こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
いろんな生徒さんと話していますと、
と言われることがあります。
実は僕も結構、人に頼って生きてきた人生でした。
「依存したことはない」と自負していますが、『マイナス』から少しずつ変わってきたのは事実でして笑、
とは言い切れません。
僕がどうやって変わってきたのか。
今日は「他人に依存しないこと」について、書いていきます。
一人では生きていけない

前提として僕がよく言っていることは、
ということです。
以前の僕は勘違いをしていて、
と、「自分がいかに頑張ってきたか」を自負していました。
しかしそれは、間違いでした。
本来人間とは、この社会で生きているのであって、
- 道路
- 交通
- 飲食
- サービス
など、他の人がやってくれているものがあり、その上にそれぞれの生活が成り立っています。
お互いが助け合って、生きているわけですね。
そうなると、ちょっと話は変わってきます。
確かに僕らは、
- コンビニ
- 公共交通機関
- インターネット
など、インフラがあるおかげで生きることができているのですが、むしろこれらは「なくてはならないもの」であって、
と指摘されるには、あまりにも極論な気がします。
今回話題にしたいこととは、このように「支えてもらって生きていること」とは違い、
と「今ある社会」以上に依存してしまい、自分を見失ってしまうことです。
周りに感謝したり、今あるこの社会を当たり前に思わないことだったり、人として持っておくべき姿勢は大事にすべきです。
一方で、
という状態をあえて作ることは、自分を破壊することになりかねないと言っているのです。
他人を軸にしなくなった

僕が再三、ブログで書いていることとは、
ということです。
特にそう思い始めたのは、
と考え始めたことがきっかけでした。
リンク
- 恋人
- 友人
- 家族
に頼りっぱなしだった僕は、
- 何も自分で解決しようとせず
- 誰かが何かを代わりにやってくれる
と考えていました。
だから英語だって伸びませんでしたし、人生の軸が定まらず、フラフラと生きてはグチをこぼしていました。
そうやって「人のせい」にして生きてきたのです。
そこでわかったこととは、
ということでした。
絶望の淵に立たされた僕は、「内省/内観」を始めます。
さらに本を読み始めた僕は、
と気づくことになります。
それから、いい意味で「人と距離を置くこと」に決めました。
以前は学校の先生だったこともあり、
- 過度に生徒に干渉すること
- 同僚との飲み会に、グチをこぼしに行くこと
など、自分が「他人/コミュニティ」に介入しすぎていたことを、修正し始めます。
ある意味、
- 冷静に
- フラットに
なったのかなと。
あまりにも感情移入したり、人間関係のトラブルに首を突っ込んだりと、そういうことをしなくなったのです。
そう思ったわけですね。
だから他人から見ますと、
と思われるのかなと。
いえ、むしろ考えた結果 “そうなった” のです。
そうでなければ、自分の心のエネルギーがどんどん削られていってしまうから。
だから人に頼ること自体は良くても、「依存すること」はやはり質が違い、いずれ自身の身を滅ぼします。
自分の思うような結果が得られないことがほとんどですし、それにイライラしてしまうからですね。
自分の足で歩いていこう

大切なことは、
と、「絶対に離れられないもの」をなくしてゆくことです。
- 参考にすること
- 一緒に活動すること
- サービスを利用して楽しむこと
などは良くあることですし、現代の豊かな暮らしでも “そういうもの” とは多いものです。
例えば、
と思うのは確かにそうですし、依存と言えば依存です。
しかし(何度も言いますが)、ここら辺は「共通のインフラ」だとも思っています。
みたいなレベルであり、ちょっと別枠なのかなと。
もっとこう、その人やモノ、コミュニティなどに「心を捧げてしまう」ようなことですかね。
好きなアーティストや選手、チームや趣味などがあってもいいですし、それらも依存と言われればそうです。
ただ、僕が「究極的に」思っていることとは、
ということ。
僕はオンラインコミュニティに入っていたり、サウナ友達、ダンス仲間もいます。
でもフラットに、
とも思っています。
離婚をした時もだいぶ悲しみに打ちひしがれましたし、父が亡くなった時も本当にツラかったです。
でもそれらを悔やみ続けていて、
と嘆いていても、僕の人生は何一つ良くなりません。
僕の好きな漫画『鋼の錬金術師』にも、こんな言葉があります。
立って歩け 前へ進め
あんたには立派な足がついているじゃないか

宗教に心酔してしまっていた女性が、何もかも失って打ちひしがれているところに、足が義足(オートメイル)である主人公が放つ言葉です。
何かに(誰かに)依存している以上、人は自分で立って歩こうとしません。
以前の僕もそうでした。
- 自分で解決しようとしない
- 誰かがやってくれると思っている
- それがなくなったら、また別の宿り木を探す
この繰り返しでした。
これでは、根本の解決にはなりません。
僕らには、前に進むことのできる「足」がついています。
まずは、自分が “自分の足で” 歩いているのかを確認すること。
足元を固めて、僕らは歩き始めなければならないのです。
おわりに
僕は多くの「何かに依存している人」に会ってきました。
それはもしかしたら、「僕」という存在に依存している人も、中にはいたのかもしれません。
- 教員時代も
- 続けている朝活でも
という空気感を、僕自身が感じてきたからこそ、
と思うようになったのかもしれませんね。
みなさんも、何かに依存しすぎていませんか。
それではまた!
