勉強ならみんなフェアなのか?【実は広がっている教育の格差】

投資

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人と私立の無償化やら教育のあり方などについてシェアしました。

その話の中でどうやら、

こと勉強においては、みんな平等だ

と謳っている人がいるそうです。

まぁ、部分的にはわからなくもないですが、すでにもう格差とは生まれています。

今日はそうした「教育の格差」について話をしていきます。

努力だけではどうにもならないことがある。それをわかった上で勉強に取り組んでいこう。

勉強は誰に対しても平等か?

僕も受験時代は、

勉強なら、芸術やスポーツよりはある程度フェアだ

とは思っていましたし、今でも若干思っているフシはあります。

しかしこれは「芸術やスポーツと比べれば」という条件付きのものであり、それぞれにはそれぞれの難しさがありますから、勉強だって一筋縄でいくものではありません。

だから、

勉強だったら、誰がやったって努力次第だ

という言葉には惑わされないことですね。

僕は、

  • 学生時代ではガリ勉
  • 英語教師の経験を経て
  • 現在はオンラインで英語講師

という経歴を持っているからこそ、「勉強」が簡単でないことも知っています。

確かに勉強は芸術やスポーツとは違うものですが、やはり、

  • 環境
  • センス

なども問われるものです。

簡単に言ってしまえば、

学校に行きたいがお金がなくていけない

という生徒さんに対して、

努力次第でなんとかなる。頑張りなさい

とは、口が裂けても言えません。

テキストを購入することや、安い教育機関を選ぶことで、確かに低コストで “勉強” というカタチにはたどり着くことができます。

でもそうした簡単な例をあげてみればわかる通り、「勉強環境にアクセスすることができない」という事実があることもまた否めないということです。

だからあまり「勉強においては平等だろ」とは言わないこと。

すでに格差は生まれており、資金的な面で教育に投資できるかどうかが変わってきます。

ある程度同じ環境下であれば努力の差で戦えますが、そもそも同じ土俵に立てない人がいるということも知らなければなりませんよね。

勉強は平等か。実は環境やセンスによって現実的に「できないもの」でもある。それを知った上で、条件をつけて「平等だ」と言うことにしよう。

勉強にはセンスが必要

さて、環境は整ったということにしましょう。

ここからは努力次第!

とも行きません。

勉強してきた方ならわかる通り、勉強するにしても、

  • 教科
  • 文系理系
  • 目指しているもの

によって、全然レベルも程度も変わってきます。

人によって得手不得手があるように、勉強だってオールラウンドにできるのはごく限られた人間だけです。

だから僕は、

勉強にもある程度のセンスは必要だ

と言うことにしています。

そうでなければ、

  • お金をかければなんとかなる
  • 誰でも頑張れば東大に行ける

といったような「非現実的なこと」を思い描いてしまう人が出てきてしまうのです。

もちろん、高いレベルを目指している人に対して、

お前には無理だ

とか、「夢を諦めろ」という文脈で声をかけたいのではありません。

でも、「努力次第でなんとかなる」があまりにもまかり通り過ぎてしまいますと、それは暗に「誰でもなんでもできるようになる」と言ったような、そんな口ぶりになってしまうリスクがあるということです。

芸術やスポーツほどではありませんが、勉強でもある程度の「センス」は必要です。

文系や理系に分かれたり、自分の好きな教科やキラいな教科があるように、誰だって “勉強” という分野が体に合っているわけではありません。

もっと違う場所で花を咲かせられる人もいますしね。

だからこそ高校や大学が無数に存在しますし、芸術やスポーツの分野で活躍する人もいるのです。

それを、

勉強なら、他の分野と違って努力でなんとかなるだろ

は、ちょっと乱暴な意見なのではないかと。

だから、

お前は勉強という分野で頑張れ。あそこなら平等だ

というアドバイスは不適切です。

どこの分野においても「センス」がある程度問われているように、勉強だって例外ではありません。

それをわかった上で、

勉強は自分の肌に合っていると思うし、好きだから、自分は努力してみたい

と思えるかどうかということ。

ここを勘違いしないことですね。

勉強だけ特別視して、誰でもできるようなものだと言わないことだ。勉強にもある程度センスはいる。それを知っておこう。

生まれている格差

やはり大きな格差としては、先述したような「教育環境」がモノを言うことは否めません。

多くの保護者たちがこぞって教育に投資をするのを見た時に、

いやいや、そこにお金をかけなくったって努力次第でどうにでも…

と言う親御さんはいらっしゃらないでしょう。

でなければ、

どうして子どもたちの教育にお金をかけるのか?

という問いに答えられませんからね。

お金があるのであれば、どんな親御さんだってお金をかけたいのです。

それができない現状があるのだから、格差が生まれているのですね。

何度も言いますが、

だから努力したって無駄。もう環境で決まってる

とは言いません。

僕自身も「中/高/大」全て「国公立」の出身ですし、お金をかけずに勉強を頑張ってきた部類の人間です。

全くもってエリートではありません。

ただ、冒頭でお伝えした通り、

「そもそも『教育』にアクセスできないこともある」

という現状を知っておくことです。

僕もエリートではない「雑草魂」で生きてきた人間とはいえ、本当の本当に「テキストさえ買えない状態」であったら、ここまで勉強できていなかったと思います。

テキストブックの購入なんて小さな話かもしれませんが、これが「私立の小学校に行かせる」ということになったら、話がかなり変わってきますよね。

だから、

勉強においてはみな平等。努力次第でなんとかなる

と安易に言わないことです。

「努力は裏切らない」とお伝えしたいところですが、このような格差はすでに通う学校が違うだけで生まれています。

“その上で” お子さんにどうしてあげたいのか、あるいは自分がどうなっていきたいのかを考えることです。

勉強だってセンスは必要ですし、簡単なことではありませんからね。

時間もお金もかかります。

先生として生徒たちを見てみれば、

  • かけているお金
  • かけている労力
  • 勉強への積極的な姿勢

などが、ご家庭あるいは個人によって大きく異なるのは火を見るよりも明らかです。

その前提をもとにして、僕は進路について話したり、今生徒さんにとって何が必要なのかを探ったりしていました。

すでに格差は生まれているということ。

それを埋められるのは努力やセンスでもありますし、経済的な力でもあります。

ただだからと言って、

それらで全てが解決する

という発想は持たないことです。

消極的な意見だと捉えられてしまうかもしれませんが、教育に従事してきたものとして、率直にお伝えしておきたいのです。

もうすでに学習環境やセンスなどで、ある程度のレールは敷かれてしまっている。それを知った上で、これからお子さんに、自分に何ができるのかを考えてみよう。

おわりに

勉強環境とはとても大事です。

芸術やスポーツもそうですが、家庭や学校でどういう人とつるんでいるかでも、その人の能力や将来は少しずつ決まってきます。

別に絶望させたいわけではなくて、事実として目を向けなければいけないということ。

その上であれば、

  • 努力をするもよし
  • お金をかけてみるのもよし

なのです。

一言で片付くとは思わないほうがいいでしょうね。

でもみなさんにも、僕みたいに雑草魂で頑張って欲しいとは思っていますが。

それではまた!

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