謙虚になり他人を安易に批判しないこと【悪いところの叩き方】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、8月15日は終戦記念日ということで、

去年は靖國神社に行ったから、今年は近くの護国神社にいこう

と思い立ち、埼玉県大宮市の氷川神社の隣にある神社に行って参りました。

英霊たちが眠る さいたま市大宮区「埼玉縣護国神社」 - 大宮マガジン
自然豊かな落ち着いた中に、歴史を感じることができる「埼玉縣護国神社」を紹介します。

日本史に明るくない僕も、こうして「神道」を少しずつ感じながら、日本人としてのアイデンティティを取り戻している最中です。

靖國神社への参拝は、いろいろと物議を醸します。

そんな中、

参拝をしなかった総理を、ただ批判することは違う

と言っていたのは、参政党党首の神谷宗幣さんでした。

他の方もおっしゃっていましたが、総理という立場になりますと、参拝するにしても難しいようです。

今日は「安易に人を批判しないこと」について書いていきます。

人を批判したら、それが回り回って自分に戻ってくる。本質を捉え、適切に批判しよう。

感情的にならない

他のYouTuberさんたちの意見も聞いていますと、彼らはとても冷静でした。

別に「参拝しなかった総理大臣」を庇(かば)うわけでもなく、

首相のように閣僚ともなると、外交に影響が出るのは明らかだから難しい
ただし行くと言っておきながら行かなかったところは、確かに責められるべきかも

というように、「自分が総理だったら」という点までしっかりと客観視して分析し、適切なコメントを残していました。

ここで僕がすごいなぁと感じたところは、この方々の「冷静さ」でした。

特に政治の話ともなりますと、

あいつが悪で、あいつを叩きのめせばいいんだ!

という「過激派」が現れます。

ひとたびそうなってしまいますと、個人の信念のぶつかり合いとなってしまい、終わりが見えてきません。

批判するのは簡単ですし、遠くから石を投げることは誰にでもできます。

ただ遠くから指を差すのではなく、

果たしてこの人の行動の、どこに問題があるのだろうか?

と、冷静に分析することが大事なのかなと。

  • 感情的になって批判するのは簡単
  • しかし本質を突いて論理的に批判するのは難しい

こうなのではないでしょうかね。

前者のほうが確かに人々を焚き付けやすいように見えますが、実際に遠目で見ている「第三者」からしてみれば、

冷静に正しく指摘しているほうが、好感が持てる

のでしょう。

感情的になってしまったら、その時点で負けなのですね。

どんなにその人の思想に反対であっても、感情的になって批判しないことだ。そのほうが、見ている側も支持しやすいのだ。

叩くところは人格ではない

上にあげた方々が素晴らしかったのは、

  1. 感情的にならずに
  2. 行動や政策に苦言を呈した

という点でした。

「自分が好かない人」に対しては、どうしてもその全てを批判したくなってしまいます。

しかし “わかっている人たち” は、

批判したところで、何も生まれやしない

という姿勢を貫いていました。

今の自民党(=2026年現在の政権与党)には、なかなか納得できない人は多いです。

しかしだからと言って、党内の人の人格を叩いたところで、何の解決にもなりません。

そうではなく、

  • その人の行動や言動
  • その人の間違っている点

を指摘すること。

僕が教員をやっていた時も、ただただ「この先生が/生徒がキラいだから」と言って、会議や教室で批判することは、ほとんどありませんでした。

ここは違うと思うから、変えたほうがいい

と。

ただし「行動や言動」が、その人の性格からくることもあります。

その場合、その人自身が変わることは難しいとはいえ、

あなたにはそういう傾向がある

と指摘することも、時には必要なことです。

シンプルに考えてみますと、確かに、

キラいな人をずっと追いかけて批判する

という姿勢は、正直言って時間のムダですよね。

それなら、

ここをこうすれば、もっと生産的になるし、みんなにとっての利益になる

と言えたほうが、聞いているほうも納得感があります。

人を批判せず、まずはその人の行動や言動に対して、注意を向けてみることですね。

人格をつついて批判することは簡単ではあるが、あまり意味がない。ちゃんとその人の言動や行動について、批判するほうが生産的なのだ。

回り回ってくることを自覚する

以前の僕は、結構な「批判家」でした。

ちゃんと生産的な批判ができていれば良かったのですが、当時は若さもあって、

相手を叩きのめせばいい

と勘違いをしていました。

それ以来、たくさん本を読んで落ち着き始めますと、

自分のできなかった時のことを、棚に上げてはいけないのだな

と感じるようになりました。

教員になると「あるある」なのですが、

なんでお前はできないんだ?
自分はちゃんとやっているのに、あの人がやらない!

と、自分ができていなかった時代のことを、「なかったこと」にしてしまう人が後を絶ちません。

僕は今、他言語を勉強しているため、

そうそう!最初は簡単な単語もわからないものなのよ

と「できない人」の気持ちが、すごくよくわかるのです。

ここ数年では、

もし僕が、横柄な態度をとってしまったら…?

と、想像するようになりました。

では僕がつまずいた場合、「同じ態度」を取られたらどんな気持ちになるか。

  • なぜできないんだ?
  • そんなんだからダメなんだ
  • どんだけ時間がかかってるんだ?

と。

すごく悲しくなるだろうな、と。

自分が他人に与えた「態度」とは、回り回って自分に返ってきます。

これが世に言うところの、『情けは人のためならず』ですね。(こちらの場合はいい意味ですが)

ただ感情的になって、

よし!こいつをとっちめてやろう!

と思って、叩いてしまったら最後。

それはいずれ、自分の元へ何らかの形で戻ってくるのです。

それを理解していないままでいますと、「ダブルスタンダード」になってしまい、

自分の場合は優しくしてほしい。ただし俺は/私は、他人には厳しいけどな!

という人になりかねません。

常に「自分がもしその状況になったら?」と考えておくこと。

冷静になった上で、立場上言わなければならない時は伝えてあげること。

このスタンスを間違えないことですね。

自分の好き勝手に振る舞っていると、後でそれが自分に返ってくることになる。だから感情が昂っても一旦冷静になり、常に「自分が言われたら?」と考えておくことだ。

おわりに

批判的になっている時とは、少しばかり「悦(えつ)」に入っている時だと思っています。

自分は正義感でやっているのだ!

と。

しかし、自分がもし「批判される立場」になりますと、そうとも言っていられなくなります。

その時に、不快感を感じてやり返そうとしてしまいますと、延々と負のループが終わることはありません。

批判を一旦やめて、冷静になりましょう。

それではまた!

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