優しい人になるためにはどうする?【ただ優しいだけではいけない】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕は若い頃、議論することが好きだったこともあって、結構人に食ってかかっていました笑。

自分は正しいんだ!

という証明をしたかったのかは判然としませんが、何かと好戦的ではありましたね。

うーん、でもこのままでは人間関係、うまくいかないぞ?

と思い、大学や教員生活でいろんな人と会ったことで、自分の愚かさを感じたものでした。

今日はそんな僕が求めていた「優しさ」について書いていきます。

「優しい」にもいろいろな定義がある。他人を甘やかすことは優しさではない。真の「優しい人」を目指してゆくのだ。

甘やかすな

この人、優しいな

人と接していますと、そう思うこともあるかと思います。

かつての僕もそうでしたが、ここで勘違いをしてはいけません。

特に僕は先生だったこともありましたから、

甘やかすことが、優しいことではないのだ

ということを、よく感じていたものでした。

『優しい』という言葉を聞きますと、どうしても、

  • 怒らない人
  • 何も言わない人
  • なんでも許してくれる人

などをイメージする人が多いと思いますが、僕はそうだとは思っていません。

もちろん、いつも感情的になって怒っていてはダメですし、頑固で「絶対に他人を許せない!」というのもよろしくありません。

ダメなことは、

  • 相手に取り入ろうとしたり
  • 嫌われないようにしようとしたり

することなのではないかということ。

それは優しさではなく、ただの八方美人です。

要は、自分の「ポジション」や「見え方」を意識しているだけだということ。

相手の間違っている部分は指摘すべきですし、いい関係を築いていきたいのであれば、時にはっきりと言わなければならないこともあります。

また、生きていれば切れてゆく関係性もあることでしょう。

「優しいこと」とは、単に「穏やかであること」を意味しているわけではありません。

それもまた大事なことではありますが、本当の優しさとは、ちゃんと正義や信念に基づいて人と接することができる人です。

ある意味、「怒らない」「感情を出さない」とは簡単なことであり、そう決めてしまえば、

誰にも何も言わないでおこう…

と、あとは意図的に波風を立てなければいい話です。

それは優しさではなくて、自分の「見え方」への意識をしているだけ。

他人を甘やかしたり、相手の行動や意見を指摘しないこととは、単なる無関心となり、それは一番の悪(あく)だと思っています。

他人を甘やかすことが優しさではない。ちゃんと自分の信念に基づいて意見をしたり、会話をしたりできる人が「優しい人」なのだ。

温かさを持つ

」と呼ばれるのかもしれませんが、僕は、

  • 熱さ
  • 情熱
  • 温かさ

のある人間でいたいと思っています。

他人を変えたい

という気持ちではありません。

これは、このブログで何度か書いてきている通りですね。

「情熱を持つ」ということは、相手に関心があって、本当の意味で「相手のことを思うこと」でもあると思っています。

僕は他人の人生には興味なんてありませんが(おい笑)、だからと言って「人と話さないのか?」と言われますと、たぶん毎日誰よりも人と話をしているほうなんじゃないでしょうかね笑。

あぁでもない。こうでもない

と。

僕は僕として「熱いもの」があって、それについて話をすることは好きですし、議論して人に影響を与えたり僕自身も影響を受けたりして、生きていきたいと思っているのです。

だからこそ、「先生」だったわけですね。

表現するのが難しいのですが、

  1. 人に過度に干渉はしないし
  2. 他人の人生を変えようとは思わない
  3. しかし議論をする中で、意見を交わすことは大事だ

こういうスタンスなのです。

人としての「温かさ」とは、

  • 謙虚さ
  • 礼節さ
  • 誠実さ

なども含めての、気持ちのあり方なのかなと。

そういう人から、はっきりと意見を言われても、

そうか。あなたに言われるなら仕方がない

と思わせることができますしね。

温かさや熱さ、情熱を持っている人からは「優しさ」が滲み出てきます。

僕はそういう、温かみのある人間でいたいですね。

温かくいるということは、情熱だったり熱さだったりを持っていて、それを相手に対して誠実にぶつけることができるということだ。

自分に厳しくあれ

温かみのある優しさ。

これを実現するためには、

  1. 自分の人生に集中し
  2. 常に自分を高めようとしていて
  3. ちゃんと自分の軸と意見を持っていること

です。

自分に厳しい人こそ、他人に優しくできるのだと思っています。

他人に甘くすることで、自分を優しく見せるのだ!

と、“他人を使って” 自分を上げるのはどこか違っていて、

普段から自分に厳しいから、自然と他人にも優しくなれる

というのが理想ですよね。

自分に厳しければ、自然と「相手のツラさ」もわかるようになります。

他人のことを100%理解することは不可能ですが、厳しい経験を積んでいる人ほど、他人のことを理解しようと努力はしますし、ある程度想像力も働きます。

僕はどこかで、前者(=他人に優しい自分を見せること)が正解だと思っていました。

しかし、

あれ?なんだかこれって本来の自分ではないし、上っ面(つら)で接しているように感じる…

そう思ってしまったのです。

まずは「自分ごと」に集中して、

何をすべきなのか?どういう男だとカッコいいのだろうか?常に自分を追い込めているだろうか?

と、自問自答するようになりました。

ゆえに、「優しさ」とは後からついてくるものなのだと思っています。

その場その場で “優しくすること” とは、実はやろうと思えば誰にでもできることです。

(この場合は強く言わないでおこう…)

みたいにね。

しかし、それは本質ではないということ。

ある意味、相手の気持ちを忖度しすぎていると言ってもいいです。

そうではなく、発信はまず「自分から」です。

普段の生活の中で、自分に厳しくあること。

そうすれば自然と、「他人に優しくなれる」ものなのです。

むしろ僕には「その点」がありませんでした。

あの人みたいに柔和になりたい…

とか、

もっと優しい言葉をかけられるようになりたい…

とか。

それもまた大事な考え方かもしれませんが、表面上で取り繕っているだけであって、乱暴に言えば “その場しのぎ” でしかありません。

まずは自分に集中し、自分らしくあること。

そして自分の軸を確立すること。

これが僕には必要だったのでした。

だったら、無理して他人に優しく「なろうと」する必要はないじゃない?

そう思えてから、

  1. 自分に厳しく
  2. 他人を甘やかすことなく
  3. 本当の意味で優しくなることができた

と思っています。

まずは自分に厳しくあり、自分を律することだ。それが間接的かつ後発的に「優しい人」を作り出してゆく。まず見るべき方向は「自分」なのだ。

おわりに

優しくあろうとすること。

これは、表面上の行動を語ろうとすればするほど、失敗すると思っています。

行為として優しくすることとは、意外にも簡単だからです。

実はそこが重要ではない。

もっと情熱を持ち、自分に厳しくあれば、他人を甘やかすことなく優しくなれるのではないかと。

僕はそう信じています。

みなさんはどう思いますか。

それではまた!

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