僕らはなんのために働き、なんのために生きるのか【この社会での役割】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、こんな動画を見ました。

そこまで詳しくはないのですが、ちょっと前に大場一央先生の動画をいくつか拝見したことがあって、

なんて素晴らしい考え方なのだろう!

と感動していました。

この動画内でも、

どうやって生きるか?

という点を、短い時間で端的に伝えてくださり、とても感動しました。

今日は「生きる意味」について、清貧な生活の話と合わせて書いていきます。

僕らは誰かのために生きている。そこで喜びを得て、また明日から頑張ろうと思えるようになるのだ。

人のために生きる

僕は教員だったこともありますから、

誰かに英語や数学、あるいは投資や政治について話をしている時が、一番幸せだ

と思っています。

僕はたまたま教育に携わっていますが、みなさんはまた「それぞれの分野」でご活躍されていることと思います。

街を自転車で走っていますと、

  • 工事をしている人もいれば
  • 営業で回っている人もいて
  • 線路の整備をしている人もいる

と、目に見えるところでもそうでないところでも、誰かが何かしらの役に立つような、そんな仕事をして生きています。

もちろん「ライス・ワーク」として、イヤイヤやっている部分もあるかもしれませんが、必ず誰かの役に立っていることは間違いありません。

僕の場合はよく飲食店やサウナに行きますので、行くたびに、

いや〜、頭が上がらないなぁ

と思ってしまいます。

もちろん、また逆も然りです。

僕が一所懸命教えたり、悩みを聞いたりすることで、

先生ありがとう!

と言ってもらえますから、その時ほど嬉しいことはありませんね。

誰かのために生きてこそ、人はそこに「」の意味を見出す。

僕はこうした考え方に、とても共感しています。

一方、行き過ぎた考え方になりますと、

金さえ持っていれば強い
大事なことは有名になること

など、勘違いした人たちが表れてきますからね。

コロナ禍あたりで勉強を始めた時、僕は結構インフルエンサーから影響を受けていたものでした。

今思えば、「どこか少し違ったのかな」とも思っています。

否定するつもりはありませんが、どこかみんな、

この人は稼いでいるからすごい!

と、”異様な空気で” 担ぎ上げていたような、そんな雰囲気でしたね。

誰かのために生きることだ。その時に、人は幸せを感じるようになる。

清貧に生きる

行き過ぎた「資本主義」から少し遠ざかった僕は、また人生を見つめ直します。

やはり清貧に、正しく誠実に、実直に生きてみよう

と。

自分がまだ、スナック菓子を頬張ってムダな時間を過ごしていた時も笑、実は、

  • ご飯
  • 味噌汁

だけを食べるような、そんなシンプルな生き方に憧れていました。

その時もやろうとは試みていましたが、やはり現実は厳しく、結果的に妥協した生活となってしまいました。

しかしこうして、

  1. たくさん本を読み
  2. 政治や歴史などを勉強し
  3. 美術館で浮世絵などを見て昔の日本を見たことで
やっぱり、こうやって昔の人のように生きていければ、十分なのだ

と理解し、行動に移すことができるようになりました。

「清貧に生きること」は、別に誰かのために役に立っていることにはなりません。

ただ、「足るを知ること」で余裕も生まれ、”清く正しい生活” ができるようになります。

これが意味することとは、「行き過ぎた資本主義」から少し遠ざかるような、そんな感覚なのです。

すると、本当に大事なところにお金や時間、労力を避けるようになります。

教員をしていた当初は、とにかく稼いだお金を服や飲み会などにムダに使い笑、

俺は稼いでいるからいいんだ!

とすら思っていました。

しかし教員生活の最後のほうでは、

  1. 足るを知り
  2. 余剰資金を投資に回し
  3. 価値のあることにお金を費やす

というスタイルを意識するようになりました。

そうした「生の本質」を考えることで、

自分はなんのために稼ぎ、なんのために働いているのだ?

という疑問について、深く考えるようになります。

「他者のために働く」という考え方に直接繋がるわけではありませんが、お金について考え始めますと、自然と仕事にも意識が向くようになりますからね。

僕はこの生き方を目指すことで、だいぶ人生が変わったように感じています。

清貧に生きてみると、仕事やお金の使い方にも目が向くようになる。どうやってお金を使い、どうやって暮らしてゆくのか。それを考えるようになるのだ。

僕の目指す人生

僕は自他ともに認める「プロの庶民」です笑。

とにかく目立たないように生きつつも、

幸せってなんだろう?自分の人生ってなんのためにあるのだろう?

と考えて生きてきました。

その「究極形」となったのが、「コロナ禍明け」あたりでしたね。

  1. たくさん本を読み
  2. たくさん歩いて自問自答した

そんな時間が、改めて僕のお金の使い方や、人としてのあり方について考えさせてくれました。

この世で生きていこうと思いますと、やはり誰もが「私利私欲」のために生きようとしてしまいます。

お金や物欲が人を狂わせてしまうという事実は、現日本の政府与党(自民党)を見ていれば、誰もが納得しますよね。

とはいえ、定義もまた難しいものでして。

何も、

誰かのために身を犠牲にしろ。お金を自分のために使うな

とは言っていません。

生きてゆくには働かなければなりませんし、時に自分の欲求を満たすことも大事なことですからね。

そんな中で僕は、

自分の人生だし、多少わがままであってもいい。けれど足るを知り、清貧な生活を心がけ、人のために生きていこう

こんな絶妙なバランス感覚を持って生きていこうと、そう思うようになりました。

今は生きてゆくために必死ということもありますが笑、毎日授業をして休む暇がない状態です。(人と会う時間はまた別の話)

それは何より、

自分の人生において、誰かの役に立てる時間を過ごしていきたい

そう思っているからです。

カッコつけて言っているわけではありません。

見てください、このブログを笑。

  • 5年以上
  • 一日2時間ほど

かけて毎日書いていて、ほとんどお金になっていないのですから、僕が「どういう気持ちで書いているか」は、みなさんもご理解していただけるはずです。

とてもクサい言い方ですが、やはりこうした「他者貢献」に基づく活動とは、本当に気持ちがいいものです。

その中でいただけるお金もまた嬉しいものですし、

よっしゃ豪勢に遊んだろ!

ともなりません。

いつでもバランスは大事であり、先述した通り「お金を使うな」とかそういう意味合いではありません。

ただ、現社会はもう物質的には “飽和状態” です。

そこに何を求めて、僕らは働くのか。

  • 物欲なのか
  • エンタメなのか
  • それとももっと抽象的な幸せなのか

定義は人それぞれです。

僕は僕なりに出した答えを軸にして、また毎日を丁寧に生きていこうと思っています。

僕は誰かのために生きることが、幸せに直結するとわかり始めた。キレイごとでもいい。自分が本当に幸せを感じるものに、時間もお金も費やしていこう。

おわりに

考え方や思想とは、その人の行動や言動を決める要素と言っても、なんら不思議なことではありません。

僕も「考え方」を変えたおかげで、いろんなところに波及効果が生まれるようになりました。

何が正しいとか、押し付けるつもりもありません。

ただ現代では、あまりにも「資本主義」に偏り過ぎた考え方になっている人が多いことも事実です。

ぜひまたご自身の人生、生き方について考えてみてくださいね。

それではまた!

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