人に依存しすぎない生活をするには?【自分の足で前に進むこと】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

いろんな生徒さんと話していますと、

どうしてせいじさんは、そう自立して生きていけるの?っていうかなんか冷たくない?

と言われることがあります。

実は僕も結構、人に頼って生きてきた人生でした。

「依存したことはない」と自負していますが、『マイナス』から少しずつ変わってきたのは事実でして笑、

最初から、自分のことだけを信じて生きてきた!

とは言い切れません。

僕がどうやって変わってきたのか。

今日は「他人に依存しないこと」について、書いていきます。

僕は他人に依存することを、やめることにした。自分を軸にした人生を生きることに決めたのだ。

一人では生きていけない

前提として僕がよく言っていることは、

自分がこれまで、一人で生きてきたと思うなよ?

ということです。

以前の僕は勘違いをしていて、

俺はここまで、一人で生き抜いてきたんだ!

と、「自分がいかに頑張ってきたか」を自負していました。

しかしそれは、間違いでした。

本来人間とは、この社会で生きているのであって、

  • 道路
  • 交通
  • 飲食
  • サービス

など、他の人がやってくれているものがあり、その上にそれぞれの生活が成り立っています。

お互いが助け合って、生きているわけですね。

え?じゃあせいじも、依存しているってことじゃん

そうなると、ちょっと話は変わってきます。

確かに僕らは、

  • コンビニ
  • 公共交通機関
  • インターネット

など、インフラがあるおかげで生きることができているのですが、むしろこれらは「なくてはならないもの」であって、

自ら、依存しに行っている!

と指摘されるには、あまりにも極論な気がします。

今回話題にしたいこととは、このように「支えてもらって生きていること」とは違い、

この人が…いや、このコミュニティが、ないと生きていけない!

と「今ある社会」以上に依存してしまい、自分を見失ってしまうことです。

周りに感謝したり、今あるこの社会を当たり前に思わないことだったり、人として持っておくべき姿勢は大事にすべきです。

一方で、

それがなければ、生きていけない

という状態をあえて作ることは、自分を破壊することになりかねないと言っているのです。

今ある生活に感謝することは大事だが、それ以上に誰かに頼ろうとしてしまうと、人生が狂ってしまう。

他人を軸にしなくなった

僕が再三、ブログで書いていることとは、

他人の人生を生きるな

ということです。

特にそう思い始めたのは、

僕は僕の人生を、毎日生きることができているだろうか?

と考え始めたことがきっかけでした。

  • 恋人
  • 友人
  • 家族

に頼りっぱなしだった僕は、

  1. 何も自分で解決しようとせず
  2. 誰かが何かを代わりにやってくれる

と考えていました。

だから英語だって伸びませんでしたし、人生の軸が定まらず、フラフラと生きてはグチをこぼしていました。

そうやって「人のせい」にして生きてきたのです。

そこでわかったこととは、

全然幸せにならないし、自分の人生を生きている気がしない

ということでした。

絶望の淵に立たされた僕は、「内省/内観」を始めます。

さらに本を読み始めた僕は、

なんて「他責の人生」を送ってきたのだろう?

と気づくことになります。

それから、いい意味で「人と距離を置くこと」に決めました。

以前は学校の先生だったこともあり、

  • 過度に生徒に干渉すること
  • 同僚との飲み会に、グチをこぼしに行くこと

など、自分が「他人/コミュニティ」に介入しすぎていたことを、修正し始めます。

ある意味、

  • 冷静に
  • フラットに

なったのかなと。

あまりにも感情移入したり、人間関係のトラブルに首を突っ込んだりと、そういうことをしなくなったのです。

相手は変えられないし、そこに裁量権があるのだから、軸をそこから移さなければならない

そう思ったわけですね。

だから他人から見ますと、

せいじって結構、サバサバしてるのね

と思われるのかなと。

いえ、むしろ考えた結果 “そうなった” のです。

そうでなければ、自分の心のエネルギーがどんどん削られていってしまうから。

だから人に頼ること自体は良くても、「依存すること」はやはり質が違い、いずれ自身の身を滅ぼします。

自分の思うような結果が得られないことがほとんどですし、それにイライラしてしまうからですね。

僕はどんどん冷静になっていった。それはいい意味で、だ。そうしないと自分が削られていき、人生が振り回されることになるからだ。

自分の足で歩いていこう

大切なことは、

この人しかいない!このコミュニティしかあり得ない!

と、「絶対に離れられないもの」をなくしてゆくことです。

  • 参考にすること
  • 一緒に活動すること
  • サービスを利用して楽しむこと

などは良くあることですし、現代の豊かな暮らしでも “そういうもの” とは多いものです。

例えば、

スマホがなくなったらやばい!

と思うのは確かにそうですし、依存と言えば依存です。

しかし(何度も言いますが)、ここら辺は「共通のインフラ」だとも思っています。

メシを食わないと、生きていけない

みたいなレベルであり、ちょっと別枠なのかなと。

もっとこう、その人やモノ、コミュニティなどに「心を捧げてしまう」ようなことですかね。

好きなアーティストや選手、チームや趣味などがあってもいいですし、それらも依存と言われればそうです。

ただ、僕が「究極的に」思っていることとは、

そういうものがいつかなくなっても、平静を保っていられるか

ということ。

僕はオンラインコミュニティに入っていたり、サウナ友達、ダンス仲間もいます。

でもフラットに、

ま、それらがなくなったらなくなったで、仕方ないか

とも思っています。

離婚をした時もだいぶ悲しみに打ちひしがれましたし、父が亡くなった時も本当にツラかったです。

でもそれらを悔やみ続けていて、

一体どうすればいいんだ?!

と嘆いていても、僕の人生は何一つ良くなりません。

僕の好きな漫画『鋼の錬金術師』にも、こんな言葉があります。

立って歩け 前へ進め

あんたには立派な足がついているじゃないか

宗教に心酔してしまっていた女性が、何もかも失って打ちひしがれているところに、足が義足(オートメイル)である主人公が放つ言葉です。

何かに(誰かに)依存している以上、人は自分で立って歩こうとしません。

以前の僕もそうでした。

  1. 自分で解決しようとしない
  2. 誰かがやってくれると思っている
  3. それがなくなったら、また別の宿り木を探す

この繰り返しでした。

これでは、根本の解決にはなりません。

僕らには、前に進むことのできる「足」がついています。

まずは、自分が “自分の足で” 歩いているのかを確認すること。

足元を固めて、僕らは歩き始めなければならないのです。

他人やコミュニティがなくなったとしても、自分は自分の足で歩けるだろうか。いつもそのことを、僕は考えている。

おわりに

僕は多くの「何かに依存している人」に会ってきました。

それはもしかしたら、「僕」という存在に依存している人も、中にはいたのかもしれません。

  • 教員時代も
  • 続けている朝活でも
誰かがやってくれる

という空気感を、僕自身が感じてきたからこそ、

僕はそうあってはいけない

と思うようになったのかもしれませんね。

みなさんも、何かに依存しすぎていませんか。

それではまた!

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