自分の愚かさに気づけた時が変化の時【いかに俯瞰できるかが大事】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、生徒さんと話していますと、

僕ってあんまりまともじゃないんですよね。昔もアホでしたし笑

と言いますと、

いやいや。そこに気づけているかどうかが、しょうもない大人との境目だよ

と言われました。

ソクラテスの「無知の知」は有名な話ですが、確かにここ最近で見る大人たちは、やたらと自分の愚かさに気づけていない人が多く、

声は大きい割に、自分のことは棚に上げるんだよなぁ

と思わされることが多々あります。

今日は「自分の愚かさに気づくこと」について書いていきます。

まずは自分の過去を、今を振り返ったり見つめ直したりして客観視しよう。その上で、自分がどうあるべきかを考えていこう。

昔は未熟でいていい

以前にも書きましたが、若い頃なんて、

自分の見えている世界が全てだ!

と思うくらいがちょうど良くて、内輪で楽しんだり仲間を作ったりすることが、また一つの醍醐味だとも思っています。

僕も振り返れば、まともな人生を歩んできたとは思えませんが笑、それでもあの時のエネルギーを顧みたときに、

果たして自分は、今のような状態を保ったまま、当時の「若者」に戻れるだろうか

と問いますと、甚(はなは)だ疑問です。

もちろん、若くして大人びている学生さんたちもいます。(信じられない)

それでも、どうしても経験がついてきませんから、いろんなことを知るのには多少なりとも年齢を重ねる必要があります。

そう考えますと、

まぁ若い頃はそれくらいでもいいんじゃない?

と思えるわけですね。

後になってからあの頃を振り返ってみれば、確かに「変なことしてたな笑」とは思いますが、それも含めて「大人」になってゆくものです。

ある程度年齢も重ねているのに、なかなか大人になりきれない人とは、

  1. 利権が絡んでいる
  2. 信条に基づいて行動している
  3. 自分の愚かさに気づいていない

など、様々な要因からそうなってしまうのだと思います。

特に「3」の状態は残念ではありますが、ある意味気づいてしまえば、

俺は今まで一体、なんてバカなことをしていたのだろう…

と思えるわけですね。

以前、学校の先生をしていましたから、やはり高校生たちに「大人になれ」と説きたくなる時も多々ありました。

ただ、それは自分で気づかなければできないものでもあります。

だから僕らにできることとは、

これがかっこいい大人なんだよ

と、背中を見せてあげることなんでしょうね。

若い時はいろんな失敗があっていいし、周りも見えなくていい。少しずつ成長していけばいいのだ。

自分に陶酔してたら成長しない

特に「自分の愚かさに気づけないこと」が今回、生徒さんと話した大きなテーマでした。

いやぁ。自分は若い頃、いろいろとやっていたものだなぁ

と思える人とは、ある意味で客観的に自分の過去(あるいは今)について見つめることができている人です。

僕も “大人” になってからは、過去の黒歴史やケンカっ早いところを反省して、知識武装をするようになりました。

誰にとっても間違いや失敗は付き物であって、それは否定されるべきものではありません。

今でも僕は間違えますし、指摘されたり自分で確認したりすることによって、成長しています。

一方で、

自分は間違っていない
あなたの意見は間違っている
俺/私って、なんて崇高な人間なんだろう!

と思っている人は、一生成長することができません。

だってもう、自分なりに答えを出しちゃっているのですからね。

しかもそれを、

  1. 変えようとしない
  2. 勉強しようともしない

そんな人たちが、結果的に「現代の残念な大人たち」になってしまったのでしょう。

変われない人」とは、自分のことを客観視できない、あるいはしようとしない人のことを言います。

何度も言いますが、若い頃はそれでもいいと思っています。

経験も浅いですし、視野も狭いですから。

でも “そのまま” でいますと、大人になっても精神年齢は「子どものまま」であり、肉体的に大きくなっているだけで、なんの知識も実力も伴っていません。

だからこそ、

あれ?自分って狭い世界で生きていた?

こう思えることって、とても大事なことです。

自分は大人だからなんでも知っているんだ!間違うことなんてないんだ!

と言い張っている人ほど、

  • マウントを取ろうとしたり
  • 相手のことを批判するだけしたり

と、そういうことだけに終始してしまうんですよね。

それは何より、自分が成長していないことを誰よりもわかっているからなのかなと。(ある意味その証明でもある)

だけどそれを認めたくない、成長できない。

ここに陥ってはいけません。

そうしますと、

この人は残念な人なんだな

と、人から離れられてしまいますからね。

自分に陶酔している人は、いつまでも変わることはできない。”大人” になったのであれば、自分を客観視して、常に自分の無知を自覚することだ。

俯瞰・客観がポイント

僕も以前に書いている通り、いつでも自分の知識や前提を疑うようにしています。

「推し」や「尊敬する人」が話していることでも、

本当にそうなのか、ちゃんと調べてみるか

と、”いい意味で” 疑う姿勢、勉強する姿勢を持つように心がけています。

一方で、たくさん調べ上げたことについては自信を持って話しますし、仮に間違えていたら謝罪も訂正もします。

だいぶ前ですが、僕は名著『Factfulness』を読んだ時には衝撃が走ったものでした。

世界とは、結構「思い込み」でできているものです。

本来はもっと、

  • データ
  • 客観性

が大事であるのに、自分の思い込みで世界を形作ろうとしてしまいます。

これが、若い頃によく起きる現象なのかなと。

だからと言って、それを否定しているわけでもありません。

しかしある程度年齢を重ねたら、この「思い込み」から脱却しなければならないのではないかなと。

みなさんも「学校のテストの経験」があるかと思いますが、あの時って実は最後の「見直し」がとても大事だったりするんですよね。

自分は間違っていない!完璧だ!

と思ってテスト返却の日を迎えますと、

あれ?!な、なんでこんなミスを!?

と思った人は多いかと思います。

僕が中学一年生の時は、見直しをしなかったことでテストの点数が70点台止まりでした。

それからどうやって点数を伸ばしたかと言えば、とてもシンプルな話、めちゃくちゃ「見直し」をしたのです。

自分は絶対に計算を間違えているはずだ

そんな前提に立って見直してみますと、

うわー!やっぱりやってやがる!

と、急いで修正していたものです。

おかげさまで、「変な減点」を逃れることができました。

これは「実社会」でも一緒なのではないかなと。

客観的/俯瞰的に見直すこと。

  • 自分の言動
  • 自分の行動
  • 自分の人生

などなど。

はは!じゃあせいじはこのブログを何度も読み返してるのかよ!

そうですね。

このブログは、必ず読み返してから投稿しています。

さらに時間があったときは、遡(さかのぼ)って全部の記事を修正していたこともありました。

今でも読み返して書き直すことはあります。

ただ、あまりにも慎重になりすぎますと、

  • 投稿が遅れる
  • 完璧を求めすぎる

などの弊害が出てきますので、按配が大事です。

毎回撤回していたり修正ばかりしていたりしていても、ブレているように見えますからね。

ただ、指摘されたり建設的な意見を求められたりしたら、

なるほど。ちょっと考えてみるか

と思うことが大事なのです。

いつでも客観性を持ち、俯瞰的にものごとを見ること。

これは永遠の課題でもありますね。

自分の発言や言動、考え方や生き方にも疑問を投げかけてみよう。そうやって常に、客観的になっておこう。

おわりに

生徒さんと話していますと、

残念な大人っているよねー

という話になり、

僕も気をつけなければ汗

と言いました。

いや、そうやって気をつけている時点で大丈夫。それすらわかってない人もいるから笑

と言われ、なるほどそうだなとは思いました。

常に「客観的に」ですね。

それではまた!

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