僕は感謝されたいわけじゃない【人が集まる場所を作る人になる】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人たちと会うことになりました。

朝活をやっていたこともあって、多くの友人たちと東京で会うことができました。

僕は以前、

別に感謝されたくて与えているわけではない

という記事を書きました。

特に教員時代に難しかったところなのは、僕が感謝(=見返り)を望んでいたことでした。

根本的に見返りを求めている人は、ある意味でTAKERです。

今日は「見返りを求めずに、僕が求めているもの」について書いて行きます。

僕はいつでも、人の集まる場を求めている。それが僕の幸せだからだ。

学校の先生になった時から

僕は学校の先生になった時から、

なんかみんなで話し合える場所が欲しいなぁ

と思い、放課後に元同級生だった同僚や、若い先生たちを巻き込んで、自主的な話し合いの場(=情報交換の場)を設けるようになりました。

ダンス部を任されていた時も、

  • 他校に練習に行く
  • 自分の出身大学に連れていく

など、いろんなところに連れ回しては、生徒同士の交流を促していました。

僕は幼少期の頃からとてもシャイでしたし、正直コミュニケーション能力に欠けていました。

人の成長を喜べたこともなかったですし、

なんか人に教えている時、感謝されているのが気持ちいい

とすら思い込んでいました。(勘違い)

見返りを求めた瞬間に、そのGIVEとは意味をなさなくなります。

それでも、

なんかみんなでワイワイやるのは、活気が出ていい

とは思っていました。(よかったよかった)

学校の先生になった時から、性格はあまり良くなかったにせよ(おい笑)、心のどこかで、

みんなが集まれる場所を作りたい

そう思っていたんですよね。

当時から僕は、

  • シャイだったにも関わらず
  • 陽キャでもなかったくせに笑

そういう場を望んでいたんですよね。

それはたぶん、中高の学生時代にあまりそうした「楽しい時間」を過ごせなかったからなのかもしれませんね。

大学時代にダンスサークルを経験して、いっぱい人と会ってはたくさん泣いて。

そんな経験が、今の僕に繋がったのだと思います。

今まであった「イヤな部分」だけをいろんな人に削ってもらったおかげで、僕自身でも感情に浮き沈みのない、幸せな人生を歩んでいくことができていますね。

昔から僕は、内気な性格にも関わらず多くの人たちが集まる場所を探していた。それが今に繋がっているのだと思う。

幸せな場所に注力する

僕が「人の集まれる場所」に注力するのは、

  • 活気があるから
  • 見ていて単純に幸せだから
  • そこで相互作用が生まれるから

ですね。

世界一周から帰ってきて僕は、

なんだか2022年の旅の直前と違って、今まで会っていた人たちに活気がないなぁ…

と、(偉そうですが笑)そう感じていました。

それなら僕が「朝活」を始めてしまえば、いろんな人が集まるに違いない

別に自分に求心力があるとは思っていませんでしたが、

  1. 正しいことを正しく
  2. ずっと続けていくこと

は、いつか実を結ぶということを、継続していく中で僕は感じていました。

「自分が朝早く起きたい」という気持ちもありましたが笑、同時に「みんなとわちゃわちゃしたい」とも思っていました。

僕自身には、

  • 目立ちたいとか
  • チヤホヤされたいとか

そういう気持ちは一切なくて、むしろ苦手です。

感謝されるのも苦手で、

あ、はいはい。じゃあその感謝をまた他の人に繋げていってあげてください

としか思わず、感謝されることから逃げてきたものでした。(以前とは大違い)

今でも感謝されることは嬉しいですが、やはり苦手です汗。

それよりも、教員時代に設けていた「語り合いの場」みたいな場をセッティングすることを意識していて、いつでもサポーターと言いますか、

何かこう、ファシリテート(=場を回すこと)をしたいな

と思っています。

いつまでも僕は「ホスト側」を望んでいる一方で、MCや司会のように、

「いるんだけど、目立たない」

ということを意識しています。

もちろん、ダンスや授業では目立たざるを得ないので、“与えられた場” はそれでいいのですが、基本的にはいろんな人を巻き込んでいくような、そんな存在でありたいですし、そんな「場」を提供できるように心がけていますね。

みんなが幸せそうにしてくれていれば、それでいいのかなって、そう思っています。

僕はいつでも、人が集まる場を作ることだけに注力している。自分自身が目立つのではなく、そこで生まれる交流や幸せな空間を大事にしているのだ。

感謝を求めないから感謝される

逆説的でもあるのですが、

求めずに与え続けているほど、逆に感謝されるようになる

これが僕の導いた答えでした。

以前は、心のどこかに、

これだけやったのだから、感謝されて当然だろう

という「驕(おご)り」みたいな態度がありました。

何度か記事にしてきたように、実はここには「トリック」があります。

感謝(=見返り)を求めている人は、自然とバレるという法則です。

あ、こいつはたぶん、何か感謝の気持ちを言って欲しいんだろうな

とね笑。

一方で、僕が感謝を “心から” 求めなくなってからというもの、いろんな人から感謝されるようになりました。

僕には「感謝の言葉」それ自体よりももっと大切なことが、目標にあるからです。

それが、

  1. 人が集まること
  2. みんなで活気の溢れる時間を共有すること

なのです。

だから、

いつか、学校を作りたい

そう思えているのだと思います。

そうやって「自分の求める理想の場」に向かっているだけですと、その情熱や僕の想いに “乗っかってくれる人たち” が現れてくれます。

そんな人たちはいろんなコミュニティにいて、

  • 大学院時代
  • ダンス仲間
  • サークル時代
  • 元同僚や先生界隈
  • コミュニティ仲間
  • 世界一周の時に出会った人々

と、いろんな時期や場所で育ててきた「人間関係」が、今の僕に繋がっています。

だからその人たちに恩返しするつもりで、

僕は人が集まれる、そんな場所を作らなきゃいけないんだ

と、使命感に燃えています。

そんな行動が、結果的にいろんな人から感謝される結果となりました。

それでも、そうした「感謝の意」に驕ることなく、淡々と「人のためになること」を続けてゆくことです。

周りを巻き込んでいくことで、その人たちが「幸せ」を感じてくれていなければ、課題として受け止め、今後に活かしていく必要があります。

  • 日々勉強し、成長し
  • 多角的な視野を持って
  • いろんな人を受け入れて巻き込んでいくこと

僕が魅力的な人間でない限り、あるいは成長を止めてしまえば、人も離れてゆくことでしょう。

ただただ場を提供するのではなく、そこにはお互いの成長や認め合い、尊敬がなければなりませんからね。

僕自身がそれを体現できるような、そんな人間である必要がある、ということですね。

人に感謝されるように場を設けていると、逆に感謝されなくなる。もっと先にある、成長や幸せを求めて、僕は今日も成長する。

おわりに

人と一緒に成長すること。

以前の僕にはできなかったことでした。

それはひとえに、

自分だけ幸せになればそれでいい

という考え方しか持っていなかったからです。

そこから抜け出せた時から、

みんなで集まれる場を提供する義務が、恩返しをする必要が、僕にはある

そう思うようになりました。

偉そうなことは言えませんが、僕はいつでも、生徒や友人の成長を望んでいます。

そのためにも、僕自身、頑張っていきますね。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました