こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、zoomで友人たちと雑談をしていました。
去年(2022年)から多くの人と出会ってきましたが、旅の中でも友人たちと話すことが多くなってきました。
話すといっても、「オンラインで画面を繋いで」ということに限らず、
- LINE
- Twitter(X)
など、様々なツールを介して、文字媒体でもやり取りをしていました。
それでもやはり「顔を見て話すこと」はとても大切なことです。
今日は「楽しそうにしている人を見て感動した」という話をしていきます。
人が楽しそうにしている場を俯瞰する
去年もそうでしたが、「人が集まる場所」が僕は好きでした。
この旅を始めても、大自然や閑散とした場所ももちろん好きとはいえ、観光都市でみんなが幸せそうにしているのを眺めることもまた、僕は嫌いではありませんでした。
こんな風になれたのは、本当にここ数年のことだったと思っています。
それまでは、「いかに自分が楽しめるのか」しか考えていなかったからです。
「自分がまず楽しもうとすること」もまた大切な姿勢ですが、どちらかというとネガティブなほうでして、当時の僕は自分のことしか考えることができていませんでした。
今となっては、画面越しであろうとその「雰囲気」を楽しむことができています。
人がどこかに集まって、
と生産的な議論(時に雑談笑)を交わし、どこか明るい未来に向かっていること。
この場を見ている時間が、僕にとっては最高の時間となりました。
自然と僕も笑顔になり、最終的には涙が出るという流れです笑。
どこか一歩引いて、その場全体を見渡す時間。
特に画面越しでも、「相手の顔を見ること」は人間にとって大切なことのようです。
表情とは非言語的な要素ですが、それだけにものすごい力を持っています。
対面で誰かの笑顔を見ることができること。
これが僕にとっての幸せなのだと、改めて実感しました。
笑顔が溢れる場はなかなかない
「人の笑顔」を見ることで、僕はどうして涙が出たのでしょうか。
旅の最中で感傷的にでもなっていたからでしょうか。
僕自身、
と思っています。
ただ単純に、僕自身がその時間を楽しめていることもそうなのですが、
- 一緒になって笑顔で話して
- ワイワイしてその場を共有して
という事実に、感動したのだと思います。
こういった感動の瞬間とはふと訪れるものでして、
と思われるかもしれませんが、僕自身この瞬間がいつ訪れるのかはわかっておりません笑。
ただ全体を俯瞰できるようになってから、僕は「幸せ」を感じるようになったのだと思います。
一対一で行なう英語の授業の時間でも、相手を楽しませるように努力はしますし、その時間も僕は大好きです。
しかしよりいっそう感動を覚えるのは、ざっくりと「みんなが楽しんでいる状況」を見た時なのだと思います。
「楽しい空間」とは、一人では生み出すことができません。
だからこそ、その瞬間を目の前にしている自分が、
と思ってしまうのですね。
と。
ずっと独りよがりになっていた人生だったからこそ、こうした空間に立ち会えている自分が、本当に嬉しいのです。
学生時代ですと、
- 周りに人がいること
- みんなで何かに取り組むこと
が当たり前でした。
大人となりますと「仕事」というネガティブな空間の中で、一緒になってプロジェクトを完遂させることくらいしかありません。
学生時代のように仕事も「みんなでワイワイと」できているようであれば、仕事も楽しくなるのでしょうけれど、一般的には負のイメージが強いですよね。
僕が目指すべきはここですね。
今回に関しましては仕事ではありませんでしたが、集まって話をすることというのはなかなかできないことです。
そこに笑顔が溢れることは、いろんな要素が重なり合わないとできないこと。
その奇跡に自然と感動できるようになったのは、僕がその場の貴重さを感じられるようになったからなのかもしれませんね。
僕が提供していきたい場所
仕事でそんな環境を提供できたら、それはとても素晴らしいことです。
ただ僕は、今回のように「他愛もない交流の場」も提供していきたいのだろうなと思っています。
昔からMCや司会者はとても得意でしたので、
- 場を提供して
- 時間や流れをコントロールしていくこと
は、自分の性にも合っていると思っています。
そしてその場で一番好きな瞬間が、
「自分はしゃべらずにただ聞くだけ」
という状況なのです。
面白いと思うかもしれませんが、先述した通り「その場を俯瞰すること」が僕にとって感動する瞬間なのです。
笑顔が溢れる場にしていくためには、僕自身の人柄や人間性を磨いていく必要があるだけでなく、参加してくれている人たちにとって「有益な時間であること」が必要とされています。
それはただただ「利益になる」といった表面的なものだけではなく、
- 笑顔になる
- 元気になる
といった、抽象的なことも指しています。
そんな感情が抱ける時間もまた、「有益な時間」だと言えるでしょう。
人は人を求めていますから、心地よい会話や笑顔の溢れる場を提供することというのは、それだけでも、その人にとって(あるいは僕にとって笑)利益になるのです。
僕はそんな場所を求めていました。
その場を築いていくために、自分の魂を磨くようにしてきました。
今まで地道に積み重ねてきたからこそ、こうして感動することができているのだと思います。
ゆくゆくはそれが仕事となればいいなと思っていて、それが僕の夢でもあります。
僕自身にエンターテイメント性はなくて、僕の周りにはいつも面白くて楽しい人がいてくれています。
その人たちと繋がり、僕が場を提供していくことで「幸せの連鎖」を広げていくこと。
適切な場を提供したり、その場をコントロールして回したりすることは得意なことです。
だったら、僕が先陣を切って進んでゆくだけでなく、人を集めて笑顔の溢れる空間を作っていくこと。
小さなことからでも構いません。
僕のできることを、日本でも海外でも、ただ愚直に求めてチャレンジしていくだけなのです。
おわりに
やはり僕は、「人の集まる場所」を必要としているのだと思います。
単純に僕自身も幸せですし、みなさんが楽しめているのであればなおいっそう、僕も幸福感を感じられるようになるからです。
- 独りよがりだった時
- 海外一人旅を始めた時
僕はこの時に、人との幸せな空間を作り上げることができませんでした。
マインド面を変えて行動すれば、実際なんとかできるものです。
これも僕の努力が必要というわけですね。
もっともっと、素敵な場所を提供していきたいと思います。
それではまた!
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