こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
以前、マインドフルネスについての記事を書きました。
マインドフルネスとは「=瞑想」であり、僕は夜の3分間だけですが、毎日行なっています。
自分の呼吸に集中し、他のことは何も考えないというものです。
もちろん雑念が頭に浮かんでも問題はなく、それらをサッと流していけばよいので、
「落ち着いて深呼吸する時間」
と思って取り組めば、手っ取り早いデトックス法だと思います。
様々な体験や読書、人との出会いも含めて、最近は「生」を心底感じております笑。
今日はそんなスピリチュアルな観点から笑、僕の最近の小さな喜びについて語っていこうと思います。
今生きていることが奇跡であること
こうして自分でお金を稼いで(給与所得ではあるものの)ひとり暮らしをし、特に生活にも困窮していないということは、実はなかなかの奇跡であります。
節制を始めたこともあり、「1,000円の外食」はいまだに贅沢の部類に入ります笑。
こうして最低限のお金で過ごしていますと、周りの全てのことが「美しい」と感じるようになりました。
以前にも「横浜みなとみらい」でコーヒーを飲みながら海を眺め、人生の終着点にたどり着いたかのような感覚さえ覚えたことがありました笑。
- この「地球」という小さな星に生まれ落ち、
- 自分の意識というものがあり、
- 日本という素晴らしい国に住んで過ごすことができていること
は、なんて幸福なことなのだろうか。
そう思うことが以前よりも多くなりました。
以前の僕は、
- 生きていることが当然のことだと思い込んでおり、
- 自分の人生としっかりと向き合うこともなく、
- 「時間は無限だ」と勘違いをし、
- 意味のない時間を無駄に過ごして
いました。
ガムシャラに働き、生徒のために身を粉にしていたので、それはそれでやりがいはありましたが、生きている実感はあまり感じられていませんでした。
そこから始めたお金の勉強と生活習慣改善は、いうまでもなく僕の人生を好転させました。
特に「毎日朝早く起きること」は、ものすごい効果を発揮しました。
冬の朝はとても気持ちがよく、朝早くからトコトコと駅に向かう道では、朝日が気持ちよすぎて、
「あぁ、今、自分は生きているんだなぁ」
と感じるようになりました。
1日1日が愛おしいのです笑。
しかしこの感情は、以前の僕ではどんなに頑張っても感じることはできなかった感情だと思っています。
「内省・内観」をした試しはなく笑、単純に「毎日みんなとワイワイ、楽しいな!」程度のものでしたからね笑。
その生き方でも十分幸せだと思っていたのですが、今と比べてしまうと、精神的にも肉体的にも明らかに劣っていたのだなと思わされます。
様々なマインドを身につけた「今」のほうが、圧倒的に心・体ともに強くなり、より感謝をする気持ちが強くなっています。
人に優しくなることができる
日々感動の連続なのですが、僕はひとりで生きているわけではないですので、「ひとりで」感動の余韻に浸っている場合ではありません笑。
しかしとりあえずは、自分が生きていることに感謝することが大切でしたね。
すると、自ずと他人にも優しくできるようになります。
今こうして、
- この時代に、
- この場所で、
- 一緒にいて、
- 話したり笑い合ったりすること。
これもまた「奇跡」だと、感じることができるようになりました。
以前の僕は職場で、道端で、何かと他人に噛み付いたりイライラしたりすることがありました。
- 「コイツはなんなんだ?」
- 「うるさいなぁ…鬱陶しいなぁ…」
- 「腹立つわ!もう顔も見たくない!」
それだけ、意識が自分ではなく「他人に」向いていたのですね。
今でももちろん、感情の起伏はなくはないのですが、以前よりもだいぶ平穏な気持ちでいられる時間が長いですし、もしそうした「負の感情」が湧いて来ても、すぐにもと通りになります。
今の自分の「生」に感謝することで、
- 人との摩擦を生む時間が意味のないことだと感じ、
- もっと自分に残された時間に集中するようになり、
- 他人の幸せを願うことができるようになるから
でしょうか。
僕の大好きなショートムービー、「のび太の結婚前夜」にこんな名言があります。
あの青年は人のしあわせを願い
人の不幸を悲しむことのできる人だ。
それがいちばん人間にとってだいじなことだからね。
ヒロイン役のしずかちゃんが、のび太との結婚に対する不安をパパに打ち明けたところ、しずかパパはこのように返したのでした。
以前の僕には、到底できないことでした。
人の成功をうらやみ、人の失敗をほくそえんでいました。
のび太が持っているものを、僕は持っていなかったのですね。
今となっては、
- 自分という存在が「今」あることに感謝し、
- 使命感を持ち、
- GIVEをすることで、
- 幸せを感じることができる
ようになったことで、意識がもっと「自分に」向かうようになり、
「この一度きりの人生で、自分は一体世の中のために何ができるのだろうか?」
と考える時間が多くなりました。
これは「周りの人に幸せになってほしい」という気持ちと同じです。
この感覚が再び自分の人生を豊かなものにし、結果的に良い循環がめぐり始めました。
- 自分の存在に感謝し、
- その恩恵をGIVEし、
- 相手からの「ありがとう」という言葉を糧に、また「生」を感じる。
このことに気づくまでに、30年以上かかったというわけですね笑。
感謝・感動をしたら、行動に移そう。
いつまでも「世界は美しいなぁ…」と感動・感謝をしていれば良いのかと言われますと、それは実は何もしていないことを意味します。
「世界に感動し、自分の命に感謝したのならば、行動に移さくちゃ!」
と思うようになったのです。
具体的には、
「自分が手に入れたものを、相手に与えること」
でした。
まず僕は、旅をしたりサウナに行ったり、美術館をめぐったりすることで、「生きている喜び」を感じます。
それはこの美しい世界を自分の目で見ておきたいという、強い衝動に突き動かされているからです。
世界を回ることで「たくさん感動すること」ができれば、人に与えるためのエネルギーが自分に蓄積されていきます。
つまりたくさん感謝し、感動することは、誰かに分け与えることができる「大きなエネルギー」を獲得していくことを意味します。
それを独り占めしていては、本来感じられるはずの「本当の幸せ」を失うことになってしまいます。
そこで、
- お金を使ってお土産を買って帰ったり、
- 自分がした経験を話してみたり、
- オススメの場所を教えてみたり、
- 感動したことをシェアしたり。
無形・有形に関わらず、自分が蓄えたエネルギーを、誰かに分け与えることを始めてみたのです。
「他人のために行動すること」までつなげて初めて、自分の経験や感動は意味を持ってくるのだということがわかったのでした。
すると自分ひとりでいる時間も、より幸せを感じやすくなります。
最近、朝日や夕日、大自然や人との出会いに感動できるのも、そうした循環がめぐってきたからなのではないかと思っています。
もう、以前の小さくて狭い心を持った自分ではありません。
小さなことや今ある世界に感動できるようになったのは、GIVEする行動にシフトし始めたからこそなのかもしれませんね。
おわりに
抽象的かつスピリチュアルな記事となってしまいました笑。
やはり文字にして伝えることは難しいですね。
最近の僕は、以前の自分より生きがいを感じるようになり、感謝することも増えてきました。
「今までどんだけだったんだよ笑」というツッコミはさておきまして、世の中ではなく自分が変わってきているのだなと日々感じております。
GIVEについて書いていることも多いのですが、僕にはもっともっとやらなければならないことが、まだまだたくさんあります。
その使命感を胸に、今後も新たな行動を続けていきますので、またみなさんと体験したことをシェアできたら嬉しいなと思っております。
明日の朝も気持ちいいことを楽しみにし、寝ることにしますね。
それではまた!
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