改めて向き合う自分の最期の瞬間【いつも今と向き合うこと】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

生徒さんと話していますと、いろんなお話を伺います。

僕は何人かから、身近な人を失ったというお話を聞きました。

僕自身も、去年の初めに父を亡くしましたから、気持ちがわからないわけでもありません。

近年、日本でも、

  • 東北
  • 能登
  • 熊本

と震災があり、多くの命が奪われましたが、それでも僕らは必死に生きています。

今日もまた、「死」について改めて考えていこうと思います。

僕はたまたまラッキーだっただけだった。いつ終わりが来てもいいように、今を生きていこう。

今まで生きてきたことは奇跡

僕は30代も後半になろうとしていますが、

よくここまで生きてこられたなぁ

と思うことすらあります。

世界一周をしようとしていた時も、

何かに巻き込まれるのではないか?

と思いながら、何とかやり遂げられました。

いろんな事故や事件が起こるのが世の常であり、僕は “たまたま” それらに巻き込まれなかっただけです。

そう。

そういう意味でも、僕は「とてもツイているのだ」と思いました。

僕らが「今」を生きていられるのも、いろんな奇跡が重なっているのだと言うことを、肝に銘じておかなければなりません。

逆に言えば、

もしかしたら、明日何かの拍子に亡くなるかもしれない

僕はこうも思っています。

またまた笑。せいじはいつも大袈裟だよな!

果たしてそうでしょうか。

今回の2026年の熊本の震災で、若くして亡くなった方もいました。

災害や事件ではなくとも、持病が理由で若年ながら病にかかり、亡くなっていった方もいらっしゃいます。

僕の父も70歳という若さで、この世を去りました。

僕には僕のタイミングで、そういう瞬間がくるのかもしれない。

もちろん、それは人それぞれの「運命」ですから、比べることでもありません。

それでも、

自分の命は、奇跡の上に成り立っているのだ

と感じられるかどうかは、とても大切なことなのです。

僕らがここまで生きてきたことは、奇跡だと言える。その事実を意識するからこそ、今を生きられるようになるのだ。

志なかばで散って行った人たち

僕は昨年、靖國神社に参拝しています。

国を救うために、命を賭して突っ込んで行った若き青年たち。

比べる必要はありませんが、僕らの現代がどれだけ恵まれているかを考えますと、涙が止まらなくなります。

自分は果たして、ちゃんと生きられているのだろうか…?

去年から一念発起したわけではありませんでしたが、ここ数年で狂ったように仕事をしているのは、

守ってくれた先人たちへの敬意

もありました。

彼らは意図的に(国を守るために)命を使ったわけですが、僕らはまだ生き続ける選択肢が残されています。

もしかしたら、みなさんの身の回りにも、自ら命を絶った人がいるかもしれません。

それもまた、その人の人生。

僕らには、想像することしかできません。

今日本も、危機的な状況に陥(おちい)っています。

現与党政党は、好き放題やっては国民を無視し、国のために政治をやっていません。

今度は、僕らの番だ

そうやって声を上げている議員さんたちが地方には何人もいて、頑張って戦っています。

自ら犠牲になることについては、僕はあまり賛成の立場ではありませんが、

そうやって散っていった人たちもいるのだな

と思うと、身を挺(てい)して戦う姿にも納得がいきます。

今を精一杯生きなくては!

と思う人が、何人もいるということです。

  1. 自分はラッキーだった
  2. 今も周りに戦っている人がいる

こう思いますと、今の命がいかに尊いかもわかります。

今日も自分のため、誰かのために精一杯生きることができただろうか?

僕はそう考える暇がないくらい、以前と比べて必死に生きるようになりました。

口で言うのは簡単です。

批判するのもまた簡単。

他人が何を言ってこようとも、僕は/私は今を生きよう

こう思えれば、みなさんはみなさんの人生を歩んでいることになります。

そこに優劣はありません。

ただ、

  • 納得のいくように
  • 後悔のないように

今日を生きていきましょう。

志なかばで亡くなって行った侍たち、若者たちが周りにたくさんいる。その事実を、忘れないことだ。

今を生きること

年をとってきますと、自分の将来についてより深く考えるようになります。

みなさんも平気で呼んでいる「おじいちゃん/おばあちゃん」たちに、僕らもまた当然「なってゆく」わけですし、何十年かすればこの世に「僕ら世代」は誰一人といません。

若い時とは、その事実になかなか気づけませんし、考える必要もありません。

しかし、僕のようにだいぶいろいろなことを経験してきますと、

あ、そろそろ終わりについても考えなきゃな

と思うわけです。

  • 仕事のこと
  • 家族のこと
  • 友人のこと

など、いつ終わりが来てもいいように、

君の人生には、後悔はなかったかい?

と聞かれても、すぐに答えられるように、僕は毎日を生きるようにしています。

そこで大事になってくる考え方が、『マインドフルネス』ですね。

マインドフルネス(≒ 瞑想)にもいろいろな形がありますが、僕は以前、就寝前に3分間、瞑想をしていました。

こういった形だけではなくて、

あぁ、今を生きているな

と思えれば、それだけでも十分です。

あまりにも忙しい場合、それでは、

一体なんのために生きているのか?

となってしまいますからね。

僕は普段、

  • 空を見上げたり
  • 外の匂いを嗅いだり
  • 子どもたちが笑顔でいるのを見たり
  • 友人たちが楽しそうに話しているのを見たり

する時に、

今まで生きてきてよかった

と思うのです。

何か、特別なことをする必要はありません。

僕もこうやって普通に生きていますし、しんどいことだってあります。

嬉しいことも楽しいことも、ツラいことも悲しいことも含めて「人生」です。

様々なことがある中で、『今』を直視し、感謝すること。

こうすれば、いざ最期の時が来ても、きっと笑って終えることができるでしょう。

今の時代を作れるのは

今を生きてる人間だけだよ…………!!

大切な人を失っても、僕らは前に進むしかありません。

僕ら自身にも、その時がいつくるかはわかりません。

だから今を生きましょう。

時代を作っていきましょう。

誰かのために。

自分のために。

今を精一杯生きていくこと。瞑想するだけでなく、様々な瞬間で「生」を感じることだ。そうすればきっと、後悔のない人生になる。

おわりに

いろんな生徒さんから、こうした類(たぐい)の話は聞きます。

とても悲しくはなりますが、僕らは僕らの「今」を生きてゆくしかありません。

僕自身が終わる可能性もありますし、身近な人がいなくなる可能性もある。

それを覚悟し、また僕は歩いていきます。

それではまた!

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