何かあっても怒らずに感謝すること【ありがとうと言える大人へ】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

日本では「ありがとう」と言う文化が当たり前のように根付いていて、

ありがとうは「有り難し」、つまり、めったにないような貴重なことについて言う言葉だよ

という話は、有名だと思います。

大人になってきますと、なかなか感謝できなくなってしまう人もいるものです。

僕もたまに感情的になりそうな時は、

いかんいかん。今あるこの生活に感謝しないとな

と思うようにしています。

今日はそんな「感謝」について書いていきます。

何事にも感謝できるような人になろう。それが日本人としての大事な文化だ。

イライラしない

感謝をする前に、大事なこととして「怒らない/イライラしない」が大事だと思っています。

「感謝できない人」とは、

  • それが当たり前だと思っている
  • やってもらうのが当然だと思っている
  • 自分は間違っていないという正義感を持っている

こうした傾向にあります。

表裏一体としてあるものが、「謝れない」という性格。

これについては割愛しますが、この両者は大人としてできるようにしておきたいことですよね。

何かイヤなことがあった時に、

くそう!なんで俺だけ!
なんで私のことをわかってくれないの!

と言っている人は、やはりどこかで、

  • 自分は被害を受けない存在
  • ちゃんと自分は評価されるべき

などといった気持ちがあって、それらがイライラに繋がってきています。

要は、

自分の思い通りにいかない!

という気持ちから、「怒りを募らせてしまう」タイプですね。

そうした「気持ちの揺れ」みたいなものが常にある人は、要注意です。

「まずは感謝しましょう」という話すら、入ってこなくなりますからね。

  1. この日本に生まれ
  2. 何不自由なく生きられていること

まず、この事実自体が「有り難い」のですから、その時点で不平不満を言っている場合ではないのです。

もちろん、いろんな境遇の方がいることも知っています。(僕は教員でしたし)

それでも、まずはこの「今」に感謝することです。

その事実にさえ気づくことができれば、

あぁ、今怒っている自分は一体何をしているのだろう

と、俯瞰して見ることができるようになります。

感謝する以前に、小さなことでイライラしていたら始まらない。まずは今ある日本の現状を見て、生きていられることに感謝しよう。

小さなことに感謝する

僕は以前、そうは言っても、なかなか小さなことに幸せを見出すことができませんでした。

どこかで自分の境遇を恨んでは、

自分には才能もないし、なんだか人生うまくいかない

と、自暴自棄になっていた時もありました。

しかし幸か不幸か、「コロナ禍(とそれ以降)」で僕の考え方は変わりました。

  • サウナに行ったり
  • カフェに行ったり
  • 日本中を歩き回ったり

したことが、また僕の「感謝」の気持ちを助長したのでしょう。

もしみなさんが仕事で忙しく、小さな幸せに気づけていないのでしたら、一度スローな生活に戻ることをオススメします。

若い方々は、やりたいことをガムシャラにやってもいいとは思いますけど。

ただ、僕くらいの年齢になってきますと、

一体何が幸せなのだろうか?

と考えるようになる人が増えてきます。

そんな時ほど、

  • 晴れた日の公園
  • 夜寝る前の読書時間
  • 家族と過ごす何気ない時間
  • 友人たちと運動をして汗をかくこと

など、今まで当たり前にあったはずのことに目を向けてみてください。

日本で当たり前にあることとは、実は世界では当たり前にあることではありません。

逆もまた然りで、日本にないものも世界に溢れています。

僕らはここ日本で生まれ育ったわけですから、

日本ってどういう国なんだ?

と考えてみますと、

  1. かなり特異で
  2. 稀有(けう)な国だ

ということに気づくことができます。

目の前の小さなこと、見逃したりしていませんか。

僕もそうでしから、よくわかるのです。

今のこの生活は、”有り難いこと” なんだ

と。

忙しかったら一度手を止め、空を見上げてみましょう。

きっと周りの、

  • 匂い
  • 空気
  • 人々

に感謝することができて、自然と涙が流れるはずですから。

身の回りの小さなことにも感謝をしていこう。現代では、意外と目の前の小さな幸せに気づけていない人が多い。

大人こそ感謝

少し違う視点で見てみますと、「大人」こそが子どもたちのいいお手本になるべきだと思っています。

僕自身もそうでしたが、大人たちがイライラしているのを子どもたちが見てしまいますと、なんだか怖いですよね。

有名人だろうが公人だろうが、一般人だろうが、

常に見られているのだ

という “いい意味での” プレッシャーは、感じておくべきでしょうね。

そして僕ら大人たちが、

  • 小さなこと
  • 何気ないこと
  • 当たり前にあること

に感謝している姿を子どもたちが見れば、それだけで立派な教育になるとも言えます。

冒頭でお伝えした通り、大人になりますと「経済的にも自立」するようになって、

ま、金さえあればいいだろ

とか、

別にこんなこと、当たり前でしょ

と思うようになってくる人が、必然的に増えてきます。

こういう大人たちが増えてきますと、社会もどんどん歪(ゆが)み始めてきます。

子どもたちは、大人の背中を見て育ってゆくからですね。

僕は子どもの頃はあまりお金がなくて、決して裕福な家庭で育ったわけではありませんでした。

だからこそ、

  • 倹約すること
  • 贅沢への抵抗

などが生まれたのだとも言えます。

お金を稼いだり、散財・浪費したりすることは悪(あく)ではありません。

しかしそれでも、

お金や経済的な力、地位や名声こそが全てだ

と勘違いしている人は、少なからずみなさんの周りにもいるのではないでしょうかね。

大きくなってきますと、目の前にあったはずものも、だんだんと見えなくなってきてしまいます。

だからこそ、

  1. イライラせず
  2. 感謝すること

これを心がけられる大人になりたいものです。

もちろん、ダメなものにはダメと言わなければなりませんし、時には感情を伴って「それは違う!」と言わなければならない時もあります。

ただ、根本の姿勢が「普段から感謝できない人」は、どう頑張っても子どもたちの目に格好良く映ることはありません。

当然です。

こんな大の大人たちが、

ありがとうございます

と丁寧に言うからこそ、そこに日本の文化が培われ、敬意に対する学びが生まれます。

そういう人でありたいですし、そういう文化を残していきたいですよね。

まずは僕らが、模範を示すことですね。

大人が模範を示していこう。感謝できる大人は格好良い。

おわりに

感謝するということは、実は簡単でもあれば、難しいものでもあります。

表面上で「ありがとう」と言うことは容易なことですが、自分の中で深く感謝できているかどうかは「その人自身」にかかっているからです。

その度合いとは決まっておらず、それぞれが「文化」として自身の中に持っておけばいいことです。

他人がとやかく言うことではないでしょう。

だからこそ “文化” なのであって、それは僕ら大人たち次第です。

小さなことにも感謝し、手本を見せていきたいですね。

それではまた!

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