僕が特別になる必要はないと思う理由【日常をいかに大事にできるか】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

さて、今週は珍しく何も特別なことがなく、

なんと4日連続で普通の日が続くじゃないか!

とプレッシャーもないまま、日常を過ごしている僕です。

こんな生活で良かったんだっけ?

と思った瞬間に、

これこそが目指していた生活だったじゃないか

と思い直しました。

日常を過ごせることの素晴らしさ、そして美しさ。

僕らは、この事実に感謝して生きていく必要がありますね。

特別になんてならなくていい。いかに毎日を平和に過ごせるかが、僕らの目標なのだ。

何かを求めすぎてはいないか?

この日本で、僕らはどこか、

もっと幸せで豊かな生活を!

と、求めすぎていないかと思っています。

もちろん、現政府には早いところ下野していただき笑、他の政党に日本を立て直していただきたいところではありますが、一方でそんな現政府の考え方に “乗っかってしまっている” 人たちもいます。

インフルエンサーや有名人みたいになって、億万長者になるんだ!

僕は億万長者になったことがないのでわかりませんが、察するに、そこ(=お金だけ)に幸せがあるとは、到底思えません。

お金があればできることは広がりますし、

  • 働かなくて良かったり
  • 好きなところに行ったり

するといった、メリットもあるのかもしれません。

ただ、僕はお金がなくても「日本人」というだけで最強のパスポートを得て、貧乏旅ながらも世界を見て回ることができました。

今は働くことがとても好きですし、このブログにおいては「奇人/変態」と呼ばれるほどに、5年以上休みなく書いています。(どんだけ笑)

何が言いたいかと言いますと、

  1. この日本に生まれ
  2. 一所懸命働くことでも

十分幸せだということです。

今週は何もありませんが、来週は僕は人と会う予定がたくさんあります。

じゃあ、特別な日までの「日常」は一所懸命働いて、あとはハメを外したらいいじゃない?

こう考えるだけでも、僕はとても幸せですね。

確かに、僕の手元に今「一億円」でもあったらと考えますと、みんなを呼んでパーティーでもするでしょう笑。

しかしそんなもの、一日で事足ります。

お金があっても、友人がいなければ何も楽しくないし、持続できなければ意味がない。

僕が資金を出す側に立つだけだと、みんなお金欲しさに集まるだけ。

これが「成れの果て」です。

足るを知り、求めすぎないこと。

これは僕がいつも、自分自身に言い聞かせていることですね。

僕らはいつからか、日常に高水準を求めるようになっていた。本当は、幸せはすぐそばにあるのに、だ。

日常こそが「特別」

僕らはよく忘れがちですが、

  • 澄み渡った空
  • 輝く新緑の山々
  • 心地よいせせらぎ

などがあることとは、当たり前のようで当たり前のものではありません。

僕は2025年1月に父を亡くしましたが、彼の分までこの世界を感じながら、一所懸命生きることに努めています。

まるで感傷的に聞こえるかもしれませんが、僕は図書館から帰る際、夕暮れを見るたびに、

この日本に生まれて良かった。こんな日本がいつまでも続きますように

と思いながら、帰宅することが多くなりました。

こんな当たり前の日常が、海外に行けば他人から奪われます。

奪われるどころか、

そんなもの、そもそも存在しなかった

とまで言う子どもたちがいるのが、「リアル」なのです。

だから僕は、

これ以上、何を望むというのだ?

と思うようになりました。

以前、学校の先生をしていた時は、子どもたちの青春に半(なか)ば混ぜてもらいながらも、

彼らが3年間、楽しく過ごせるように…

と、サポートに徹したものでした。

一方で、”日常のありがたみ” を感じることができないまま、自堕落な生活を送っていたことも否めません。

人間、忙しくなりますと、時間があっという間に過ぎて行ってしまい、

僕は/私は、一体何のために働いていたのだろうか?

と考えるようになります。

僕も例外ではありませんでした。

おかげさまで、コロナ禍の時に自分の人生を見つめ直すこととなり、今に至ります。

まだまだ旅の途中ではありますが、少しずつ人生を明るい方向へと導けるようにしている次第です。

日常に感謝し、他の人のために生きていれば、きっと未来は良くなるはず

と。

ひいては、それが回り回って他の人の幸せに繋がるのだと、僕はそう信じています。

日常を稀有(けう)な日々だと感じ、感謝して生きることができているだろうか。それができることが、幸せを感じる出発点なのかもしれない。

日々を淡々と生きて行ければ勝ち

さて、それから僕は必死に「特別な何か」になろうと、変なことをし始めました笑。

しかし当時、そうやって “特別なもの” を探せば探すほど、

なんて日常は美しいのだ?

と思うようになっていきました。

本をたくさん読んでは、投資や税金のことも、YouTubeであらかた探し尽くしました。

面白いことに、その過程の中で、

  • 睡眠
  • 自然
  • サウナ
  • マインドフルネス

などちょっと悟りを開いたような笑、そんな生活のほうに「希少さ」を感じるようになりました。

待てよ?こうしてちゃんと「生きてゆくこと」それ自体が、とても尊いことなのではないか?

と。

みなさんの中にも、

何をやってもダメだ
人生がうまくいかない

と感じてしまっている人が、少なくともいるのではないでしょうか。

実際は、そんなことありません。

まず毎日をきちんと、そして淡々と過ごせること。

これだけでも素晴らしいことなのだ!

そう思って構わないのです。

ちょっと働いて節約すれば、数万〜数十万は貯まります。

それくらいあれば、多少なりとも「好きなもの」を買えなくもないですよね。

そんな生活だけでも、すごいじゃないか!

僕はそう思っています。

学校の先生(公務員)だった時は、その事実を悟ったためか、

もうこれ以上、必要以上にお金をかけるのはやめにしよう

と思い、どんどんモノを減らしては、毎日を学校の業務に捧げ、お金は極力使っていかなくなりました。

たまにサウナに行ったり、美術館に行ったり、その程度。

コロナ後は友人との会食も劇的に減ったため、飲み会も激減しましたね。

余剰資金は投資に回し、どんどん資産が増えていきました。

これでいいじゃん

と。

僕は帰ってランニングをしたり、サウナに入ったりするたびに、

なんて…なんて幸せな毎日なんだ

と、涙を流していたものです。

みなさんも、高望みをする必要なんてありません。

  • 淡々と
  • 堅実に
  • 正しく

生きていれば、僕はそれだけで評価に値すると思っています。

あとはそんな人たちが報われるような、そんな日本に戻ることを願うのみ…

いえ、行動していかなければいけませんね。

毎日を誠実に生きること。それだけでも十分な価値がある。周りの豪勢な生活を見ず、毎日を一所懸命生きている自分に、拍手を送ろう。

おわりに

僕は昔から、裕福とは言えない家庭で育ってきました。

「だからこそ」と言うのかはわかりませんが笑、

そんな贅沢な生活は、望んでいない

という考えを持っています。

普通は逆なのかもしれませんが笑、別に強がっているわけでもありません。

金にモノを言わせている人間が、ダサいと感じているだけなのかもしれませんね。

「漢らしさ」のカッコよさ、美学に求めているものが、そういった “見栄” ではないのかなと。

僕は毎日を淡々と生きる、「プロの市民」ですからね笑。

それではまた!

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