何ごとも不安で仕方のない人たちへ【妄想ばかりするのはやめてくれ】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日も、いろんな生徒さんとお話しする機会がありました。

お子さんがいる親御さんが、

娘が海外に行くのが怖くて…

と言っていました。

僕は子どもがいたことがないので、

そんなもんなのかなぁ

と思っていたのですが、一方でちょっと考えすぎなんじゃないかなとも思っています。

だって自分が「世界を回りたい」って思った時に、親に泣いて止められるんですよ?

逆の立場に立ったら「うーん…イヤかも」と言うクセに、他人のこととなると縛ろうとする意味がわかりません。

今日は「不安がること」について書いていきます。

なんでもかんでも不安がっている人は、結局は自分が一番可愛いのだ。他人からの見え方ばかりを気にしている。

結局は自分が一番可愛いだけ

未来に対して不安があることは、決して悪いことではありません。

僕だって将来が不安だった時もありました。

ただその時に感じていたことは、

このまま「先生」という職がなくなった時に、自分は一体どうなるのだろう?

といった不安であり、特別誰かの心配をしていたわけではありませんでした。(だからこそ行動に移しましたしね)

だからこの「子どもの心配」とは、過保護なのかなとも思っています。

僕も学校で働いていた時、

  • この生徒は大丈夫だろうか
  • この若い先生はうまくやっていけるだろうか

と、他人のことばかり気にしていました。

しかしこれは裏返って、「自分のこと」(=立ち位置や見え方)を気にしているだけでしかありませんでした。

そうやって「心配している自分」が、一番可愛くて愛おしいのです笑。

人を心配しているように見せかけて、結局は自分の見え方の心配をしているだけ。

本当の意味で「自分の人生」に不安を感じているのであれば、自分の変えられるところから変えていくはずだからです。

どうして「その人がやりたい」と思うことを、止めようとするのでしょうか。

それで自分の不安が解消されるのでしょうか。

どこまで行っても、もうその人(子どもや友人、生徒)の選択なのです。

不安だから気が気ではない

という言葉は、教員時代に何人かの保護者から聞いていました。

しかし、

自分がもしそうされたら…

と考えれば当然、イヤに決まっていますよね。

自由にやらせてくれよ

と。

なんでもかんでも「不安だ」と言っている人は、自分のポジションばかり気にしています。

本当にその人のことを心配するのであれば、ちゃんとその人を「自由」にさせてあげるべきです。

常に逆の立場に立って考えましょう。

不安だ不安だと言っている人は、結局自分のポジションばかり気にしている。本当にその人のことを思うなら、自由にさせてあげよう。

不安ばかりだと豊かにならない

  • 海外に行くのも不安
  • 何があるのかわからないから不安

僕はこの発言自体「おかしい」と思っています。

僕がいつもこういう人たちに伝える言葉は、

日本だって安全とは言い切れないんですけど?

ということ。

みなさんは路上で「スられること」を意識したことがありますか。

僕は日本ですら、普段から「何かされる」と思って生きていますので笑、不安と言いますか、

海外でもそんな変わらないでしょ

という気持ちくらいしかありません。

「普段から備えている」と言ったほうが適切かもしれませんね。

平和ボケしている人ほど、海外について話し始めますと「不安だ」と騒ぎ立てます。

そんなこと言っていたら、どこにも行けないですし、

明日隕石が落ちるかもよ?

って言われてビビっていることと一緒のようなものです。

い、いや!それとこれとは違うよ!

一体何が違うというのでしょうか。

  1. 誰もわかるはずもない未来を妄想し
  2. 「何かが起こるかもしれない」と騒ぎ始める

「隕石がぶつかるかもよ?」と言われている状況と、まるっきり変わらないじゃないですか。

普段から、

(日本ですら)何が起こるかなんてわからない

という姿勢でいますと、「これから起こること」に対してあっけらかんとしていられます。

だって、何が起こるかなんてわからないのですから。(繰り返し)

準備したり、少し懸念したりするくらいならいいです。

ただ、あまりにも行き過ぎてしまって、

  • 子どもの海外進出を止めた
  • 友人の海外旅を引き止めた

なんてことになってしまったら、その人の機会損失を促しているだけに過ぎないということを、知っておかなければなりません。

不安に苛(さいな)まれる人生。

みなさんは過ごしたいですか。

そんなこと言ってたら、明日隕石がぶつかって死ぬかもしれませんよ?笑

普段から「何が起こるかなんてわからない」と思っていれば、不安なんて何もない。日本にだってそのリスクはある。自分の知らないことを妄想するのはやめにしよう。

妄想は他人のコントロールに繋がる

「不安」を悪く言えば、「妄想しているだけ」だと思っています笑。

要は「〜たら/〜れば」のオンパレードであり、

そんなもの、その都度なんとかするしかないじゃない

としか思えません。

  • リスクに備えること
  • 未来を予知しようとすること(=妄想すること)

は全くの別物であり、妄想している人ほど現実的なリスクを取ることなく、「安牌(あんぱい)」を取りにいこうとします。

終(しま)いには、

それが君のためになる。だからリスクを取らないでくれ

とまで言い始めます。

余計なお世話ですよね笑。

他人の人生に干渉するのは、

  1. 何ごとも不安がって
  2. 人の人生をコントロールしようする

ところが始まりです。

不安がっている人ほど、「何か起こったら大変だ」という文句を言い訳に使います。

人生、リスクを取らなければ何も変わることはありません。

安定もまた1つの生き方ではありますが、他人の人生はあくまで「他人の人生」です。

僕の場合、自分の子どもに対してではありませんが、生徒に対してアドバイスはしたとしても、レールを敷いたことはありませんでした。

どう転ぶかわからないけど、最終的に彼/彼女が自分でどうにかする

と思っているからです。

信頼とも言えますし、放任とも言えますね笑。(おい)

でもそうしたほうが、生徒たちは伸び伸びと自由に活動すると思っています。

「不安」は行きすぎますと、

  • その人の信頼を失う
  • その人の人生をダメにする

など、いいことなんてありません。

何ごとも「バランス」とは常日頃から言っていますが、個人的には「怒り」や「不安」はあまり人生に良い効果をもたらしてくれた覚えがないですね。

どちらも「感情のバランスが崩れた結果」とも言えますし。

常にどんなことに対しても柔軟に対応できる人とは、未来のことに対して不安視ばかりせず、ドシっと構えて、

これが来たら…まぁ頑張って対応しようか笑

くらいにしか思っていません笑。

だって、それ以外に対処法がないのですから。

杞憂

=心配しないでいい事を心配すること。とりこし苦労。

という言葉もありますが、この言葉が似合ってしまう人というのは、周りの人から愛想を尽かされます。

また考えているよ

と。

仮に不安視していたことが起こった時としても、もうそれは仕方がないのです。

それを受け入れられるくらい、

明日には何が起こってもいい

と思って生きていれば、妄想に生きなくなります。

それが結果的に、他人に口出しするような傾向をなくしてくれるのです。

妄想して不安がることは、人生にあまり良い効果をもたらさない。そんな不安が現実になることなんて、むしろいつでも起こりうると思っているほうが、堂々としていられるのだ。

おわりに

不安を抱え過ぎていますと、それは精神的にもよろしくありません。

  • 自分も
  • 他人も

縛ることになるからです。

あれも起こりそう、これも起こりそう…

と不安に思っている人はいませんか。

そんなことは考えても仕方のないこと。

誰もわからないことを考えるよりも、目の前のできることに集中しましょう。

それではまた!

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