改めて考える、自分の時間の使い方【誰かのために命を燃やせているか?】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、

僕にもいろんな悩みがある

と、ブログに綴りました。

しかし今朝、たまたま海外の方々の「アニメのリアクション動画」を見ていて、

俺は何をしていたのだろう?

と思ってしまいました。

それは『鬼滅の刃』というアニメの、煉獄杏寿郎というキャラクターの最期のシーンを見たからです。

僕はこのアニメは第一シーズンしか見ていませんので、ストーリーやキャラクターはよくわかっていません。

しかし、彼が後世のために自分の命を使ったことに、感動したのです。

俺も、こんなことやってる場合ではない

と。

今日は、「時間や命の使い方」について書いていきます。

どこかでお金に目が眩(くら)んでいなかったか。自分だけ良ければいいと思っていなかったか。反省しよう。

数字を気にしていた自分

先日も、自分のブログについて紹介させていただきました。

もちろん、このブログでは自分の成功体験や、みなさんのために何か役に立てることを発信もしていますので、僕の考え方自体が悪いわけではありません。

ただ、どこか僕の心の中では、

経済的に自立できたらなぁ。もっと稼げたらなぁ

という欲求が湧き上がってきていました。

  • このブログを始めたことも
  • 個人事業主になったことも

元はと言えば、「FIRE(=経済的自立、早期退職)」を目指したことがきっかけです。

裏を返せば、「お金を稼ぐこと」が目的でした。

何度も記事にしてきましたが、「嫌儲(けんもう)」と言ってお金を汚いものとして扱っているわけではありません。

誰かのために働くことは素晴らしいことですし、そこに対価がなければ仕事とは成り立ちません。

ただ、これが行き過ぎますと、

結局は金を持ってるやつが偉いんだろ?

という発想に至ってしまいます。

ここ最近の僕も、少なからずその「悪魔の囁き」に乗っていました。

このままでは、人生の本質を見失ってしまう

それを教えてくれたのが、今朝見たアニメのワンシーンだったのです。

数字ばかり気にしていたら、”それが全て” となってしまい、他のこと(他人のこと)が見えなくなってしまいます。

なんとか人のために生きられるよう、また考え直さなければならない

また改めて、心を鬼にした僕だったのでした。

行き過ぎた資本主義では、お金がモノを言う世界になってしまう。本質を見誤らないようにしていこう。

誰かのために命を燃やせ

誰かのために犠牲になる。

この考え方は、僕は好きではありません。

自己犠牲とは聞こえがいいだけで、誰の得にもならないからです。

奉仕の精神」それ自体は好きですし、その精神を持っているつもりではいます。

ただ、先ほどの「行き過ぎた資本主義」の逆のようなイメージでして、

なんでも与えられる人は、人格者なのだ!

という考え方が横行してしまいますと、結果的にはその人の「身」がただ削れるだけであって、言ってしまえば「幸せ」になることはありません。

大切なのは、それなりに対価を受けとることだからです。

ここでまた、バランスが大事になってきます。

以下のように、

  • たくさん対価を受け取りたい!
  • とにかく誰かに与え続ける人格者になりたい!

という両者の考え方は、ともに “極端” であって、良い形ではありませんよね。

僕は最近、『前者』のほうに気持ちが持って行かれてしまっていたのかなと。

毎日やっている朝活や、普段積んでいる徳など、それはそれでいいのです。

どちらかと言いますと、「自分の気持ち」が問題だったのです。

奉仕をする気持ちはあったのですが、それ以上に金銭的な「豊かさ」みたいなものを、求め過ぎていたのかもしれません。

そうしますとバランスが崩れてしまうんですよね、自分の心の中で。

あれ?自分は誰かのために生きようとしていたんだっけ?

と。

この、

どちらかに寄り過ぎていたかもしれない

という感覚は、とても大事な感覚なのかなと。

どんなに聖人君子だったとしても、

  • 間違うこと
  • 自分の中での矛盾

など、バランスが崩れることはありますからね。

この感覚を、毎回大事に持っておくこと。

これが失われてしまった時、今の日本(あるいは世界)のようになってしまうのかなと。

  • お金が全てだとか
  • 自己犠牲が全てだとか

そういう極端な話ではありませんが、今の僕は誰かのために生きることができていませんでした。

そう感じたら、少し戻ること。

これが大事ですね。

今自分は、誰かのために生きることができているか。どこか「お金!お金!」になってしまっていないか。考えてみよう。

自分を律し、正しく生きろ

僕はふと、

正しく生きなければ…

と感じることがあります。

この発想が僕らしいなとも思っていますし笑、自分のことは自分で修正してゆくしかありませんから、それでいいのかなとも思っています。

大切なのはそうやって、

自分はちゃんと、正しい道を進めているだろうか?

と確認し、自問自答することなのではないでしょうかね。

僕はこの頃、数字やお金のことばかり考えていました。

そういう時は決まって、

あ、なんか自分、行き過ぎてるかも。こだわり過ぎているかも

と感じてしまうのです。

自分で自分を律するというのは、答えがない分、ある意味難しいことです。

「これが正解だ」というものもありませんしね。

特に自分の時間やお金を、

何とか自分だけが幸せになるために!

と思って使っているようであれば、僕らは幸せになることができないでしょう。

だって、僕がこうして「違和感」を覚えるくらいなのですから。

そうだよな…この煉獄さんみたいに、僕も自分の時間、つまり命を燃やして、後進のためにできることを、考え行動していかなきゃだよな

と。

お金を稼ぐことや、自分が豊かになることもまた大事なことです。

ただ一方で、

  • これだけお金が稼げた!
  • 周りの誰よりも幸せだぜ!

と思うこと(=他人と比較すること)をずっと目標にしていたら、いつまで経ってもその「数字」の波に溺れたまま、生活は豊かになりません。

「正しく生きること」が難しいのは、

この形が正解だよ!

という答えがないという点。

だからこそ、僕のようにこうして毎度毎度、

正しい生き方ができているだろうか?

と問い続けることこそが、答えの一つなのかもしれませんね。

答えのない世界で、どういう風に生きることが正しいことなのか。それは誰にもわからない。ただ、自分の命、お金、時間の使い方が違うと感じたのならば、それは是正してゆくべきだ。

おわりに

なぜかはわかりませんが、僕はこうしてお金のことばかりを考えている時に、内なる自分がストップをかけてきます。

いろんな生き方がありますし、一つの形を悪者扱いしても仕方ありませんから、ただバランスの問題なのだと思っています。

自分なりに「正しくない」と思うのならば、

  1. 自分を律して
  2. 自分なりの正しさを貫く

これでいいのです。

ちょっとした違和感を大事にして、「違うかも」と思ったら修正していきましょう。

それではまた!

タイトルとURLをコピーしました