普段から誰かのために僕が意識していること【陰で徳を積んでおこう】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

どういう経緯でそうなったのかはわかりませんが、僕は知らないうちに、

あ、ここを整理整頓しておこう

とか、

(電車で)この人が二人で並んで座りたいだろうから、ズレよう

とか、意識的というか無意識のうちにと言いますか、やるようにしています。

誰かに良く見られたくてやっている人もいるかもしれませんが、僕は、

別にそんなことはどうでもいい

と思ってやっています。

今日は「毎日徳を積むこと」について書いていきます。

意識でも無意識でも、誰かのことを考えて行動することだ。そうして積んだ徳は、巡り巡って社会に、自分に返ってくる。

徳を積むこと

僕が普段意識していることは、

  • 人に優しくする
  • 常に周りに配慮する

くらいのことです。

特別なことはしていませんが、僕はよく電車を使いますので、

荷物、重くないかな?
座席に座りたいかな?

など、自分が「公共の場」にいることを意識しています。

先日も電車が遅延してしまいましたが、

まぁ仕方ない。誰が悪いわけでもない

と、イライラするのではなく、

今、自分は何をしなければならないか?

と考えるようになりました。

他にも、

  • トイレのスリッパを並べる
  • 居酒屋やレストランの食器類はまとめておく

など、「これをやっておいたら助かる」ということを、できる範囲でやるようにしています。

僕は何かが欲しくてやっているわけではありませんが、日本人として「利他的に生きる」という精神が身についているのだと思っています。

お天道様が見ている

というイメージを持っている方もいますよね。

「回り回って自分が得をするため」というわけでもありませんし、結果的に何もなくたって、そんなことはどうでもいいのです。

ただ、

  • 自分の美学を
  • 人としてのあり方を

ちゃんと定義して、正しくありたいだけなのです。

心を磨くと言いますか。

そうやって “丁寧に生きている人” を、僕は尊敬していますから、僕もそうありたい。

ただそれだけのことなんですよね。

毎日、徳を積んでいこう。それだけで、その人の人格が磨かれてゆくのだ。

パフォーマンスでもいい

先日、W杯日本代表サポーターのゴミ拾いの話を記事にしました。

僕のこうした行為についても、

わざわざ書かなくていい
どうせよく見られたいだけ

と言う人が、一定数います。

上記の記事でも書きましたが、僕はそれでもいいと思っています。

  • 偽善でも
  • パフォーマンスでも

いいのだ、と。

やらないより、よっぽどよくないですか?

と。

むしろ、普段からボランティア活動や慈善事業をしている人ほど、そうした「善い行為」に対して批判的になることはありません。

その行為それ自体に、価値があると知っているからです。

さらに僕が思うに、こうした行動とは「やるだけやったほうがいい」と思っていまして。

要は行動に移してしまえば、精神的にも自然と “そういうマインド” になってゆくのかなと。

だからパフォーマンスだろうとなんだろうと、

いいから、やってから批判しろ

と思うわけですね。

もちろん、やっている側としては「誰かに見てもらいたい」という欲求があることもあります。

ただ、ここにこそ「日本人としての美学」があるんですよね。

良い行ないをしても、それをひけらかさない。

僕が今、こうしてブログで書いている内容も、具体的に、

あの時手伝ってやったんだ。やってやったんだ

と言っているわけではありませんしね。

あくまで、普段の「姿勢」の話をしているだけです。

だから、基本的には「自分がやったこと」を公にすることは、第一の目標ではありません。

というより、そうしようとするマインドって、ちょっと子どもじみてもいますよね。

ねぇ!僕/私、これだけやったんだよ!見てよ!

と。

「パフォーマンスとしてやってもいい」というのは、

いいから見せびらかせ!

という意味ではありません。

ただ “カタチだけ” やったって、それは問題ではないということ。

「やらない善よりやる偽善」とは、よく言ったもの。

行動を重ねていれば、自然とできるようになってゆくでしょうし、身に染み付いてゆくのです。

もしかしたら、こうした行動を見ている側からすれば、ただパフォーマンスにしか見えないかもしれない。しかし気にすることなく、まずは行動していこう。

他人を意識することの大切さ

常に周りを意識すること。

これは日本独特の文化でもあります。

別にそんなもの、他国ではない文化なんだから、押し付けなくていい

そう思う人がいてもいいですし、僕も強制される価値観だとは思っていません。

ただ、この「周りを意識すること」を僕が大事にしているのは、それが「次の人へと繋がる」という意味を持っているからです。

「自分の徳を積む」という意味でも大事なことですが、その「親切心」を受けた人が、何かを感じるということです。

その「善い行為」をしてくれた人に対して、

誰がこれをやってくれたんだろう?

と。

こうした行動とは、伝播しますからね。

実際、W杯で日本代表のサポーターたちの行為が広がり、多くの国が、

  • ゴミ拾いをしたり
  • 日本の文化を真似したり

しています。

社会とは、それぞれが連動して動いていると思っていますので、僕の “小さな行為” もまた、誰かのためになっていると思っているのです。

それはこのブログも一緒ですし、みなさんがしている仕事だってそう。

時にはお金にならないものもあるでしょうし、ボランティアなどもその類(たぐい)でしょう。

でもそうした行動とは、必ず見ている人がいます。(お天道様もね)

あるいは、直接見ていなくても「感じている人」がいるはずです。

今度はその人が、

じゃあ、自分も何かできないか?

と考え、好循環が生まれるんですよね。

一方で、

自分一人のことだけ考えていればいいだろ

こう思って行動している人ばかりですと、社会はギスギスしてきますし、逆に自分が困っている時も「手伝ってもらえなくても当たり前」という社会になってしまいます。

「相手に与えられる人」でいること。

これは僕の人生のテーマの一つでもあります。

ただし、自分に余裕もないのに、

身を削ってでも、人のために生きなければ!

と自己犠牲の道を進むのは、あまり賛成しません。

うまいバランスをとりながら、人に与えていきましょう。

他人を意識して過ごすことだ。こうした行動は巡り巡るもので、社会の好循環に繋がる。

おわりに

普段から、こうした行動を心がけるようにしています。

偉ぶるわけでもありませんし、褒めて欲しいわけでもありません。

しかし、これらの一連の行動とは、やはり見られているものでして、

この前、せいじさん、居酒屋で後片付けしてから出て行ってましたよね?

とか、店員さんから、

わー!わざわざありがとうございます!

と言われたりしました。

それだけで、嬉しいじゃないですか。

そうやって、人のために生きること。

普段生活から、意識していきたいですね。

それではまた!

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