こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、仙台から車で30分ほどの仙台 秋保(あきう)温泉 岩沼屋に友人たちと泊まってきました。
夕食・朝食がついたプランのご飯がともにとても美味しく、以前の僕だったら「腹にたまりさえすればよい」と思って食べていたご飯も、これほどまでに美味しく感じたことはありませんでした。
最近は「食べるもの」に気を使うようになってから、素材そのものの美味しさに気づき始めた30代でしたが、そう言った味に対する感覚を始めとして「自分は一体全体、何を口にしているのだろうか?」と興味を持つようになってきました。
「自分が何を食べているのか」を考えられるようになってきましたので、そのメリットや必要性を書いていきます。
自分は何を食べているのか?
食生活改善をしてからというもの、自分が口に運んでいるものに対して以前よりもだいぶ興味を持つようになりました笑。
「その年になって、それってどうなのよ?笑」
と思われるのも仕方ないくらい、僕は自分が何を食べているのか気にしていませんでした。
- 味が濃くてダイレクトに美味しいと感じられるもの
- 砂糖や塩がたっぷりと使われているもの
を食べ、自分が「同世代の中では運動しているほうだ」という絶妙な言い訳をいいように使っては、食べているモノの「内容」に目を向けてきませんでした。
しかし今では節制を心がけているため、自分が食べているものはなんとなく理解できるようになりました。
また食の傾向もだいぶ変わり、「素材の本来の味」を感じることができるものを口に運ぶようになってきました。
そのため、今回の旅行先で自分が気になって仕方なかったのは「食材に何が使われているか」でした。
それは、
- 塩分がどうとか
- 糖分がどうとか
- 脂質がどうとか
そういう「成分表示」の問題ではなくて、
- どのような食材が使われているのか?
- どこ産の食材が使われているのか?
- 「この味はもしかして…あれが使われているのでは?」
と言った食材そのものに対する意識でした。
「魚」に関してはもともと苦手意識が強かったこともあり、料理に出てきて食べた魚の名前もわからないことがほとんどでしたので、今回はコースで出てきた魚の名前を確認するようにしてみました。
こうした「変化」は僕自身も驚いています。
- 「へー宮城産の?」
- 「あ、これがイワシなのね!こっちがホッケか」
- 「仙台牛って…なるほど美味しい」
と、今まででは考えられないほどの「興味」が湧いてきました。
旅館ということもあってか和食が多かったので、味付けの濃いものよりも、少し味付けしただけの薄味のものや、出汁を活かした鍋などを美味しく感じましたね。
こうして「自分は何を食べたのか」を毎回考えておくだけでも勉強になります。
「食通であり、詳しければ良い」という意味ではなく、自分の体の一部となるものに対する純粋な興味は、持っておくことが大事ですね。
第一次産業に感謝すること
ここ一年で食生活を改善しただけでも、多くのメリットを感じています。
- 体の調子が良くなる。
- 便が良くなる。
- 無駄な脂肪が削ぎ落とされる。
- 食べ物に感謝することができる。
- 一食一食を大切にすることができるようになる。
など、数え切れないほどの恩恵を受けました。
感謝するという意味では、肉や魚などの「命」に対してはもちろんのこと、その食材の生産者さんたちへの熱い気持ちも、こみ上げてきました。
「待て待て。一体どうしたらこんなに美味しいものが作れるんだ?」と。
それは「高級であるもの」に対する敬意だけでなく、普段からいただいているお米や野菜、肉などに対する敬意でもあります。
宮城の古川にいます僕のおじさんも、農家でお米を作っていますので、その過酷さもわずかながらわかります。
今回「どこ産の何が使われているのだろうか?」とメニューに目を向けてみますと、お米もお肉も野菜も薬味も、
- 仙台産の〇〇
- 宮城県産の〇〇
と、地元の食材がふんだんに活かされたコース料理となっておりました。
地産地消とはまさに言葉通りでしたが、普段は神奈川にいる自分がこうして「宮城県で、宮城県の」美味しいご飯を食べることができて、本当にありがたいなと感じました。
このように「食」に目を向けてみますと、食卓に出てくる前の農業や畜産、漁業に対して自然と思いを馳せるようになります。
これらを「第一次産業」と呼びます。
以前にもインフラや建築物などの「第二次産業」と、サービスなどの「第三次産業」に敬意を抱いたことを記事にしました。
「食べること」に対して意識が向き始めますと、
- 自分の健康に意識が向く。
- 食べるものに気を使うようになる。
- ゆっくりと食べ、感謝するようになる。
- 何が使われているのか調べるようになる。
- その生産者さんたちに感謝するようになる。
- 何か応援できないかと思うようになる。
と「ただ自分の健康のため」という意識から、もっと食卓の裏側や「食」の核心部分に対して考えることができるようになります。
それは食に対して「これは〇〇産の〇〇だね」と言えるような知識自慢ができればいいというわけではなくて、自分が社会の循環のうちの一員であるということを理解することが、生きていく上でとても大切だということです。
そうして「社会との繋がり」を意識することで、普段生活の周りにあるものに支えられている自覚が生まれ、より社会に対して感謝できる人生になると思うからです。
そうすれば今度は「自分が社会に返せるものは何か?」と考えることができるようになってきます。
それこそが「生きがい」に繋がってゆくのではないのかな、と。
つまり食に対して目を向けるだけ、興味を持つだけでも、人生に厚みが出るということです。
「食」も体験のうちの1つ
僕は「グルメ」とはほど遠く、以前の食生活は惨憺たるものでしたので、自分が食に対して意識を向ける日が来るとは思いもしませんでした笑。
- サウナ
- 美術館めぐり
- カフェめぐり
など、軒並みよくわからない趣味が並んでいるように見えますが笑、実は共通項として「体験」があげられます。
そこで「食」が単純に、
「『高級なレストラン=贅沢な体験』という意味でしょ?」
となるわけではありません。
もちろんそのお店の、
- サービス
- 空気感や雰囲気
- その場で過ごせる時間
などを「体験として」感じることもとても大切なことです。
ただそれだけではなく、
- 「なんて美味しいのだろう!」
- 「また食べに来たいな」
- 「美味しい!なんて幸せなのだろう」
と食材や味に対する体験も忘れてはなりません。
今回は始終友人たちと「うわ!」「うますぎる!」「幸せ…」と、大変低俗な感想ではあるかと思いますが笑、ご飯そのものに対して素晴らしいと感想を持つことができたことも、貴重な体験となりました。
だから僕は「グルメ」になることは目的ではなく、
「自分にとって新しくて、普段は絶対にできないような貴重な体験を多くしてゆくこと」
が、美味しい場所や「高級」と言われる場所で食べることの「目的」だと思うのです。
そうすれば変に「食通ではないから…」と言わなくてよくて、単に「美味しいもの」を探しに出向いては友人知人に勧めるような、そんなカタチがとれるのです。
時代は「モノ消費」から「コト消費」、いわゆる体験にお金や時間を使う時代です。
「食」を「モノ」として捉えるだけではなく、「体験」としての価値を感じるのもよいことでしょう。
おわりに
カフェで飲むコーヒーや、レストランで出される美味しい料理はそれ自体に価値があるので、
- 「カフェやレストランに行くことは無意味だ」
- 「外食しないほうが節約になるに決まっている」
- 「自炊でも十分美味しいものを摂取できるよ?」
といった極端な意見は、違うのかなと思っています。
それぞれにそれぞれの良さがあり「どちらかが正義で、どちらかが正しい」ということではありません。
やはり、
- 何も考えずに
- 感謝もせずに
- ただ欲望を満たすだけ
- 高級レストランをSNSに載せて見栄を張るだけ
などは目的がズレていると思っています。
美味しいものには感謝をしたいですから、「値が張る料理」には感謝の対価としてお金を支払うべきでしょう。
一方で食にこだわることは「お金をかけること」を意味するだけではないですし、自炊することで気づくこともあれば、時短料理や冷食などにも企業努力やその素晴らしさに気づくことがあります。
全体を見渡した上で、
- 自分の体と相談し、
- 必要な「食」を考え、
- 時に外食してその素晴らしさを感じたり、
- たまに自炊して節約したり、
- 友人との会食の時間を大切にしたり…
と、「食」を多面的に見ることが重要ですね。
何事も経験して初めてわかることばかりですから。
みなさんもぜひ、どこかで外食して何かを感じ取ってみてはいかがですか?
それではまた!
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