30代教員は議論の重要性を知っている【ぶつかり合うことが大切】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

以前、熱くなることの大切さを語りました。

一方で、

  • 冷静さを持つ大切さ
  • 悟りを開いたような平穏さ

を手にいれたということも記事にしました。

しかし先日、我が校の入試について指摘する意見が出るやいなや、

どういう意味なのか全くわかりませんでした。教えてください

と久しぶりに噛み付きました笑。(もちろん好戦的にではなく)

それはひとえに僕が入試という仕事に対するプライドを持っているからです。

  1. どうしてそのようになったのか
  2. どうしてぶつかることにしたのか

書いていこうと思います。

熱くなることは悪いことではない。生産的な議論をしていこう。

初めての入試業務で感じた悔しさ

僕が「教員なりたてホヤホヤ」の時は、何も知らないクソ野郎でした笑。

教員生活で初めて迎えた2月頃、入試選抜があるということで空気がピリピリしていることもつゆ知らず、

やり方ちゃんと分かっているよね?

と聞かれた時に、

いえ。全くわかりません

と清々しいほどに堂々と応えたところ、「ふざけるんじゃないよ!」と事務の人から怒鳴られたことを覚えています。

その時ほど、カチンときたことはありませんでした。

分からないものは、分からないじゃないか!

と。

今思い返せば、

入試という緊張感の時期に、全くもってデリカシーのない発言をしてしまった

と深く反省しています。

後悔はしていません。

  • 先輩に聞いておくとか
  • もっとマニュアルを読み込んでおくとか

確かに「やれること」はいろいろあったでしょう。

ただ一方で、当時に抱いた “悔しさ” がありまして、実は今でも根に持っていることがあります。

それは、

誰も何も教えてくれなかった

と感じたことでした。

何もわからなかったのは、別にふざけていたわけではなく、本当に誰も教えてくれなかったからです。

こうして8〜9年教員をやってきて言えることは、

  • 自分で考えろ
  • 教えてもらうのを待つな
  • 分からなければ自分で聞け

という先輩の指導は、ひどい指導だということです。

僕はこれを「指導放棄」と呼んでいます。

新人は何もわからないのが当然なのだから、それを教えてあげるのが先輩の役目です。

そのために指導教官がつくのですからね。

上司が「指導」という仕事をサボった挙げ句の果てに、

聞きに来ないお前が悪い

と新人に言うのであれば、新人の失敗は上司の責任となります。

僕はそんなツラい過去から、あえてしんどい入試選抜の仕事を積極的に引き受けるようになりました。

そうです。

誰にも何も言わせないために、です。

新しく入ってきた後輩にも一から指導しますし、入試において何が大切なのかも、はっきりと教えます。

それが、先輩や上司のあるべき姿だと思うからです。

  1. 反面教師から学び
  2. 反骨精神が生まれ

過去にリベンジするために、僕は反撃を始めたのです。

新人がわかっていないことを、新人のせいにするのはやめよう。上司がしっかりと指導することは当たり前のことだ。

ぶつかることでより生産的になる

僕はこうして初任の頃から入試の経験を積み、その「地位と市民権」を手に入れました。

今回僕は、「サポーター役」で入試のメンバーに参加していますが、やはり例年通り意見する人がいます。

これはとても生産的で、素晴らしいことです。

だからこそ僕も、メンバーとしてのプライドをかけて、億劫にならずに真っ向から意見をぶつけることにしてみました。

それは経験上、入試選抜グループの取りまとめが叩かれることが多いからですかね。

僕はその光景を見ることがあまり好きではないため、

まずはこちらと手合わせさせてもらえませんか?

と、「遊撃部隊」として戦いを挑みにいくことに決めました。

入試メンバーは、何人かで一枚岩を作っていますしね。

騎馬戦でいうところの、大将の前にいる「壁役」みたいなものです。

要は僕も、プライドを持って議論してきたメンバーのうちの一人ですので、意見する権利がありますし、今後もそうしたいと思っています。

何よりも入試という仕事を良い方向に導きたいという気持ちがあるだけで、そのために議論することは生産的で楽しいからです。

  • 経験を持つ先生たちが疑問に思うこと
  • 新人たちがそもそも分かっていないこと

など、疑問や不明点が出るたびに、みんなで解決していく。

その一端を担っている僕としては、しっかりと議論をしてぶつかり、よりよい未来を作り上げていく責任があると思っています。

何も知ろうとしない、お前が悪い

という「指導放棄による被害」を今後生み出さないためにも、僕は周りの意見に対して積極的に応えていくつもりです。

人と意見がぶつかるのは、いい意味でプライドや経験を持っているからだ。議論して良い方向へと進んで行くことは、単なる口喧嘩と違って生産的なのだ。

熱い気持ちを次のエネルギーへ

今回、僕が、

あなたの意見がまるで理解できなかったので、説明してもらってもいいですか?

と噛み付いたのは60代の大ベテラン先生でした。

会議で発言した意味が本当に理解できなかったため、実際に職員室で、

先ほどのあれって、どういう意味ですか?

と聞いてみたわけですね。

話を聞いていますと、やはり「論点がズレていた」ことが明らかになりました。

なんだ、そういうことを言いたかったのね

と僕は腑に落ち、納得しました。

こうして「熱くなってしまった自分」を通り越しますと、

  • 感情的になってはいけない
  • 戦うことが目的ではない

と、自然とバランスを取ろうと落ち着き始めます。

以前の僕であれば、熱くなってムシャクシャしていたものですが、今はその「熱量」を、うまく次のエネルギーへと変えることができるようになりました。

大切なことは「その人自身を見て」攻撃的な意見をぶつけるのではなく、その人の意見自体に目を向けることだと分かったからです。

  • ではその意見は入試業務の本質を突いているのか?
  • 過去の経験則に基づいているが、自校で効果はあるのか?

と考えて見ますと、

  • 単なる個人的な意見
  • 経験に基づいて言い放った意見
  • 自校で実行するメリットがあまり感じられない

上はあくまで僕の意見ですが、このような形で、いただいた意見を改めてゆっくりと考え、総合的に捉えられるようになりました。

裏を返せば、僕自身も、

自分の経験でしか、モノを語ることができていない

ということも意味しています。

  1. その人の経験
  2. 自分の経験
  3. 第三者の経験

これらを突き合わせてから、「一番良いもの」を選ぶこと。

だからこそ、「ぶつかること」とはとても大切なことなのです。

お互いの経験による「文化の違い」が生まれて、

本校にとって、生徒にとって、教育的観点から見て、本当に良いことは何なのか?

と、もう一度議論することができるからですね。

たまたま僕が「熱い気持ち」を持っていたために生まれた議論でしたが、結果的に先のことについて考える、良いきっかけになりました。

議論して熱くなることは、「無理して避けるべきこと」ではありません。

次への活力を、生み出してくれるのです。

議論は経験や文化の違いから生まれる。その時に熱くなった自分を、今度は先の議論のためにエネルギー転換すれば良い。今後はよりいっそう、生産的な考え方ができるようになるはずだ。

おわりに

過去の失敗から悔しさを感じ、経験を積み、堂々と議論できるまでになりました。

僕がある意見に対して、

それは意味がないと思うんですよね

と言ったとしても、まずはみなさん、しっかりと受け止めてくれます。

これは簡単なようですが、経験がないとなかなかできないものです。

どれが正しいかを競うことが議論なのではなく、みんなが目指していることは一緒で、よりよい未来なのです。

そのベクトルがブレなければ、議論すること自体には大いに意味がありますし、年を重ねるごとに良い形へと改善していくことができます。

どの意見も貴重であり、そこにそれぞれの意見をぶつけて生まれるアイデアもありますしね。

これからも臆することなく、自分の意見をぶつけていこうと思います。

それではまた!

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