こんにちは。
レジリエンスを読み始め、立ち直る力(再起力)について考えました。
すずき自身はコテンパンにやられたことはないと思っていたのですが、思い返せば凹んだり嫌な気持ちになったことはたくさんありました。
楽観主義者であると自他共に認めるすずきが、本書を読んでどこがポイントだと思ったのか。
簡単にお伝えしていこうと思います。
楽観主義であればいいわけではない
本書に限らず、多くの本で楽観主義であることと悲観主義であることのバランス性が説かれています。
すずきはどちらかと言うと楽観主義かなと思うのですが、不安に押しつぶされそうになったりベッドの中で悶々と考えてしまうこともありました。
でも意外にもその場その場で必要に応じた考え方っていうのも大切なのかなと、最近は思っております。
どちらが正義ということはないと思っていまして、ウジウジしててはいけない時もあれば先行きを不安視して対策を練っておくべき時もあると思います。
比重的には僕の場合8:2くらいで楽観主義ですけどね。
これによって足元をすくわれたことが何度あったことか…
ある意味その行動力が楽観主義の表れと言いますか、今を生きることに全振りしてる感があります笑。
本書にはそんな自分を直視して受け止めることが大切だと書いてありました。
そこですずきがとったバランスはSNSやニュースサイト、YouTubeや書籍、同僚や友人など多くの資源から情報を得て、それを「自身の意見にぶつけてみる」ということでした。
すると中和されるといいますか、「絶対にこうだ!」と思って突き進んでいく伊之助さながらの僕を抑制してくれるんですよね。
これは「頼れる資源を分散しておく」ことにもつながり、大切なことだそうです。
僕は「様々な場所から意見を募る」という言い方をしましたが、これは頼れる場所の分散という意味では同じだと思っていて、とても効果的です。
自身が打ちひしがれ立てなくなった時に、頼れるところが実はSNSだったり、家族だったり、同僚だったり先輩・後輩だったりと、どこで手を貸してもらえるかわからないものです。
様々なところに「拠(よ)り所」を作っておくことがいいのですね。
するとひょんな事から立ち直るきっかけが生まれるのかもしれません。
感謝する
FacebookのCOOであるシェリル・サンドバーグは夫を亡くして途方に暮れていた時期がありました。
自身のfbで思いの丈を投稿したところ、多くの人々のリプライによって再起したのでした。
これも彼女の人脈あってのものですが、支えてくれる仲間というのは意外なところにいるものだと伝えてくれました。
それと同時に、彼女は2人の子どもが無事健やかに元気でいられていることに改めて感動し、何事にも感謝するようになったそうです。
彼女の友人のアダム・グラントに「もし旦那さんの運転中に不整脈が起きていたら?」と言われ最悪の事態が起こらなくてよかったと、今ある幸せに感謝したということでした。
これは先ほどの「バランス」ともつながると思っています。
「今後人生で成功するために今の失敗があるんだ」とか「すごい嫌なことがあったけどもっとひどいことが起こらなくてよかった」とか。
一見楽観主義、あるいはご都合主義のようにも見えますが、こうして過去や未来に対して意味を付与し、感謝することができる人は強いのではないのかなと思っています。
取り違えてしまうと「今はとりあえず体もメンタルもボロボロだけど無理してでも続けよう」とか「大きな失敗にならなくてよかったわ。今回のミスは気にしないでおこう」のような考え方に陥りかねません。
その考え方においてもさらに「バランス」が必要ですね。何においても極端な思想というのはどうも危なかしいふしがありますから。
ロビンを追う際にゾロも言っていました。
信じるも疑うも どっちかに頭を傾けてたら 真相がその逆だった時 次の瞬間の出足が鈍っちまう
とね。
なんか少し違う気がしますが…
今に感謝できる人は次への一歩を踏み出す勇気も持ち合わせていると僕は思っています。
現実をありのまま受け入れてしまえば、あとは先に進むだけですから。
僕も日々の幸せに感謝していこうと思いました。
何事にも意味を付与する
以前「人生には特別な意味なんてない」という意見を耳にした時、確かにそうだなと思った自分がいました。
しかし現状の辛さに「意味」を見出すことで、その先にある成功というか、おぼろげながらも明るい未来を想像することができます。
「自分の成長のために越えなければならない壁」といった考え方ですね。
それが再起力につながるものだと思うと、これもまた要所要所でバランス良く考えていくほうがいいのかなと感じました。
つまり大きく捉えた意味での人生って、この世に生まれ落ちていつか灰になって終わるという至極単純で変わらない真理であり、確かに意味のないものといえばそれまでなんですよね。
人生をマクロに見たら、1つの有機体が呼吸を始めていつか息を引き取るだけかもしれません。
大きな地球や宇宙からしたら僕の存在なんてこれっぽっちもありませんし、その価値はないと言ってもいいくらいのものでしょう。
一方で、そこを「えいやっ」と捻じ曲げて考えることも僕は好きなんですよね笑。
何が言いたいのかと言いますと、やっぱり辛い時とかしんどい時って、自分にとって何か意味があるって思いたいじゃないですかっていうことです。
すずきもここ1〜2年でワンツーパンチを食らって立てなくなりかけていたのですが、「きっと今の自分には必要なことなんだ」とか「このおかげでだいぶ成長することができた。感謝だな」と思うようにしました。無理やり。
だってそうしないとやってられないでしょ?笑
自分が意識をもってこうして考えて、幸せや苦悩などの喜怒哀楽の感情を持てるのであれば、そこに意味を付与したほうがよっぽど人生は厚みを増して終わることができるじゃないですか。
頭では「こんな1人の人間ができることなんて限られている、高が知れてる」ってわかってたっていいじゃない。
でも一度きりの人生だったら、一つ一つの波に意味を見出して明日に繋げたほうが、よっぽどいいと思うんです。
それが何より楽しいですし、より豊かな毎日が送れると思ってます。
余談:マインドフルネス
レジリエンスを高める方法としてマインドフルネスも良い手法だと書いてありました。
すずきも関係の本を読み始めてから1〜2ヶ月ほどしか経っていませんが、毎日3分間寝る前に呼吸に集中するようにしています。(ほぼ雑念だらけですが笑)
特に仕事中と仕事外でそうした回復を試みることが大切らしく、僕はよく出かけていろいろ考えないようにしたりしていますが、これはどうやら職場内でも行なうとGOODらしいです。
嫌な上司や同僚、自分のミスや落ち込むこと。そんなことがあったらすぐさま1人静かになれるところを探し、ゆっくり呼吸に集中すること(マインドフルネス)がいいのだそうです。
余談ですが、僕はこの前行った御岳渓谷というところで青梅駅に大切なG-SHOCKの腕時計を忘れて置いてくるという失態をしでかしました。あまりにも暑くて腕時計を外し、席に置いていたためでした。まさにヘビー級のショックです。
「やっちまった!」と思った瞬間、呼吸は乱れ、頭をかきむしり「何してんだよこのバカ!」と自分を責めました。
が、即スマホでピコピコとJRの紛失物取り扱いのチャットにアクセスして現状を伝え、次の駅で降りて駅員さんに尋ねました。
その時のすずきと言ったら冷静と言うには程遠い状態だったのですが、「これでもし反応がなければ時間がかかるだろうから、とりあえずサウナで3セットくらい決めてからまたもどってくるか」と考えていました笑。
するとあっけなく「あーそれっぽいものありましたよ」と見つかり、なんだ取り越し苦労だったなとその日の夜には時計を忘れた事実すら忘却の彼方へと葬り去られていました。
何か焦った時は、無理に呼吸を落ち着かせようとしても落ち着くわけがないと自分の経験上わかっていましたので、後悔したりパニクったりしてないでとりあえず電話なり聞くなりするしかないじゃないと思ったのです。
その時はしっかりと「あ、呼吸が乱れているな」と客観視することができましたので、日々のトレーニングが生きたなと思いましたね。
結論:注意不足はいつまで経っても変わらない。
おわりに
最近もてはやされているレジリエンスですが、GRIT(やり抜く力)なども引き合いに出されていたため、個人的には復習している感覚で読み進めております。
それでも先述したような気づきや発見がありましたので、近々読み終えたときにまた何かあればお伝えします。
すずきは確かに再起不能になるまでの経験はあんまりないのですが、細かく刻んでコケまくっている気はします。アキレス腱断裂とか。
僕としては、何かから立ち直る時には理屈抜きで時間がかかると思っています。
たとえ周りがどんなに優しくても、それに気づけるのにも時間がかかりますし。
現実を受け入れることが大事って書いてあったのは、現実を受け入れていく際に時間を要するっていうことだったんじゃないのかなとも思いました。
あくまで個人の見解ですが、僕は経験として時間はいろいろな毒素をデトックスしてくれる唯一無二の存在だと思っています。
だから辛い時には立ち止まったっていい。
人間誰しも強いわけではありませんから。
自分が落ち込んだ時に自分を受け入れる術(すべ)を持っておくことがよいことなのだと思います。
すずきもマインドフルネス修行を続けて、今度腕時計を忘れた際には平然としていられるようにしますね。(まず失くすな)
それではまた!
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