決して生産的な時間ではありませんでした。
別にバイトを悪く言いたいわけではなくて、
という自信と、「適切なサービスの提供」が頭をよぎったからです。
とも言われたのです。
僕も「それはそうだ」と思いました。
別に自分に才能があるとか、そういうことではありません。
あくまで「時間の切り売り」とは、誰にでもできることだと言いたいのです。
もう僕にとって、「バイトでお金を稼ぐ段階」は終わりました。
その方法ではなくて、自分なりに自由にお金を稼いでみることです。
そこには「さらに大きな責任」が伴いますが、その分だけやる気が出てきます。
僕の目的は、自分の事業を拡大していくことではなくて、適切なサービスを届けるために、
「自分が常に自由であること」
なのです。
それは何度も書いてきたように、悠々自適な生活を送ることではありません。
- 時間の切り売りはしないで…
- 高い単価の事業で、効率よくお金を稼ごう!
でもありません笑。
一見正しいようですが、「単価の高い/低い」で言ったら、
- 塾の講師でも
- 私立の非常勤でも
給与は高いといえば高いですからね。
それを選ばないのは、問題はそこではないから。
もっと自分なりに自由に動き回ってみて、やれることをやってみたいのです。
数年かかるかもしれませんが、それこそが僕の追い求めていた理想像。
なぜ公務員を辞めたのか。
それは給与に文句があったからではないということを、押さえておかなければなりませんよね。
初めてを経験してゆく価値
ここ数年で考えてきていた「働き方」が、だんだんと理想に近づいてきました。
と、多くの事業家に言われました。
実際にやってみるとわかることなのですが、その通りだと思いました。
じっとしていは、らちがあかないのです。
この自由度には、同時に責任が伴うことも承知していました。
すると周りから言葉をかけられることもあります。
世界一周をした時にも言われましたが、
とか、
という発言ほど、「経験をしてこなかった人」から発せられたものでした。
僕の兄がアメリカに渡る時も、会社の人から、
と言われたそうです笑。
と、僕も兄と一緒に笑ったものでした笑。
- 世界一周だって
- 個人事業だって
それはそれは大変なことです。
もちろん、どこかの会社に勤めて働くのも大変でして、数年やってみて初めてわかることすらあります。(僕も先生を9年間続けましたしね)
だからこそ、新しいことに挑戦する「義務」が、僕にはあります。
先生とは、いろんなことを「先に」経験するから先生なのだと、僕は信じているからです。
実は僕は、こんな気持ちを持っていないわけでもありません。
週一回でもいいから、これからどこかで働いてもいいとすら思っています笑。
ただ、それは「経験を積むため」にすることであって、お金を稼ぐためにやることではありません。
そこでよぎる、「宝の持ち腐れ」という言葉。
と思いました。
英語関係のスキルを持っていますし、ダンスも教えられます。
それなら、やはり自分で自分の力を伸ばしていく方がよっぽど自由ですし、自分のためにも他の人のためにもなります。
本当の本当に何かに困窮した時に、僕は何かの仕事に就いてしまう可能性はあります。
でもそれまでには、いろんなことを自分なりに進めて行って、自分の価値を高めていくことです。
開業届も出し、無事に青色申告も出しました。
あとはやるだけです。
塾講でも英会話講師でも、私立の非常勤でも公務員のフルタイムでも僕はできる。
でもだからこそ、どこかに所属していてはいけないのです。
自分の可能性を探し尽くした上で、そうすればいいだけなのですから。
おわりに
ふと友人や生徒たちに言われた、
という後押し。
以前の僕は、自分のことを信じられていませんでした。
それは責任から逃れたかったゆえ、です。
今はもっともっと、自由にやっていこうと思います。
できる、できる。
止まっていてはいけないのです。
それではまた!
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