こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕は以前、公立高校の教員をしていたものですから、

と思っていたことがありました。(おい)
「髪を染めてはいけない」という文言もいまだによく理解できませんが、日本とは本当にルールの多い国です。
もちろん、根っから否定しているわけではありませんし、

と言いたいわけでもありません笑。
先日、日本に長く住んでいる中国の生徒さんと話した時に、
という話になりました。
果たして、ルールとは「守るから守られるもの」なのか。
今日は日本人とルールについて書いていきます。
日本社会の成り立ちとルール
先述した通り、僕はこのブログではあまり意見が偏らないように書くことを心がけています。
確かに日本のルールの中には、「バカらしいもの」も含まれていますが、

と理解することもできます。
だからルールそれ自体を否定しなくてもいいですし、
と思っておくくらいでいいのかなと思っています。
それくらい、日本とはルールが多いものです。
みんなに「ルールを守らせること」で、社会の秩序を守りたいのでしょうし、ルールから外れている人を責めることで、自分のポジションを確保しておきたいのかもしれません。
真相はわかりませんが、多くの日本人が「ルールを守りたがっている」のは間違いではありません。
- 歴史的な背景
- 文化的な背景
- 教育的な背景
など、多くのことが混ざり合ってできている現状なのでしょう。
ただ、時代も少しずつ変わってきており、
と思っている僕のような人間も笑、少しずつ出現し始めているのも事実です。
多様性も広がり「昔ながらのニッポン」の良さと悪さ、どちらにも焦点が当てられています。
学校の教育が「ルールを守らせる文化」の最たるものかもしれませんが、反抗的な生徒もよくいますから(嬉しいこと笑)、一概に、

とも言えませんね。
いずれにせよ、様々な要因をもとに日本がルールに縛られているということ。
そこで出た「良さ/悪さ」があるということは事実ですね。
ルールは自分で判断する必要がある
さて、ここで僕が言いたいのは、
という、偏見とも取れる固い考え方です。
いつもそうとは限らないからですね。
校則もそのうちの一つですが、教員とは校則を守らせている割に、”自分たちが守っていないこと” が往々にしてあります。
僕はもともと教師でしたので、そんなこと散見されまくりでした笑。

と。
だから僕は、「ルールを守ることの素晴らしさ」に理解を示しつつも、ただただ盲目的にルールを守っていては、
と言っている人をみますと、たまに呆れることがあります。
もちろん、これは個人の按配もあって、
と感心することでもありません笑。
僕だって間違えることもありますし、自分の都合のいいように解釈をすることもあります。
場合によっては、「ルールを守るべき時や場所」もありますからね。
交通ルールもそうですし、公共の場所もそうです。
ただ僕は、誰かの行動を注意する時には、

と思ったことは、実はほとんどありません。
どちらかといえばルールは最後のほうに出すものであって、「悪いことを悪い」と注意することのほうが多いです。
「ルールなんだから」という言葉は、時に有効かもしれませんが、時に「意味のないこと」にもなりかねません。
僕が学校の先生をやっていた時に、
と言っていた先生たちが、とても気持ち悪かったように。
「ルールは守るべき」という発言は一見するとかっこいい文言ですが、一方で思考停止状態だとも言えます。
僕は、社会を良くしていくためには「ルールを守りましょう」ではなくて、「人として正しくあろう」だと思うのです。
いろんな背景があって生まれたルールも、当然あると思います。
ただ、それがわからない人としっかりと向き合い、「落とし所」を探っていく必要がありますよね。
だからいつでも、既存のルールにとらわれないこと。
それらを守ることは大事だとしても、
と根本や本質から見ていくほうが、よっぽど大切だと思います。
ルールを盲信しないこと
自分でルールを判断してゆくことは、僕はとても大事なことだと思っています。
先ほどの信号の話ではありませんが、僕はいつも冗談半分でこの話題を出します笑。

というものです。
道路の大きさや交通量、視界の開(ひら)け具合など、様々な要素はあるとしても「明らかに」安全なのに、頑なに信号が変わるまで渡ろうとしない人を、僕は不思議に思うことがあります。

と。
もちろん、それ自体は別に悪いことでもないですし、否定しているわけでもありません。
僕だって青になるまで待つ時はありますし、状況にもよります。
ただ、
- 人が見ているから
- 咎められるのがイヤだから
- ルールを守ることが全てだから
と即答してしまっている人は、要注意だと思っています。
そういう人は、生徒から以下のように、
と聞かれた時に、体裁を守ろうとして、
としか言えない、ダサい大人になる傾向があるのです。
いろんな背景があってルールが作られていることもありますが、慣習として残っているだけの、
「ただ古くて、人を縛っているだけのルール」
も、実は数多く存在します。
要は、僕がこの質問で見ている部分とは、
- その人の柔軟性
- 根本に対するアプローチの仕方
などの部分なのです。
僕らはしっかりと、”ルールの根本” を見なければなりません。
そうやって常に疑う姿勢を持ちながら、ちゃんと自分の頭で考えることです。
考えた上でルールを守ることと、盲信して “ただ従順にルールを守ること” では意味が全く違います。
僕は後者にはなりたくない。
みなさんはどうなりたいですか。
おわりに
今、日本はオーバーツーリズムで、
といったことも耳にします。
ルールも大事かもしれませんが、

と思うのです。
ルールは時に自分を守ってくれもしますが、首輪のように自分を縛ることもあります。
一つ一つにきちんと対応して、自分なりに解釈しながらも、その背景なども踏まえて議論を重ねていきましょう。
それではまた!
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