日本人である僕がインドで感じたこと【豊かであるがゆえに】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日からガンジス川で有名なバラナシにいまして、一泊だけして次の都市に向かいます。

バラナシでは多くのインド人が、観光客を狙って話しかけてきます。

日本語も堪能で、

よくしゃべれるなぁ

と感心するレベルです笑。

僕は大きな火葬場に行きましたが、そこで久しぶりにイラ立ってしまいました笑。

インドに来ていろんなことを思い、それが積もり積もっていたからなのかもしれません。

今日は「豊かである自分」について書いていきます。

自分がお金をせびないのは、恥ずかしいからではなく豊かであるからだ。改めて自分の豊かさに気づこう。

お金を欲しがるインド人

インドの格差はものすごいです。

ニューデリーなんて全然都市じゃない

なんて思ったら大間違い。

バラナシの路地なんて糞尿の臭いがキツいですし、道路なんて舗装されていません。

そしてガンジス川を始めとして旧市街からそこら辺の寺院まで、どこでもお金を取ろうとしてきます笑。

僕は火葬場を見たくて行ったのですが、やはり観光客が訪れるということで案の定、あれよあれよという間におじさんに捕まり、遺体を燃やす場所に案内されました笑。

僕はムダなものにはお金は払いませんし、無理やり連れてこられて払わされたらイヤだったので、最初にお金がかかるのかどうかを聞いてみました。

彼は「寄付として」と言っていたので、数十円でいいかなと思いました。

勝手に連れてこられて勝手に説明を始めておいて、それで僕がお金を支払う理由なんてありません。

でも最終的には情に流され、

じゃあ10ルピーで

と言いました。

すると、

そんなんで遺体を燃やす木が買えるわけないだろ!

と言われたのでカチンと来ました。

お前は「寄付」と言っただろ?それは俺の「気持ち」だ。俺の気持ちを踏みにじりやがって!そんなこと言うなら俺は一銭も払わないからな!

と言ってその場を後にしました笑。

こんなやりとりは観光地では日常茶飯事なのですが、僕の気持ちなんてハナから考えていなかったことにショックを受けたのでした。

日本人は優しいので、どうしても情に流されて多く支払ってしまいます。

僕の場合は逆でして笑、どこか悔しかったのでしょうね。

観光地であふれる、インド商人たちのこざかしいやり口。

でも僕は、感情が収まった後にいろいろと感じたことがあったのでした。

寄付やチップは「気持ち」だ。僕はそれを踏みにじられたことが、どうしても許せなかったのだ。

貧しさゆえの欲しがり

以前にも「貧困」については記事を書きました。

商人たちは、あの手この手を使ってでもお金を要求してきます。

タージマハルでも、一日一緒に仲良く回ってくれたおじさんは、最後の最後で本性をさらけ出し、

もっとチップをくれよ!

と要求してきました。

僕は「うるせー!」と言って慌てて逃げましたが笑。

今回の彼も、

なんとかこいつからもっと取れないか?

と思っていたのだと思います。

ただ、インドにおいても大きな格差があるように、豊かな人はそんなことはしてきません。(ビジネスマンはやってきましたが笑)

多くの日本人がそれをしないのも、僕らがある程度豊かだからなのだと思っています。

じゃあ僕が同じ状況だったら、なんとしてでもお金を得たいと思わないのだろうか?

その答えはもちろん、「違う」だと思います。

  • 情に訴えてでも
  • パフォーマンスをしてでも

ありとあらゆる手段を使って、次の日に暮らすためのお金を得ようとするはずなのです。

それくらい、彼らは「死に物狂いだ」ということ。

その悪い部分だけを切り取ってしまったら、確かにそう見えるのかもしれません。

ただ、

基本的にインド人はそう

と一般化してしまうには、あまりにも軽率なのかなと思いました。

日本では経験できないからこそ、僕は戸惑い、イラ立ちました。

でもそれと同時に、彼らの背景がどうなっているのかをこの目で見てみれば、しんどくて恥ずかしいとか、そんなことを考えている場合ではないのだなと痛感しました。

僕も日本で教師をしていた頃、ちょっとした格差を目の当たりにしました。

しかしそれでも(比べてはいけないのですが)、インドのしんどい層に比べれば圧倒的に豊かです。

それなのに僕自身もそうだったように、日本にも「Taker(テイカー)」は必ずいます。

なぜそうなってしまうのか。

それは金銭的な問題ではなく、精神的な面からくるものだからなのではないでしょうか。

  • 金銭的でも
  • 精神的でも

貧しければ欲しがってしまう。

ただ、誰もが豊かである社会ではありません。

ではどうすべきか。

貧しくても、与えることで満たされること

それは、

  • 僕にも
  • 彼らにも

必要なことだったのです。

だからと言って「お金を配ること」は違いますけどね。

難しい状況なのですが、改めて多くを感じさせられた体験となりました。

自分の中の「どこか」が貧しければ、欲しがってしまう。それは本能的なものだが、そんな時こそ与えていこう。

この体験を刻むこと

今僕は、渦中にいるからそう感じていますが笑、実は環境が変われば人間、一瞬で忘れるものです。

ベトナムやタイ、ラオスやカンボジアの光景も覚えてはいますが、いざそこから離れて「いい暮らし」のオーストラリアに行ったときは、すでにオーストラリアの環境に慣れきっていたものでした。

もちろん、これは逆にいいことだとも思っています。

いろんな国を回れば、いつでもいいところばかりではありません。

ただ逆に、インドでもいい暮らしの都市に身をおいたこともありましたし、今いるバラナシでは日本で言うところの「ビジネスホテルレベル」の値段で、ちょっといいホテルに滞在しています。

ふと日本にいた頃のような環境に戻ってしまえば、急にあの汚さや鬱蒼とした人混みを忘れてしまうものです。

僕らは人間ですので、すぐに忘れるものだからです。

いい思い出だけを取りそろえて、過去を美化することもあります。

だから僕は、この目で見たことや今回体験したイヤな気持ちを、しっかりと胸に刻もうと思いました。

僕は、

体験したことと、体験していないこと

では、当然のことながら全く意味が異なると思っています。

こうして体験したことは、当然のことながら近い将来に忘れてしまうでしょう。

今はバックパッカーとして「日/週」単位で移動していますので、なおさら忘れます笑。

でも、一度経験してみれば、

あーインドね!大変だったよ笑

と話すことができるのです。

今までの僕にはこれがなかった。

だからこそ、今回こうして経験できたことは、何よりも貴重な時間となり、僕の胸に刻まれていくのです。

すぐに忘れたとしても、日本に帰った時に改めて思い出すこともあります。

あの時出会ったあいつ、今頃何してるかな…

とね笑。

日本から遠い地に思いを馳せることができることは、素晴らしいことです。

イヤなことは忘れてもいい。

ただそれを自分の糧として、また次に繋げていけばいいのですから。

人間、環境が変わればすぐに忘れるものだ。それでも体験したという事実は残る。それを大切にしていれば、それでいいのだ。

おわりに

数々の貴重な体験をするインド。

もちろん、インドだけではなく、同じような気持ちになった国は他にもありました。

その1つ1つが、今までの自分の固定観念を覆してくれます。

豊かさと貧困。

日本にいたらわからなかったこと。

それを肌で感じ、また僕は次の街に向かいます。

それではまた!

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