こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
最近、いろいろと思うことがありまして。
以前からテレビを捨てた僕は、ネガティブな人間から遠い存在となり、生まれ変わりました笑。
しかしなぜかまた、Twitterやニュースなどに引き込まれてしまい、
と思ってしまうことがありました。
以前の僕でしたら、
- 再び何かしらグチや意見をツイートするか
- 飲みにでも行って思いの丈をぶちまけていた
と思います。
では今はどうなったのか。
僕なりの、苦しい時やツラい時の「モヤっと対処法」をお伝えします。
なんとかしようとするな
僕はコロナ禍に入ってからすぐに、「嫌われる勇気」を読みました。
当時は意味がよく分からないまま(今も怪しい)、とりあえず理解したふりをしておきました笑。
ただ、今でも覚えているのは「課題の分離」という考え方でした。
「他人が自分のことを嫌うのは他人の課題であり、僕がどうこうできることではない」
と言う主旨のものです。
実はこの考え方は汎用性が高く、どんな場面でも使うことができます。
僕は以前、なんでもかんでも首を突っ込もうとして、人間関係で摩擦を起こしていました。
と、なかなかの噛みつきようでしたね笑。
結論から言いますと、この「何かを変えようとすること」は、基本的に無理だと思っています。
それは話が飛躍し過ぎています。
そうではなく、まずは自分のできることに集中することで、結果的に周りを変えてゆくといったスタンスをとる、ということです。
SNSやニュース、YouTubeのコメントを見ていますと、自らの正義を振りかざして意見を言っている人をよく目にします。
そうです、「以前の僕」ですね笑。
その「正義感」を否定しているわけでもないですし、黙っていることが正しいと思っているわけでもありません。(だとしたらブログなんてやってません)
しかし、
- 発言の場
- 発言の仕方
- 言い方や態度
が、ものすごく大切であるということは、間違っていないと思っています。
どんなに正論であっても、
- その言い方
- その人の人格
などが欠けていたら、不愉快に思う人もいますし、
と思う人も一定数出てきます。
誰かの何かを変えたいと思って「アクションを起こすこと」は、確かに立派なことです。
それができない人からすれば、
と思うこともありますから。
ただ、それによって、
と思ってはいけません。
実は大した影響なんてないからです。
まずはその事実を知ること。
そこからがスタートです。
自分にできることを考える
正義を振りかざして意見したところで、たかが知れています。
自分の思うことや意見を述べること自体は、もちろん悪いことではないですし好きにしたらいいと思います。
ただ、「それをしていた僕」の気持ちは、いつになっても晴れることはありませんでした。
先述した通り、正論を言ったり論破しようとしたりして、何かを変えようと思い続けていたからです。
実はこれ、「一人相撲」になってしまうのです。
また、そこに対する「別の意見」や「反対派」が目の前に列を作り始め、延々と繰り返される「負のループ」へと落ちて行ってしまいます。
つまり、
- 他人
- 自分のコントロール外
に目線がいっている、ということなのです。
当然のことですが、その目線を持っていてはいつまで経っても満足しませんし、状況は変わらないままです。
唐突ですが、先日起きた「トルコ地震」を例にあげます。
遠い国日本にいる僕になんて、できることはこれっぽっちもありませんでした。
その中で、自分にできることは何か。
そうやって考えることができたのは、大きな成長でした。
結果、僕にできたことは「募金をすること」くらいでした。
直接的にどうこうしようとし始めたら、世界中の苦痛を救わなければなりません。
と言われた時、みなさんはどう返しますか?
あっちもこっちも救えますか?
そうなのです。
そんなこと、到底「無理」なのです。
近いコミュニティや親族に起こったことなら、対応すべきですか?
確かに、その「距離の近さ」によって湧いてくる「情」もあることでしょう。
しかし、それは個人の線引きによるものであり、他人が口出しできるものではありません。
冷酷に聞こえますが、僕は言いたい。
と。
目の前の人を無視しろとか、そういった極端なことではありません。
それぞれにできることは限られており、「その場その場の役割」というものがあります。
先生をやっていますと、そうした局面をたくさん経験するものです。
40人を前に、誰も彼も救うことなんてできませんでした。
そんな状況下で、若かった頃は「過信」していました。
と思っていたのかも知れません。
若気の至りでもありましたが、
- 自分のキャパや周りの状況
- 人間関係や言い方、タイミングなど
適切に考えなかったために、自分勝手な行動が誰かを傷つけてしまった経験もありました。
「ありがた迷惑」だったこともあったに違いありません。
だから「全部ができないこと」はダメなことでもありませんし、弱いことでもありません。
大切なことは、自分のできる小さな範囲で周りを幸せにしようと努力すること。
僕は、このことのほうが大きな力を持っていると思っています。
今の僕にできること
ニュースやネガティブな発言を見て、モヤモヤっとしてしまうことは人間なら誰しもあることです。
僕自身、だいぶそうしたものから離れられるようになりましたが、たまに見てしまってはグルグルと「同じ場所」を回ってしまうことがあります。
そんな時に大切なことは何か。
「原点に還ること」です。
今は、
- 言いたいこと
- 何かをしなければという使命感…
様々な感情が渦巻いています。
でもそれは、一過性のものでしかありません。
特に「感情」とは起伏のあるものであり、それに流されてはいけません。
もちろん「絶対にダメ」というわけではありませんが、そういう時というのは、大抵の場合失敗と後悔をします笑。
グッと堪えて、今までの自分を振り返ってみましょう。
そうしますと、
- 楽しいこと
- 笑い合っていた時
- 友人と会っていた時
- 感動して泣いていた時
など、多くのシチュエーションが甦ってきます。
そうした「ポジティブ」なことを思い出しますと、今の自分に「クスッ」と笑えてくるのです。
と。
そうすれば、コチラの勝ちも同然です。
いつも通り、
- 人に与え
- 人を愛し
- エネルギーを生み出すこと
に注力するまでだ、と思ったのですね。
本当に強い人とは、「どんな時でも笑っていられる人」なのかも知れません。
しかし、時にツラいことや苦しいことが重なり、笑顔が絶えてしまうこともあることでしょう。
いくら自分の原点に立ち返っても、
と思う人もいることでしょう。
そんな時、僕が笑顔を絶やさず、元気でいること。
とてもとても小さなことかも知れませんが、それが「僕にできる精一杯のこと」なのです。
人それぞれ役割も違うと思いますし、性格の違いもあると思います。
だから僕だけでも、笑顔でいること。
それが回り回って友人たちの笑顔に繋がれば、それで良いのです。
下手に何でもかんでもしようとしなくていい。
目の前の小さな、自分にできることを続けていきましょう。
おわりに
人生、山あり谷あり。
時にモヤッとしたり、どうしてもうまくいかないことや、変えたいけど変えられないものがあったりするものです。
それは僕らが「いかに小さく弱いのか」を、示しているわけではありません。
むしろその前提に立ち、
- そこからいかに自分のことに集中し
- 小さなアクションを起こすことができるか
が、強さの秘訣なのです。
そうして考えて、小さくでも行動できる人は、本当に強い人です。
僕もそうありたいから、下手な正義感を抱いていた頃の自分とはお別れしました。
もっともっと考えれば、自分にできることはありますし、そちらのほうがよっぽど強力です。
目の前にある本当に大切なことを選んで、行動に移していきましょう。
それではまた!
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