日本で素朴かつ清貧に生きてゆくことの良さ【どう生きてゆくか】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

埼玉のアパートに引っ越してきた僕ですが、そこにはちょっとした「おじちゃん&おばちゃん」のコミュニティがあります。

ゴミ出しの時や、ランニングから帰ってくるタイミングで、挨拶をするようになり、少し立ち話もしました。

僕は「素朴な人生」を目指して、清貧な生活をするように心がけていますが、今日も改めて、

あぁ、こうやって生きて、日本を守ってきた人たちがいて、それこそが誇れる姿なんだよなぁ

と思ってしまいました。

やはり、

  1. 素朴で
  2. 清貧な

生活とは、日本人である僕が目指すべき「カタチ」です。

今日もまた、素朴な暮らしについて書いていきます。

日本に住んでいる以上は、素朴で清貧な暮らしをしてゆくことだ。そこに崇高さがあり、日本が日本である価値がある。

一般市民のレベルの高さ

僕はよく、海外の方々が日本についてコメントする動画を見ます。

日本はヤベェ
こんな国、見たことない

と。

特に印象深いコメントとは、

日本の民度を知るなら、東京や大阪じゃない。もっとローカルな人と触れ合ってみてくれ。教育水準の高さがわかる

というものでした。

僕も地域の人と触れ合っていてわかりますが、

  • 礼節がある
  • 挨拶ができる
  • 優しくて笑顔がある

という点が、日本独特だと思っています。

もちろん、海外でもそうした経験はしてきましたから、決して「日本だけ」ではなく、優しくて温かい人たちとは、全世界中どこにでもいるものです。

ただここまで、国の隅々どこまで行っても “日本” であることができるのは、一般市民のレベルがシンプルに「高い」からだと思っています。

確かに変な人がいたり、凄惨な事件があったりするのも事実ですが、子どもが一人で外を歩いていても安心できるような国とは、そうそうありません。

人間性が柔和で落ち着いており、いつでも他人を思いやるこの精神は、国の文化として根付いていると言ってもいいでしょう。

いやぁ、これはすごい

世界一周をして日本に帰ってきてから、毎日のように感謝、感動しています。

これこそがニッポン。

一般市民の道徳レベルが、非常に高いのですね。

日本では、ローカルに行っても人間性が豊かな人がほとんどだ。外国人が驚くのも無理はない。

それこそが尊敬される理由

僕が思うに、

これこそが、人間としての本質なのではないか?

と思うんですよね。

いえ、別にお金を儲けることや、何か偉業を成し遂げることを否定しているわけではありません。

むしろその昔、僕はそういう考え方を持っていて、

お金を稼いでいる奴は、何か卑(いや)しいことをしているのだ

と思っていました。

しかし、翻(ひるがえ)って考えてみますと、

それはそれで良い考え方だったのかも

とも思っています。

ものごとには、必ず『両面』がありますからね。

こうした「貧乏臭い」生き方をしてきた僕だからこそ、

  • 倹約
  • 清貧
  • 摂生

みたいな、「武士っぽい考え」になったのかもしれませんし。

だからこそ「雑草魂」もありますし、

  • どんなに偉くなっても
  • どんなにお金を稼ごうとも

そこに「礼」がなければ、意味を成さないとも思っています。

ゆえに、現日本政府に対しては、

不誠実であり、日本人としての誇り、気質を疑う

と思ってしまうわけですね。

いいから筋を通せ

と。

僕は曲がったことが大キラいですし、できればダイレクトにものを言って欲しいのです。(時には婉曲表現も大事ですが)

日本人のこうした素朴な生き方こそが、世界で「お金」や「名声」だけを求めてきていた人たちに、深く刺さるのではないかなと。

僕も投資や税金の勉強を始めた時は、

なんとかして、FIRE(=経済的自立、早期退職)をしたい!

という、ただただ邪(よこしま)な考え方を持っていました。

この考え方自体も、別に否定されることではありません。

ただ、“その先にあるもの” を、僕らは考えていかなければなりません。

じゃあ、今手元に一億円あったらどうするのか?

と。

キレイごとに聞こえるかもしれませんが、僕らはそれよりも “大事なもの” を求めて、生きているのだと思っています。

それが、

  • 品格
  • 人間性

などなのでしょうね。

人間を人間たらしめるもの。

日本の文化が崇高なのだ

ということではなくて、いつの時代もどこであっても、僕らは「それ」を目指していかなければならないのです。

日本が世界から尊敬されるのは、そこに根付く日本の文化や国の性質が高いレベルにあるからだ。それが人として目指してゆくカタチなのだと思う。

僕が目指すカタチ

何度も申し上げますが、別に資産を増やすことは悪いことではありません。

当初、僕は「自由になること」を目指してブログを始めたわけですしね。

ただ、やはりこうした「清貧な生活」を送っていますと、

こういう生き方をして、”普通の暮らし” をしていきたいんだよなぁ

と思ってしまいます。

地域の方々(特に高齢者の方々)も、特別「贅沢な暮らし」をしているわけではありません。

それでも、毎日を幸せそうに生きていますし(ツラいこともあるかもしれませんが)、

なんか平和でいいなぁ

と思うのです。

これ以上、求めるものはあるのだろうか

と。

コロナ禍の時に、

  • 散歩
  • サウナ
  • マインドフルネス

などを経て、ほぼ悟りを開いたような境地に至っていた僕でしたが笑、あの時ほど幸せだったことはありませんでした。

あの時を思い出せ…

と思い、埼玉に越してきて個人事業主を始めた僕は、少しずつまた「ルーティン生活」へと戻ってきています。

個人事業主を始めた時は、あまり「自分の生活」に集中することができませんでしたからね。

僕はどこまで行っても「凡人」です。

やっぱり、この生活スタイルをずっと続けていきたいな

と思うのです。

何があるかわからないのが人生ですから、多少の変化はあるかと思いますけれど。

それでも、僕が(あるいは誰もが)最終的に目指すべき姿とは、

人として最低限の、幸せな生活を送ること

なのではないでしょうかね。

特に僕のような一般市民からすれば、ちょっとカフェに行けば豪華な時間になりますし、外食なんてしようものならば、

やったー!今日はパーティーだぜ!

と思ってしまうのです笑。

  • いくつになっても
  • どんなにお金を稼いだとしても

僕らが目指す生活とは結局、そういうものでいい。

あくまでこれは、僕の考え方。

みなさんはみなさんなりに、「これだ」という幸せのカタチを目指してみてくださいね。

僕はいくつになっても、清貧な生活こそが十分な幸せに繋がると思っている。足るを知った男がたどり着いた境地なのだ。

おわりに

以前にもいくつか「足るを知ること」について書きましたが、その考え方に直結しているような気もします。

清貧な生活とは、最低限のものに充足して生きてゆく生き方です。

僕はそれでいい。

それ以上を求めていないから、幸せになれる基準が低いのです。

日本で学べる生き方。

みなさんもぜひ、目を向けてみてはいかがでしょうか。

それではまた!

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