こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕は朝活でホストをしたり、授業をしたりと「発する側」に立つことが多いです。
教員時代にも、
と、会議でよく発言をしていました。
という、日本の教育の賜物(たまもの)でしょうね笑。
今日は「会議で発言すること/黙っていること」についての是非について、考えていきます。
そもそも会議とは意見交換の場

よく勘違いさせられてしまうのは、
- 会議は報告会
- 会議は情報共有の場
という考えです。
これが、日本に蔓延(はびこ)っている悪習慣だと思っています。
と思ってしまいますよね。
ただの報告会なんて、それは “会議” とは呼べません。
僕が小学校の時、「学級会」というものがありました。
そこで議長を務めていた僕は、
と、小学生なりに考えていたものです。
ということは、この学級会はとても良かったということです。
会議とは、
- 互いに意見を出し合って
- 妥協点(=落とし所)を見つける
という、プロセスを踏むことだと思っています。
「ただオーディエンスとして参加したい」場合は問題ありませんが、
と、僕は思うわけです。
話を振られたら、そこでやっとしゃべる。
思うに、「消極的な参加」であれば今一度会議への参加の形、あるいはその会議自体を見直すべきなのかなと。
- 資料は事前に読んでおく
- 多ければグループに分ける
など、その時間を有意義にできる方法はいくらでもあります。
どういう形がいいのかはその会議の主旨にもよりますが、基本的に「会議」と呼ばれるものは「話し合い(議論)の場」という定義がなされるのではないかなと。
意見を出し合う必要がない “報告会” であれば、集まって話を聞かされる時間が、ただただもったいないですからね。
意見を言わない = 何も考えていない?

海外でよく言われることは、
ということ。
もちろん、「海外の考え方が全てだ」という意味ではありません。
ただ、僕が会議での沈黙を「悪習慣」と思っているように、
みたいな感覚は、よくないと思っています。
僕は学生の頃からずっと、
と、何かあれば手をあげて意見していました。
それはたぶん、納得のいかないこと(あるいは不明な点)があった時は、民主主義に基づいて「意見を飲んでもらう」という感覚が、身についていたからだと思います。
だって、そのための「会議」ですよね。
もし「沈黙」を貫いた場合、それは「Yes/賛同します」を意味します。
だから政治においても、
と豪語していた僕でしたが笑(ダメすぎる…)、
- 税金が上がろうと
- 移民を受け入れようと
- 民意を切り捨てようと
「NO」を突きつけない、ということを意味しています。
自分の知らないところで、勝手に話が進んで行ってしまうのです。
会議と政治は、まさに一緒というわけですね。
もちろん、意見するからには責任も伴います。
でも誰にでも「意見する権利」があるからこそ、現代の民主主義なのです。
そうやって長いものに巻かれたり、言いなりになったりしている人が、今の日本では多いのではないでしょうか。
会議では黙っておきながら、
と、後で居酒屋で言っていたって仕方ありません。
いい意味で、「闘う」姿勢があれば、
と、会議中に周りが考慮してくれますからね。
そんなに言うのであれば、意見しましょう。
それが会議というものです。
適材適所

僕はホストになったり、先生側に立ったりすることが多いので、
と言う人もいます。
いえ。
僕の場合、オンライン上で誰かと「対話しながら」みなさんに聞いてもらいますし、必要ならコメント欄も見ます。
- 誰かの意見も取り入れる
- 話しづらければコメントできる
この体制であれば、誰でも「意見すること」は可能です。
- 回す人(ホスト)
- 聞き手(聴衆)
- 参加者(舞台上で議論)
みたいなイメージを持っておけば、議論も活性化します。
というより、僕が一人「独壇」でくっちゃべっていたら、もうすでに朝活なんて誰も来ずに終了しています笑。
授業でも、一方的に説明しなければならないことはありますが、
- 生徒の意見
- 生徒の理解度
- 生徒からの質問
も含めての、「授業」ですからね。
会議で発言しないことを「非」と書いてきましたが、それは狭い範囲ですし、
という意味です。
大人数の会議のような場合は、「話せない」こともあります。
だからその後、
- 個別に聞くブースがあったり
- ブレイクアウト(=グループ分け)をしたり
少人数で意見を出し合わせて、意見を吸い上げることもできます。
とにかく、意見を言わなければ(=言わせなければ)、
といった気づきも起きにくいです。
だから、そういう意味で「沈黙は悪」なわけです。
お互いに責任があるということです。
意見を言おうとしない人も悪いですし、言えるような環境を作っていないホストも悪い。
それぞれの意見を適切に吸い上げたいのなら、”相互作用” することですね。
だから積極的に発言・発信もしますし、参加者には自由に質問や意見をさせる。
これが大事だと思っています。
おわりに
こういう人が一定数いることはわかりますし、リスナーとして参加する場合は問題ありません。
ただ、
という場において黙っているのならば、
- 何も考えていないか
- 参加する意志がない
と、僕は感じてしまいます。
何のために時間を割き、その場に集まっているのか。
ここを理解して、参加したいですよね。
それではまた!
