こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
3月は「涙の別れ」を繰り返している僕ですが、いくつか気になった歌がありましたので、そこから記事を書いてみようと思いました。
- ひまわりの約束(秦基博)
- 僕が一番欲しかったもの(槇原敬之)
1曲目は 「STAND BY ME ドラえもん」の曲でして、当時は一人で映画館に観に行って号泣しました笑。
2曲目は先日、友人から紹介してもらった曲ですので馴染みはないのですが、歌詞が秀逸でしたので紹介していこうと思います。
のび太のような人を目指したら…
実は僕は、「のび太を絵に描いたような格好」をしていました。
牛乳ビンのフタのようなメガネに坊主、ゲジ眉でパッとしない少年…
今はある程度努力したことで、まぁなんとかなっています笑。
彼と違ったのは、勉強ができたこと。
そして何より、彼のように温かい心を持っていなかったことでした。
映画では、僕の一番好きなシーンが使われていたこともあってか、じんわりときたことを覚えています。
あの青年は人のしあわせを願い
人の不幸を悲しむことのできる人だ。
それがいちばん人間にとってだいじなことだからね。
これは、しずかちゃんがのび太との結婚前夜に、パパからもらう言葉です。
彼女はのび太との結婚を躊躇していましたが、この言葉で結婚に踏み切ります。
この言葉は、人としてのあり方を端的に表していると、僕は思っています。
僕が「のび太のようになりたい」と願ったのは、僕の心にポッカリと空いていた穴を、彼の生き方が埋めてくれたような気がしたからでした。
のび太はてんで何もできない少年ですし、いつもドラえもんに頼ってばかりのダメな子です。
それでも、
- 僕よりも人間らしく
- 愛されるキャラクターだった
ので、ふと疑問に思いました。
たぶんドラえもんは「ロボット」として、彼の人間らしい部分に触れることで惹かれ合い、愛を与えていたのだと思います。
それくらい、彼の人間らしさが僕らの心を掴んだのだと思いますし、何より彼の「優しさ」や人としての「温かさ」が、みんなのなりたい「像」だったのではないでしょうかね。
この映画は、ドラえもんとのび太の別れの話も盛り込まれています。
そして「ひまわりの約束」の歌詞には、こんな歌詞があります。
旅立ちの日 手を振る時 笑顔でいられるように
ひまわりのような まっすぐなその優しさを 温もりを 全部
返したいけれど 君のことだから
もう充分だよって きっと言うかな
この歌詞は、ドラえもんとの別れの時に「のび太が伝えたい言葉」だったのではないかと思っています。
のび太はずっと、ドラえもんからの愛を受け取って生きてきました。
のび太がその愛をいくら返したくても、ドラえもんは「もう充分だよ」って言うのだと思います。
僕も、
という気持ちに対して、
と言うと思います。
実は、僕はずっと、
- のび太のような温もりのある人を目指しながら
- ドラえもんのように無条件に愛を与える人になりたかった
のでした。
この二人の関係が僕らを惹きつけるのは、お互いが大切なものを持っているからです。
僕が「もう充分だよ」と言えるようになったのは、のび太の持つ「人としての温もり」を周りの人たちから学び、受け取ってきたからでした。
次第にドラえもんのように「愛を与えること」ができるようになったことで、やっと「求めていた像」にたどり着くことができました。
そこには、「僕が一番欲しかったもの」があったのです。
僕が一番欲しかったもの
もう一曲、紹介します。
槇原敬之の「僕が一番欲しかったもの」の歌詞には、こんな歌詞があります。
さっき とても素敵なものを拾って僕は喜んでいた
ふと気が付いて横に目をやると 誰かがいるのに気付いた
その人はさっき僕が拾った 素敵なものを今の僕以上に
必要としている人だという事がわかった
ここにある「素敵なもの」とは、いろんなものに置き換えることができると思っています。
- 愛
- 富
- 名声
- 優しさ
- スキル
なんでも構いません。
要は、「相手に与えることができるもの」だと思っています。
人の役に立てれば、なんでも構いません。
惜しいような気もしたけど 僕はそれをあげることにした
きっと またこの先探していれば もっと素敵なものが見つかるだろう
その人は何度もありがとうと 嬉しそうに僕に笑ってくれた
「惜しいような気もしたけど」という部分が、以前の僕と絶妙にマッチしています。
この「負のワンクッション」が入ることは、誰もが自然と経験することです。
それがないことのほうが不自然です。
この気持ちを持った上で与えるからこそ、相手は感謝を示し「ありがとう」と言ってくれます。
僕の場合は、自分の持てる時間とスキルの、全てを全力でぶつけることでした。
そこにお金や時間を割けるからこそ、相手はその姿勢に感謝してくれます。
僕のあげたもので たくさんの人が幸せそうに笑っていて
それを見た時の気持ちが 僕の探していたものだとわかった
今までで一番素敵なものを 僕はとうとう拾う事が出来た
僕がずっと欲しかったものは、
- 一人で歩き回り
- 一人で美味しいご飯を食べ
- 誰からもすごいと言われるような名声を手に入れる
このようなものではありませんでした。
それは、絶対に一人では獲得することのできないものだったからです。
僕のブログ全体のタイトルには、
「幸せを求める30代教員」
というサブタイトルが付いています。
このブログを書き始めた当初は、
- 投資
- 脱毛
- 美術館
- サウナ
などの具体的な「幸せ」、それも「一人でできること」が多かったものでした。
でも今は、人と会う中で「与える相手」が目の前にいることに気づきました。
その人たちに与えた時に、僕は「お金や時間を失うこと」になります。
ただそれ以上に、出会う人たちの「笑顔」に元気をもらいました。
その時に、
と思いました。
僕が一番欲しかったものは、「人との繋がり」だったのです。
ただし、僕の目の前の人を笑顔にするには、「僕自身の努力」が必要不可欠でした。
でも「僕が一番欲しかったもの」を手に入れるためならば、そんなものいくらでもどうとでもなります。
それはお金でも時間でも買うことのできない、とびきり素敵なものだったからです。
それを拾うことができたのは、
「出会うことを恐れずに、人に会いに行き続けたから」
と、自分の身を粉にしてGIVEしたことだったのかもしれません。
しかしそれ以上に、
「笑顔をくれる人たちと出会えたこと」
この経験が、僕の人生を明るい光で照らすようになりました。
いいえ。
って、きっと言うと思います。
おわりに
僕は一人で歩き続けた時に、「恍惚状態のような幸せ」を経験しました。
一人で海辺に座り、コーヒーを片手にした時のことでした。
でも今は、一人でいるよりも、
と、より強く願うようになりました。
それも、
と、「常に思いながら」です。
これは、一人の時の「幸せ」とは質が違いました。
これからも人との繋がりから得ることのできる、そちらのほうの「幸せ」を求めて生きていきます。
またたくさんの人を愛していかなければ、ですね。
それではまた!
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