30代が定期的に自分を追い込む理由【より幸せを感じるようになる】

幸せ

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

公言しています通り、僕はサウナが大好きです。

サウナの良さについて、全くわからない人からしますと、

  • 「ドMなの?」
  • 「何が楽しいの?」
  • 「理解ができない」

と、なじりたくなることでしょう。

実際僕も、以前はそこまでサウナが好きではありませんでした。

しかし、汗を流してスッキリすることは健康にも良いですし、何より「自分を追い込んでいる感」があって好きなのです。

僕はトップアスリートではなく、極一般のそこらへんにいる教師でしかありません。

それでも僕は、「自分を追い込むこと」にこだわる理由があります。

今日は自分を追い込むことのメリットについて話していきますね。

激しい運動をする理由:日常への意識が高まる

以前も「運動をする理由」についての記事を書きました。

「若さを保っていたい」と書きましたが、実は最近、それ以上に感じていることがあります。

それは「より日常に感謝するため」に、運動を続けているのだということです。

サウナは「激しい運動」というよりも、「ただ汗をかくだけ」という認識ですので、個人的には「本気で自分を追い込んでいるわけではない」と感じています。(自分で言っておいてなんなのですが笑)

それに対して、ダンスやランニング、あるいは筋トレなどのトレーニングをして自分を追い込んでいる時は、正直マジで、本当に、しんどいです笑。

  • 1年前に始めたランニングでは、途中途中で息も苦しくなりますし、足の筋肉も痛くなってきます。
  • ダンスの練習では30秒を超えたあたりからムーブがしんどくなり、練習後にはヒーヒー言っています。
  • ランニングもダンスもしない日は、腕立て伏せを20回ほどやるのですが、できる限り限界までの回数を行なうようにしていて、筋肉がはちきれそうです笑。

サウナも似ていますが、運動が終わった後の爽快感は共通しており、とても気持ちがいいという点に関して言えば、確かに間違いではありません。

しかし最近では、激しい運動をしている「瞬間」に、とにかくしんどいと素直に感じるようになりました。

すると不思議なことに、日常のあらゆる場面が平和で幸せなのだと感じるようになってきました。

「激しい運動中はしんどい」↔︎ 「日常の時間(運動をした後は特に)は平和で幸せ」

という構造ですね。

特にランニングを始めたことで、街中で「ウォーキング」や「散歩」をしている時は、よりその時間が「ゆったり流れていて穏やかな気分」になることが多くなりました。

「普段はもっと速く走っているのに、こうしてゆったりと歩けるなんて、とても幸せなことだなぁ」

と笑。

聞いている側からしますと、「どういうコト?」というただの謎な状態でしかないのですが笑、

  • 自分を追い込んで
  • しんどい時間を経験しておくことで、
  • 日常により感謝できるようになる。

という感覚だと思っていただければ幸いです。

日常で本当にリラックスするために、あえて自分を追い込む時間を作っておく。

僕はこの発想が大好きなんですよね笑。

激しい運動で「しんどい」と思えれば、日常がいかにイージーモードかわかるようになる。

大抵のことは「大したことない」と思えるようになる

僕には持論がありまして、

部活動を一所懸命やっていた生徒は、大抵の場合は受験でもやり抜く力を発揮する」

というものです。

「部活動ではあまり頭を使わないのに、なぜ?」と思う方もいるかと思いますが、僕は「逆の考え方」です。

「あれだけしんどい練習に耐え抜いてきた生徒は、勉強が楽で仕方ないと思うものだ」

と思っています。(全員が全員とは言いません)

その発想と少し似ていまして、社会人になっても「普段から定期的に自分を追い込んでおく習慣」を持っていますと、大抵のことが楽に思えるようになってきました。

  • 「仕事のいざこざ?ランニングのしんどさに比べれば…」
  • 「ここまでにこの業務をやれと?ダンスを1分間ずっと踊ることに比べれば…」
  • 「毎日ブログの更新?!筋トレで腕が上がらない瞬間に比べれば…」

と、いい意味でしんどい瞬間と比べるようになったのです。

経験豊富な方の中にも、こうした「自分のための上手な比較」をして、失敗や苦労を乗り越えてきた成功者はいますよね。

  • 「自分の会社が倒産した時に比べれば!」
  • 「一文無しで生きていた頃に比べれば!」
  • 「リュックサック1つで世界を回っていた頃に比べれば!」
  • 「死ぬ寸前の大事故から入院して、奇跡の復活を遂げた経験に比べれば!」

と言ったような感覚ですね。

僕にはそうした経験があまりないため、あえてわざと自分でしんどい状況をつくっているのかなとも思っています。

一応「アキレス腱を切った経験」というしんどかった時期はありますので、載せておきますね。

「激しい運動」は、よく「フィジカル面のしんどさ」と思われがちですが、トップアスリートがメンタル面を鍛えるように、自分の体を追い込むことはメンタル面を強くする効果もあると僕は信じています。

何か不測の事態が起こっても、ある程度「余裕で構えること」ができるようになったり、普段あまり「カリカリしなく」なったりします。

  • 息を荒らげながら、
  • 心臓バクバクで、
  • 汗ダラダラで、
  • 筋肉が壊れそう

な状態を、自分で経験してわかっているからですね。

それに比べればちょっとやそっとの問題なんて、取るに足らないものだと思えてしまうのです。

もちろん「自分を追い込むレベル」は、何もアスリートほどでなくて構いません

肉体的に「自分がしんどい」と思えるレベルを普段からこなすことで、

  1. その分、日常に感謝して、
  2. 余裕を持つことができる。

と思っています。

最適解とは言いませんが、興味があればみなさんもぜひ「激しい運動」で自分を追い込んでみてください。

激しい運動によってしんどい経験をしていると、大抵のことは大したことではないと感じられるようになる。

自己肯定感につながる

しんどい経験はそれぞれの人生において、様々あるとは思いますが、

「そのしんどさを乗り越えることで、自己肯定感が増すのだ」

という前提で考えれば、運動は非常にコスパのいい自己肯定感向上の手助けになると思っています。

「ここまで自分を追い込んだんだ。自分ならきっとできるはずだ!」

と思えるようになるものです。

逆境にも強くなりますし、「やり抜く力」も身につきます。

「あぁー!もうダメだ!」

と言うところまで自分を追い込むことさえできれば、他の分野でもその感覚は活きてきます。

例えば、

  • 資格の勉強
  • 副業
  • 転職活動
  • 家庭内で分担している仕事
  • 人間関係

などです。

この記事では「運動」をメインにしてきましたが、別に「勉強」や「仕事」から自己肯定感をあげる人もいます。(実際、僕も得意な勉強から自己肯定感を上げました)

要は「運動」(など)をきっかけにして、自己肯定感をあげる感覚さえ身につけてしまえばいいのです。

特に運動では、追い込むことさえできてしまえば「しんどい!」と簡単に思えるため、僕は定期的な「運動」を強く勧めています。

社会人になりますと、ある意味仕事に追われてしんどく感じる経験はありますが笑、それは運動やトレーニングで追い込むような「しんどさ」とは違います。

自分の経験上、普段からジムに行ったり定期的な運動をしたりしている人は、自己肯定感が高い印象を受けます。

最近だと「筋トレ」もブームになってきていますので、自己肯定感の上げ方として「フィジカル面」に着目することは悪いことではなさそうですね。

運動やトレーニングは、自己肯定感をあげる簡単な手法である。自分を追い込む経験を作ると、自然と自己肯定感が増すのだ。

おわりに

「運動」や「トレーニング」はあくまで1つの切り口でしかありませんが、それによって得られるメリットは大きいと思っています。

特に「追い込み」は、普段生活を平和に生きていれば、

  • 絶対に出会うことのないものですし、
  • ただでさえ仕事がしんどいのだから、できれば無理にしたくはないもの

ですよね笑。

そこで「あえて」やるということは、それだけ僕が「追い込み」に様々なメリットを感じているということです。

街を歩いていると本当に穏やかな心でいられますし、人にも優しくなることができます。

「普段から、呼吸がしんどくなるくらいのトレーニングをしていますので…」

とふと思えることは、今までなかった感覚でしたしね。

まさか「自分を追い込むこと」が、ここまで日常の素晴らしさを浮き彫りにしてくれるとは、思いもしませんでした笑。

単純な「爽快感」を超えた先にある、自己肯定感や幸福度の上昇。

これはまた、自分を追い込むしかないようですね…笑。

それではまた!

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