やっぱり感謝されることに慣れない男【めちゃくちゃ感謝された話】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

こうしてオンラインでも変わらずに毎日英語を教えていますと、いろんな生徒さんから感謝されます。

学校の先生をやっていた時からそうでしたが、僕はどちらかと言うと職業柄、「与える側」に回ることが多いです。

「与えること」を意識し始めた数年前よりも前から、教師だったので、当然のことと言えば当然のことです。

この「教育事業」とは、

  1. その人の未来を願い
  2. その人の幸せを願う

事業だと思っています。

我ながらこれが天職であり、一生をかけてやっていくものなのだなと感じています。

今日は「めちゃくちゃ感謝された話」について書いていきます。

いまだに慣れない「感謝される」こと。それでも僕は、与え続けてゆくのだ。

めちゃくちゃ感謝された話

教育に関わっている限り、

  • 知識
  • 経験

を存分に与える存在であるのが、「教師」というものです。

僕はプロとして9年間、教育機関に携わっていましたが、数年経ってから、

感謝されることを求めて仕事をすることは、何かが違う

と感じ始めていました。

与えることが「当たり前」になってきたのです。

ここ一年ちょっと、オンラインのプラットフォームで講師を勤めていましたが、多くの生徒さんから、

先生からいろんなことを教わった。ありがとうございます

と言っていただき、「何か感謝の意を!」とまで言われた生徒さんもいました笑。

偉そうな言い方になってしまいますが、人に与えるのが自然なこの職業は、それだけ感謝される職業なのだと、改めて実感しています。

それは僕が、

  1. 真剣に
  2. 熱意を持って

一人一人の生徒さんと向き合うようになったからだと思っています。

当然の話かもしれませんが、個人事業主になってから改めて、

全力で向き合えば向き合うほど、生徒さんは本気で感謝してくれるし、信頼も貯まってゆくのだ

と、実感しました。

まさか先生を辞めても、教育者としてここまで感謝されるとは思ってもいませんでした。

あ、ありがとうございます笑

と不器用な回答しかできませんでしたが笑、本気で感謝してくれていることは伝わりました。

だからこの事業ってやめられないんだよなぁ

感謝されることを求めているわけではないですが、やはり嬉しいものです。

これが僕の「生きがい」なんですよね。

教育に携わっていると、多くの人から感謝される。それは僕が熱心に与えるからこそなのだ。

感謝されることに慣れない

それでも僕は「与えること」に慣れてしまったからか、受け取ることが今でも苦手です笑。

もう、振り込みたいので口座教えてください!

なんて言われたりもしますが笑、

あぁーそういうのはいいです笑。英語頑張ってくれればそれでいいですから

と、どうしても相手の気持ちを躱(かわ)してしまいます。

どこか「気恥ずかしさ」みたいなのもあるのですが、どうしても自分の中での「与える当たり前」が行きすぎているんですよね笑。

だから、

僕って、そ、そんなに感謝されることしてるのかな?汗

と思ってしまうのです。

  • どんな授業でもちゃんとやるし
  • どんなに同じことでも何度も丁寧に教える

これが僕の基準ですし、「熱心に教えている自分」が一番好きだから、やっているだけなのです。

だからこそ、本気で生徒さんに言うこともありますから、

厳しい

と言われることもありましたけどね。

でも、それでもいいのです。

そのスタンスがあるからこそ、軸はブレないですし、結果的にいろんな人から僕の情熱を買ってもらうことができました。

周りのみなさんからは、

せいじさん、ちゃんと感謝したい人もいるんだから、受け取っておきなさいよ

と言われることもありました。

ある程度は受け入れるようになりましたが笑、それでも僕はいまだに自分が「常に与える側にいること」を意識しています。

そうしないと、生きていけないのです笑。

だからいつになっても、

いいんですいいんです。見返りが欲しくて教えているわけじゃないですから

と言ってしまいます。

いつか慈善事業に繋がるようなこともやってみたいですから、どうしてもそういう気持ちになってしまうんですよね。

与える人に対して感謝したいのは、誰だって同じこと。

僕だってそうです。

でもなぜか逆の立場になると、気恥ずかしいんですよね笑。

気持ちだけ受け取って、僕はまた「与える側」に回っていこうと思うのです。

いまだに慣れない「受け取る」こと。それでも多くの人が僕に感謝してくれている。受け取って、また進んでいこう。

それでも僕が与えるのは?

与える」とは、いつからか僕の人生のテーマにもなっていました。

仮の話ですが、僕が今「一億円」を持っていたとしても、毎日仕事をして教育事業に関わっていると思います笑。

もう「クセ」と言いますが、教育している時が一番楽しいのです。

だからやめられないのです。

昔の僕からしたら、

なんで他人に自分の資産(知識や経験も)を与えなきゃいけないんだ?

と、疑問が湧いていたことでしょう。

これは生粋の教育オタクである僕だからこそなのですが笑、気づいたら「やめられなくなっていた」のです。(中毒笑)

昔の僕だったら、

  1. ムダに与えたくない
  2. 最小限の力でやりたい
  3. 与えるなら見返りが欲しい

という、最悪な感じでした。

よく見られたい

という気持ちもありましたしね。

今では、

  1. 死ぬほど与えて
  2. できる限り知識を伝えて
  3. とにかくその人の英語力向上に努める

というのが使命であり、当たり前にやらなければならないことだと思っています。

教えている側というのは、どうしても「偉そうに」なってしまいますし、人より知識があるものごとを “上から” 教えることになりますから、立場を使って「勘違い」してしまう人も出てきてしまいます。(昔の僕笑)

でもそれは長く続きませんし、人はどんどん離れていきます。

僕が今でも個人としてやれているのは、そうした「マインドの変化」があったからだと思っています。

英語に限らず、

せいじさん、どうしたらいいですかね?

という相談を受けることがありますが、いつでも全力で、かつ忖度なく、

僕はこう思うし、こういう考え方だと良くないと思う

とはっきりと言います。(ブログにも表れていますけど笑)

そこから信頼が生まれるのですね。

与え続けないと、僕は生きていけないのです。

いつからか、そんな体になっていました。

それでも「十分じゃない」と思うのは、もっともっと与えている事業家の方や、有名な人がいるからです。

僕にもっと力があれば、救える人もいるのだろう

そうした “悔しさ” を感じることすらあります。

常に「何かできないか?」と考えて、与えてゆくこと。

もう以前の僕ではありませんから、

もっともっと誰かに与えられるようにしたい

そう思いながらも、別に感謝されたいわけでもないという気持ちでいます。

この境地まで来ました。

あとはまた、地道に自分のできることをやってゆくのみです。

今日もまた僕は、全力で生きてゆきます。

与えることがクセになってしまった。それでも、いい意味で「まだ足りない」と思うようになれた。これからもどんどん与えていくのだ。

おわりに

感謝されることは、以前より明らかに増えました。

それは何より、いつも全力で指導しているからなのだと思います。

いまだにわからないことだってありますし、まだまだ未熟な部分もあります。

それでも「与えること」が楽しくて仕方ないので、これからも熱意を持ってやっていこうと思います。

それではまた!

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