こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
個人事業主も3年目となり、相変わらず毎日授業しては運動し、たまに旅行しながら楽しく過ごしています。
日常の幸せを求めて始めたこのブログも、2021年4月12日から5年が経ち、すでに6年目を迎えています。
継続することが苦手だった僕も、一日も休まずにここまで来られたのは、読んでいただいているみなさんのおかげです。
いつもありがとうございます。
今、僕の日常は変わらずに平和ではありますが、2026年現在は、
- 日本も
- 世界も
「明日には何が起こるかわからない」という状況下で、かなり緊迫しています。
それでも、日本という国で平和に暮らせている「今」に焦点を当てますと、
とも思います。
今日は、そんな僕の「日常や幸せ」と「特別なこと」などについて書いていきます。
日常とは当たり前ではない

何度も記事にしてきましたが、日本という国に生まれただけでも、相当ラッキーだと言えます。
- 紛争
- 貧困
- 災害
- 事件
など、あげればキリが無いくらい、日本以上にツラい国はたくさんあります。
日本にも事件や災害はあるとはいえ、海外を周遊したことのある方であれば、
と思っているに違いありません。
それだけ、こうして僕が図書館に来てブログを書いたり、
と思えるのは、日本だからこそなのです。
いまだ税金は高く、現政府には移民や少子化の問題が多分にありますが、なんとか国民も立ち上がっていて、少しずつ声も上がってきています。
そういった意味でも「日本が日本でなくなってしまう日」が来るのも、このまま行けば時間の問題でもあります。
とはいえ、まだまだ日本は、美しくモラルの高い国です。
- ツラいこと
- 大変なこと
もあるでしょうけれど(僕だってそう)、みなさんも同じように “日常” を過ごしているはずです。
まずはこの日常に感謝して、毎日を丁寧に生きること。
これが何より大切なことですよね。
小さな幸せを見つける

僕が毎日の課題としていることは、
と思うことです。
- 友人と会う約束
- 旅行をする予定
であれば、特に何か特別なことを探さなくても、自然とその日は楽しくなります。
それよりもむしろ、
が大事だと思っています。
僕はまた最近ダイエットを始めてしまったのですが(しんどい)、その中でも、
と、何気ない毎日に幸せを見出そうとしています。
これはブログを始めた当初から大事にしていることであり、当時は「朝起きれたらそれだけでも幸せ」と思うようにもしていました。
忙しかった教員時代、20代の半ばから後半にかけては、あっという間に時間が過ぎていっただけで、特別毎日に幸せを感じていたわけではありませんでした。
ある意味、そうやって普通に仕事ができていただけでも、幸せだったのかもしれませんけどね。
現代でも、仕事に追われていて、
と感じている人が後を絶ちません。
そうした「忙しさ」を否定したいわけではありませんが、
と経験上、理解できるのです。
もちろん、
- 華金
- 週末
- デート
- 飲み会
- 家族との時間
など、そうした類(たぐい)のことに幸せは見出していました。
しかしそれは裏を返せば、「それ以外の日々が、何かツラい修行のようなもの」と思っているという意味にもなりかねません。
仕事で追い込んだり、成長のためのトレーニングだったりするのであればいいのでしょうけれど、忙殺されるだけの毎日は避けたいのです。
教員生活の後半戦では、僕はそうした点に重きを置くようになっていました。
みなさんにとって「日常における幸せ」とはなんでしょうか。
今一度考えてみてくださいね。
無理に特別にならない

僕も昔は勘違いをしていたものでして、
- FIRE(=経済的自立、早期退職)をして
- あるいはめちゃくちゃお金を稼ぎまくって
と意気込んでいたものでした。
もちろん、お金を稼ぐこと自体は大切なことですし、それが誰かのために使うお金ならば、より一層良いことです。
ただ、幸せの定義がそれぞれ違うように、何も「特別な日=幸せ」という方程式が成り立つわけでもありません。
むしろそこにしか幸せを見出せない場合、それは「貧しい考え方だ」と捉えることもできます。
僕がよく批判的に書いている、
こんな考え方でしょうかね。
「特別」を目指そうとすればするほど、日常の些細な出来事に目が向かなくなってしまいます。
僕はこれこそ「不幸だ」と思っているのです。
いえ、「幸せの定義」とは確かに人それぞれですから、そうした生活もまた「アリ」なのかもしれません。
しかし僕が、
- コロナ禍を通して
- ブログを書き始めて
- 世界一周をしてみて
- 教員を辞めて個人事業主になってみて
から分かったこととは、
ということでした。
お金に関して言えば、学校の教員をやっていた時の方が、ボーナスも含めて圧倒的に(金銭的に)豊かな生活を送っていました。
それにも関わらず、どこか幸せではなかったからです。
無理をして豪華で派手なことをしても、どこか満たされない自分がいましたし、仕事に対する裁量権の無さにも辟易していました。
と感じたのです。
お金を使う先は、
- 友人に会いに行く
- 後輩や生徒に奢ってあげる
- その際にお土産をたくさん買う
こうした時の方が、満足度が圧倒的に高かったのです。
ただ、
が行き過ぎますと、僕の “お金” だけに寄ってくることになりかねませんので、そこはまた按配が大事ですけどね。
無理に「特別」を求めすぎると、逆に日常の幸せに気づくことができずに、不幸になってゆくもの。
だから日常を丁寧に生きて、等身大の生活をすることが大事なんですね。
おわりに
僕は数年前よりも、毎日を丁寧に生きるようになり、より幸せを感じられるよう努力するようになりました。
こういうことは、実は意識をしていないとなかなかできないものです。
みなさんは、今日という日にも幸せを見出せていますかね。
それではまた!
