あまりにも普通の日々に刺激は必要か?【ルーティンの良さと悪さ】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、

今は力を溜める時だ

という記事を書きました。

人間、暇な時間がありますと、

あれもしたい。これもしたい

という欲望に駆られます。

僕も個人事業主をスタートさせたため、どうしても公務員時代より「意図的に時間を作る」ことができてしまいます。

それでも、

図書館が休みの日である月曜以外は、基本的に図書館で過ごそう

と思い、たまに外食しながらも、遠出せず黙々と作業をする毎日です。

果たしてこれは僕が望んでいた生き方だったのでしょうか。

今日は「ルーティンと刺激」について書いていきます。

自分の生活の中で、ルーティン生活はとても大事なことだ。まずは自分の立ち位置を把握してから、自由を目指していこう。

公務員時代もかなり節制していた

さて、公務員を辞めてより自由の身となった僕は、

  1. 最低限働いて
  2. 自由に過ごしまくる

という選択肢も、あると言えばあります。

自由が好きなんだから、好きに生きたらいいじゃん!

そうやって去年は、あり余る力を使っては、日本全国津々浦々、いろんな場所の人たちと出会っては楽しい時間を過ごしました。

一方で今は、「めちゃくちゃ稼いでいる」というわけではなかったからか、節制のフェーズに入っています。

では、公務員の時はどういう生活だったかといえば、

  1. 月〜金は働いて
  2. 土日祝日にいろんなところに行っていた

と、意外にも「あまりお金を使っていなかった」のです。

なぜ個人事業主になってからしんどくなったのかといえば、単純に、

  1. お金はないのに
  2. 自由に飛び回っていた

からでした笑。

実は公務員時代は、平日なんて夜に帰って作業するくらいが関の山で、本当に月から金までの5日間は “どこにも” 行っていませんでした。

平日もたまにカフェなんかに行ったりもしましたが、それも数回程度。

要は、

  1. めちゃくちゃ働いて
  2. たまに休んでいた(しかもちょっと)

という生活だったので、経済的に余裕があったのですね。

だから土日祝日にいろんなところに飛び回っていたのは、実は「理にかなっていた/身の丈にあっていた」生活だったのでした。

確かに月から金までの平日はストレスフルでもありましたが、

遊ぶ選択肢なんてない

という事実があったからこそ、貯蓄を促してくれていたのだと思っています。

そう考えますと、今の働き方の改善として、

  1. 平日は月曜の図書館休館以外は図書館を利用
  2. 毎日同じような生活を送り、たまに外食したり友人に会ったりする

といった、公務員時代の生活に近づけなければなりません。

あの頃はストレスを感じながらも、幸せでした。

“半強制的に” 遊びの時間がなかったからこそ、でもあったのです。

今も別に、遊べるほどの収入があるわけではありません。

だったら、たくさん働いて節制しよう

今はそういうフェーズなのですね。

公務員時代も実は、結構お金を使っていなかった。個人事業主になっても、その姿勢を崩さないこと。少しずつ貯めていくのだ。

刺激を求めすぎても意味はない

公務員時代は、

  • 週に一回とか
  • 二週に一回とか

それくらいの頻度で外出を楽しんでいました。

実はこの頻度は、今考えますとなかなかちょうどいいのです。

もし自分に「腐るほどのお金」があったら、他のところを転々としながらこうしてブログを書いて自分の事業をしていた “かも” しれません。

ただそれでも、僕的には、

もう満足かな。自分を満たすことについては

と思うようになったのが実のところです。

どこかを回っても、

早く帰って仕事したいなぁ

と思うことのほうが多くなったのですね笑。

また「公務員時代」の生活に戻ったような、そんな感覚です。

じゃあこの生活は、刺激が足りなくてつまらない生活なのか?

と言われますと、別にそうでもないです。

公務員時代の後半も、毎日遠出したり外出したりしていなかったものの、それなりに幸せでした。

そう、たまにするからいいのですね。

僕にどんなにお金があっても、毎日豪遊していたら楽しくなんてありません。

日々淡々と誰かのために過ごすからこそ、

  • たまに友人と会ったり
  • どこかに出かけたり遠出したり

するのが楽しいのです。

世界一周もあれはあれで刺激的でしたが、「またしたいか?」と言われれば、

まぁ別に、またいつかでいいかな笑

というのが、正直な感想なのです笑。

常に刺激のある生活とは、一見すると羨(うらや)ましくもあり、なんだか「自由に生きてるね!」と言われるような気もします。

ただ、お金は出てゆく一方ですし、

なんだか幸せって、そういうことではない…

と思うのです。

仮に、毎日「何かできる余裕」が金銭的にあったとしても、それをしすぎてしまうとダメになってしまうもの。

いつの時代でも「中庸を守れ」という警告は、変わらずにあるものなのかもしれませんね。

刺激を求め続ける人生も、実はどこかでマンネリ化する。たまにするからこそいいものであり、やり続けても長続きはしないものだ。

自分の立ち位置を明確にすること

身の丈にあった生活をする。

これは経済的な自由を目指してゆく上で、とても大事な考え方です。

個人事業を始めた昨年度(2024年)も、決して贅沢な暮らしはしていなかったのですが、今年(2025年)になって改めて、

よし。また節制しよう

と思うようになり、改めて外食や遠征を控えるようになりました。

やっぱりそんな人生、つまらないんじゃないの?

ここでポイントなのが、僕はそういう “清貧な生活” も好きだということです。

お金は使ってこそなんぼだ

という事実も十分にわかっていますし、去年(2024年)、必要なところにお金を使っていた僕は、あれはあれで幸せでした。

  1. 足るを知り
  2. 自分の位置を知り
  3. 十分に満たされている事実を知る

それから、毎日の人生とは楽しくなってゆくものです。

自分の立ち位置を正確に把握するためには、何もインプットもなかった僕には至難の業(わざ)でした。

去年(2024年)の僕があまり貯蓄に走らなかったのは、

なんとなく、それが今必要だと思ったから

でした。

今は少し落ち着いて、

  • 力を溜めること
  • お金を貯めること

に喜びを覚えるフェーズとなってきましたね。

また余裕ができれば、それはそれで新たな動きをしていけばいい。

自分の立ち位置を常に俯瞰して、その都度必要なことにお金を使っていったらいい。

そんな考え方をしています。

ルーティン生活は、時に「刺激がなくてつまらない」と揶揄(やゆ)されがちですが、僕からすれば別に刺激があることだけが人生だとも思っていません。

それぞれ「良し/悪し」があっても、トータルで(最終的に)見た時に、プラスになっているような感覚を持っていれば、それでいいということ。

僕は今、こうして毎日のように「図書館に通っては家に戻る」生活をしていても、

たまに行く外食がいいんだよなぁ〜笑

と思っています。

毎日友人と会えるほど、僕は大きな事業をしていませんし、裕福でもありません。

また裕福な人たちでも、積極的に仕事をしているわけですから、僕としても(悪い意味で)「遊んでばかり」もいられないのですね。

だからルーティン生活は、生活の基盤にしておくこと。

その上で余裕が出てきたら、またたまに「刺激」を求めてさすらうのです。

ルーティン生活にも刺激がないという悪い面がある。しかしトータルで見た時に「幸せだな」と思える生活であればそれでいいのだ。まずは自分の立ち位置を把握すること。その上でたまに刺激を求めていこう。

おわりに

何もない仕事だけの生活。

「それだけ」であれば、それはやはり楽しくないと思います。

ただ、ルーティン生活の中に意味を感じ、その中で幸せを感じていくことができれば十分ですし、何より「トータルで見る」という意味では、身の丈にあった生活を送ることが最優先です。

公務員時代だって経済的に余裕があったのは、かなりの時間を労働に費やしていたからこそ、ですからね。

個人事業主になったからといって自分の立ち位置を見誤ってはいけません。

毎日を丁寧に過ごしていきましょう。

それではまた!

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