ある程度適当に生きていくことの良さ【完璧主義を目指さない】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

言語の勉強をしていますと、

もっと上手く話せたらなぁ

と思うことがあります。

知識に関しても、

もっと語彙力があれば!

と思うことさえあります。

でも僕は、いい意味で「適当に」勉強していますし、

時間はかかるものだろ?

と思っていますので笑、時間をかけて勉強していくことに抵抗はありません。

今日は「ある程度適当になることのメリット」について書いていきます。

人は完璧主義を求めるからこそ、上っていくことができる。しかし、時には適当さも必要なのだ。

完璧主義を目指す人

僕も以前は、

完璧な人間になりたい

という気持ちで、勉強をしていました。

簡単に言えば「ミスがないこと」を、大事にしていました。

できれば失敗したくない
完璧になってから挑戦したい

こういう考えですね。

“こういう人” とは(=以前の僕のこと)、いつもミスを恐れています。

ついでに言えば、「他人のミス」にも厳しくなります。

自分はミスをしていないのだから、お前もちゃんとやれ!

と。

完璧主義だった頃は、相当カリカリしていたものでした。

なんでお前はできないんだ?

と。

自分のことは棚に上げておきながら。

もちろん、「完璧を目指すこと」は大事なことです。

何ごとも「適当でいい」という意味ではありませんからね。

ただ、あまりにも「完璧主義」が行き過ぎてしまいますと、弊害を生みかねません。

  • 前に踏み出せない
  • 失敗を恐れてしまう
  • 他人に優しくなれなくなる

など。

僕は当時、かなり「失敗」を恐れていたほうでした。

失敗したら恥ずかしいし、自分の弱さを見せてしまうのだ

と。

結果、何が起こったか。

逆に「萎縮」するようになってしまったのです。

挑戦もせず、リスクも取ることもありませんでした。

それが、投資への挑戦を止め続け、

安定した生活を。新しいことには挑戦せずに生きてゆくんだ

というマインドを育ててしまいました。(それで、世界旅行もなかなかしませんでした)

人間はそもそも、どんなに頑張ったって「不完全」のままです。

それなのに、

なんとかして完璧になりたい

だなんて、無理な話。

完璧を目指すことは自由であっても、

  • 自分にも
  • 他人にも

過度に押し付けてはいけないのですね。

人間とはいつまで経ったって未熟であり、不完全だ。「完全になることはできない」という前提に立っておこう。

適当に生きる、とは?

僕はだんだんと、

適当に生きるのが、逆にいいのではないか?

と思うようになってきました。

もちろん、その中で精一杯頑張るようにはしていますが。

以前は、

テレビに出ている人やスポーツや芸術のプロは、絶対にミスをしないんだ

と思っていました。

おかしな話ですよね笑。

実際は、

  1. 大人だってミスをするし
  2. プロだって芳しくない時もある

のが実情です。

だから、素晴らしいパフォーマンスをする人がいたとしても、別に「彼/彼女」だってそこまでパーフェクトにこなしているわけではありません。

ただ、人より “高い水準” でやっているだけであり、

そのレベルをいかにキープできるか?

を、常に考えているのだと思います。

だから、「ある程度適当でいい」のです。

  • できないことがあってもいい
  • 失敗することがあってもいい

むしろそれを笑う人なんて、大して挑戦したことも(=失敗したことも)ない人でしょう。

一方、いい意味で「適当に生きよう」と思っていますと、ハードルがグッと下がります。

まぁこの程度だけでも、今日はできたしな

と。

そしてそこから、その基準を徐々に上げていけばいい。

いつまでも、

適当でいいや
誰かがなんとかしてくれるだろ

という、「無責任さ」の維持ではいけませんからね。

「ゆるく」やっていますと、人にも寛容になることができます。

そういうこともあるよね
人間みんながみんな、完璧でもないしね

と。

そしてその感覚を “保った上で”、めちゃくちゃ頑張るのです笑。

めっちゃ矛盾してるじゃん笑

ここが、僕の独特なバランス感覚なのかなと。

  1. 適当でいいと思いつつも
  2. 実際は完璧を目指して必死に努力する
というか、完璧を目指すだけでいいのでは?

違うのです。

人に優しくなったり、自分のミスに寛容になったりするためには、

  • 間違えてもいい
  • 失敗してもいい

という感覚を、始めに持つことが大切なのですね。

ある程度、適当に生きることを許容してみよう。その上で、めちゃくちゃ頑張っていれば、いいバランスが取れるようになる。

上を目指していこう

「適当に生きること」を前提にしながらも、

  1. 当然、努力し
  2. その基準を徐々に上げてゆく

のが、僕のモットーです。

昔の僕もそうであったように、「完璧主義な人」に指摘したいこととは、完璧主義による弊害についてです。

何でもかんでも、そううまくはいかないでしょ?

と。

多くの人は自分や他人のできないことに困惑し、責めることさえしてしまいます。

そんなことをしたって、何も解決しないのに、です。

だから、先述したようにまずは「できなくて当たり前」の前提に立つこと。

その上で、必死に努力するのです。

え?なんで?

みなさんが僕のような先生、あるいは「教える立場」にいるとしましょう。

ある生徒が、

こんなの、できなくても当たり前っすよねー!

と言って、努力もせずにずっと遊んでいたら、みなさんはどう思うでしょうか。

もういいから、はよ帰れ。舐(な)めんなよ

そう思うに決まっています笑。

そうでしょう?

不完全かつ完璧ではないからこそ、僕らは、

  1. 成長するために勉強や練習をし
  2. いいパフォーマンスを維持しようとする

のですよね。

そこに「かっこよさ」があるわけですし、その努力に人は惹かれるのです。

逆に言えば、努力している人ほど、

自分はまだまだなんだ

と感じつつ、完璧に近づこうとします。

これは、悪い意味での「完璧主義」ではありません。

完璧ではないとダメなのだ!

と強く思い込まないこと。

自分や他人を非難して、ネガティブな思考に寄って行ってはいけない、ということですね。

できないことを認めて、謙虚になる。

だからこそ上を目指し、努力を続ける。

矛盾しているように聞こえますが、これらは共存するのですね。

自分の未熟さや不完全さを理解しているからこそ、努力を続けられる。完璧でなければダメだと思い込むのではなく、それを機にどんどん学びを深めていこう。

おわりに

完璧主義を定義しますと、以下のようになります。(Googleより)

自分や他人に対して過度に高い目標や基準を設定し

そこから外れることを許容できない心理特性のこと

やはり、ネガティブな意味合いが強いです。

だから、まずは不完全さや未熟さを「許容すること」がスタートです。

そこから努力して完璧に向かうこととは、”完璧主義” とは違いますからね。

僕は今日も、いい意味で適当に生きていきます。

みなさんは、どう生きますか。

それではまた!

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