幸せな生活とは一体なんなのか?【普通の暮らしを送る男は何を思う】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

いろんな人のいろんな生活を見て(聞いて)いますと、

自分の暮らしは、本当にこれでいいのだろうか?

と思う時があります。

とはいえ、

SNS上は、切り取りでしかない

とも思っています。

実際、僕が載せている「暮らし」にも、端折(はしょ)っている部分はいくらかあります。

それに「人の暮らし」とは、人と比べるものではありません。

僕は僕なりの生活を送り、そこに満足度を求めています。

今日は、僕の「普通の生活」の定義をしていきます。

普通に寝て起きて暮らせるだけで、素晴らしい。まずはその「幸せ」に気づくようにしよう。

何もなかった8月

今年の8月は、上旬に友人たちと会ったきりで、お盆から9月まで何もない時間となりました。

教員時代は、

  • 学校に行って部活を見たり
  • 多少なりとも業務をしたり

して、空いた時間に旅行等もしていましたが、

また明日から学校か…

とも思っていました。

そういう意味では、今ですと職場や同僚、生徒たちと会う機会がないため、

文字通り、何もないなぁ

と思わざるを得ませんでした。(友人との会食などもなし)

しかし、それは教員時代とはまた違った「暇さ or 忙しさ」であり、

先生であろうと個人事業主であろうと、働くことは変わりない

と結論づけました。

多くの人は、こうした長期休暇に特別なことをしようとします。

僕もそのうちの一人でした。

な、何か特別なことをしなきゃ!

と。

しかし、この一ヶ月は見事に何もなく、

  • 働いて
  • ご飯を食べて
  • 勉強して運動して

の繰り返しでした。

遠いところへの外出(一人旅)も、特にしていません。

それでも、

こんな生活も悪くないなぁ

と思って、日々を過ごしていたことに気づきました。

「何かをすればいい」ということではありません。

  • 先生だろうと
  • 個人事業主だろうと

大きく生活が変わったわけではない。

こちらの方が良かった!

と思うのではなく、それぞれの状況に合わせて生活していければ、それでいいのですね。

8月の後半は何もなかった。それでも、僕は満足度の高い生活を送っていた。

生きているだけで丸儲け

この生活を送ってみてわかったことは、

こうした普通の生活ができているだけでも、すごいことなのだな

ということでした。

人と比べる必要はないとはいえ、日本でこのように生活できていることとは、他国から見れば奇跡としか言いようがありません。

また、「貧乏なサラリーマンの一日」のような vlog などもたまに見ますが、コメント欄には、

いやいや、十分丁寧な暮らしができているよ

というコメントで溢れているくらいです。

誰もが、自分の生活に満足がいっておらず、

あの人と比べて自分は…

と思っている人もいますし、悩みや苦労を抱えながら生活しています。

そうなのです。

人の暮らしとは、結局は「自分がどう思うか」次第であるということ。

教員時代も、それはそれで幸せを感じていました。

結婚生活も、苦しいことはあったとはいえ、

全部が全部、ダメだったというわけではない

とも思えています。

自身の生活に、

  • どう幸せを見出し
  • どこに価値を感じるのか

を、自分なりに定義しておくことですね。

今の僕は、個人事業主としてあっという間に2年が過ぎ去りましたが、

なんだかんだで、税金も払っているし友人とも会えているし、美味しいご飯を食べながら生きているんだよなぁ…

と感じているくらいです。

“裕福な暮らし” ではありませんが、健康的で満足度の高い、そんな清貧な暮らしをしています。

こうして満足に生きているだけでも、僕はとても幸せなのです。

確かに、上を求めれば「もっといい生活」はあります。

  • 毎日動画を見る
  • 毎日飲みに行く
  • 毎日旅行をする

など、それぞれが描く「理想の最高の生活」があるに違いありません。

しかし実際のところは、FIRE(=経済的自立、早期退職)した人が再び働き始めてしまうように、人間とは「誰かと繋がっていたい存在」であるため、意外にもそうした生活は「いずれ飽きる」と思っています。

は?やったこともないくせに、妄想するな

と言われそうですが、僕は「ほぼそうなる」という確信があります。

だって今ですら、ある程度働かなくていいところを、毎日隙間なく働いているのですからね。

  1. 日々の生活があり
  2. 働ける環境がある

ということ。

これもまた、幸せなのかもしれません。

普段の生活でも、実は十分幸せだったりもする。それぞれが定義する「幸せ」とは、意外にも豪遊するような生活ではないのだ。

普段生活から洗練する

僕がこの一ヶ月を通して、どう感じたのかと言えば、

だからと言ってどこか遠いところに行ったり、特別な何かをしたりしたいわけではないんだよなぁ

ということでした。

現在の「十分に豊かな生活」に感謝して、コツコツとお金や信頼を貯めて、いろんな人と出会ってゆくこと。

むしろそんな「のんびりとした平和な生活」を、少しずつ望むようになりました。

一方でコロナ禍の時は、

そうだ!このFIREってやつをすれば、俺はもう働かなくていいんだ!

と、ワクワクしていたものです笑。

しかし、いざ「自分の生きたいように生きる」ということを始めてみますと、

実は、FIREすることがゴールではないのではないか?

と、徐々に考え直すようになりました。

普段生活に不満がなくなってきますと、もうそれ以上を求めることはなくなったのです。

教員時代と比べると大した速さではありませんが、「倹約の鬼」として毎月黒字を維持して、少しずつ投資額も増えています。

一歩ずつ、生活を豊かに

と。

決して豪遊するために、お金を貯めているわけではなくて、

  1. より自由に
  2. より裁量権が持てるように

お金を貯めていますし、何より英語を教えたり人の役に立ったりしている時が一番の幸せです。

普段生活から、自分の理想を追い求めていた結果、「お金による自由」というよりも、

  • 裁量権や人との繋がり(=社会資本)
  • 生きがいや仕事のやりがい

などのほうが、「人生の豊かさ」に直結するということがわかりました。

普段生活から洗練していきますと、

あれ?なんか早期退職とか超絶リッチとかが、僕の求めているものではないようだぞ?

と、思えるようになったのです。

それが「絶対的な答え」なのではなくて、それぞれが各自求めてゆくもの。

みなさんはみなさんなりの、「答え」を見出してみてくださいね。

普段の生活を突き詰めていると、自ずと自分らしい人生の答えが見えてくる。焦らずに、自分の答えを見つけにいこう。

おわりに

僕は凡人であり、誰よりも「普通の生活」を送っている自信があります。

一方で、教員生活でも今の生活でも、

自分はなんて恵まれているのだろう?

とその裕福さに、驚いてすらいます笑。

それくらい今の生活とは、手に入れたくても手に入れられない生活なのかもしれません。

世界を回ってきた男が言うのですから、間違いありません。

みなさんにとっての「幸せな生活」とはなんでしょうか。

ぜひ一度考えてみてくださいね。

それではまた!

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